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31件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2003-05-07 第156回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第4号

この平塚化学工場平塚工場跡地というのは、環境省の方で御努力いただいて提出していただいた七二年の調査資料、結果では、相模海軍工廠化学実験部平塚市、この記録ですと、〇・四トンのイペリットルイサイトが十・二トン、鉄がめ二十ケ、ドラム缶三十缶、これだけ保有されていたというのがこの平塚工場跡地ですね。そこで今回こういう事故が起こったわけですね。

大森猛

2002-04-08 第154回国会 衆議院 決算行政監視委員会第一分科会 第1号

それから、これは一九七四年の十月に松花江しゅんせつ作業中に引き揚げてしまって、どうもイペリットルイサイトと混合した液に触れてしまった、そしてこのようになったようなんですけれども、足の指が全部溶けてしまうような状態。この方は、結局は顔にも当たり、失明をして亡くなった肖慶武さんという方なんですけれども、こういう被害が起きている。

今野東

1999-07-15 第145回国会 衆議院 予算委員会 第21号

この遺棄化学兵器広島県、瀬戸内海に浮かぶ大久野島というところで旧陸軍製造した致死性イペリットルイサイトというびらん性ガス、それからジフェニルシアンアルシン、一般には赤筒赤筒と呼ばれておりますが、くしゃみ性ガス、これが大久野島で大量につくられまして、それが中国本土に運ばれて、実際に実戦に使われたというふうに中国側は言っております。  

斉藤鉄夫

1995-11-30 第134回国会 参議院 外務委員会 第9号

それからルイサイトとか現在の毒ガスをすべて禁止する、化学兵器を全部禁止するという禁止例の中の一つに入っております。  こういう内容を全部見てみますと、結局くしゃみだとか嘔吐剤というのがあか筒あか弾、それからきい弾きい剤なんと言われるのがびらん性致死性毒ガスです。これはかつてはイペリットと言われていましたけれども、現在は精製マスタードです。

立木洋

1995-11-30 第134回国会 参議院 外務委員会 第9号

新聞の報道によりまして、旧日本軍中国に残留した化学兵器調査に行かれたということはもう大臣御承知のとおりですが、この調査の中で、いろいろ調査した結果、ハルバレイにおいて旧日本軍きい弾と呼んでいたびらん性マスタードルイサイト、混合剤砲弾くしゃみ弾も確認されたというふうに既に調査に行って発見しているんです。ですから、この問題は現在でも残っているんです。現に向こうに運び込まれている。  

立木洋

1995-03-17 第132回国会 参議院 商工委員会 第5号

梶原敬義君 ちょっとどういう内容かというのを少し読んでみますと、造兵厰製造所で完成した毒ガス弾検査職員だった各務亨さん七十六歳、これは小倉南区の人ですが、と、イペリットルイサイト弾充てん分隊長だった山口操さん八十五歳、これも小倉の方ですが、「「漁場や旅客船航路にもなっている沿岸海域で、強烈な毒性のガス弾が放置されたままだと、将来事故が起きる」と思い、証言を決意した。」

梶原敬義

1988-04-26 第112回国会 衆議院 内閣委員会 第8号

実は、これもあるところからお話を聞いたのでありますが、旧陸軍広島県の大久野島というところに、昭和二年から終戦までの間、旧陸軍東京第二造兵廠忠海製造所が設置されまして、イペリットとかルイサイトあるいは青酸ホスゲン等毒ガス製造されていたのでありますが、これら毒ガス製造工場で働いていた方々は、毒ガスの汚染によりまして障害を受け、戦後四十年を経た今におきましても、ある調査では数千人と言われておりますが

井上和久

1982-04-01 第96回国会 衆議院 社会労働委員会 第4号

そこでお尋ねをいたすわけですが、旧陸軍広島県の竹原市に所属する大久野島というところに、昭和二年から第二次世界大戦終戦に至るまでの間、旧日本陸軍東京第二造兵廠忠海製造所が設置されて、ここでイペリットルイサイト、青酸ホスゲン等猛毒かつ微量で致死的な毒ガスを初めとして、催涙ガスあるいはくしゃみガス、各種の信号筒等製造されておったわけであります。

平石磨作太郎

1981-03-03 第94回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第4号

しかも、つくっておったものは、びらん性毒ガスで有名な、ドイツ軍が一番最初に発明いたしましたイペリット、さらにルイサイト、ホスゲンあるいは青酸ガス砒素ガス塩素ガス催涙ガス、そういうものを多量につくっておったわけであります。  そこで、そういう不完全な防毒対策のためにずいぶん被害を受けられまして、今日まですでに死亡されました方は約八百名になんなんとしております。

岡田正勝

1980-11-20 第93回国会 衆議院 決算委員会 第6号

ここではイペリットなりルイサイト、青酸あるいはホスゲン、そういった致死性の強い毒ガス、そのほかに催涙くしゃみガス等製造されていたわけであります。このほかに火薬、爆薬の製造及びガス弾製造も行っておったわけでありまして、そういういろいろな製造の設備も当然そこにあったわけで、またその毒ガス火薬弾の原料となった多量の薬品も貯蔵されていたわけです。

楢崎弥之助

1980-10-20 第93回国会 衆議院 決算委員会 第2号

化学戦学生として、ガス、細菌、火炎放射を習ったものでありますが、終戦の国がつぶれるかつぶれぬかという境に江田島にはイペリットルイサイト、ホスゲンGホスゲン等猛毒毒ガスがいっぱいございました。これを使わなかった、使えなかった。防御だといっても、これを使うと敵をやる前に味方の国民がやられるわけでありますから、旧憲法でさえも使えなかった。これだけ申し上げておきます。

園田直

1978-04-13 第84回国会 衆議院 社会労働委員会 第13号

これは毒ガスイペリットとかルイサイトとか、そういうものをつくっておったようでございますけれども、こういった毒ガスの輸送とか保管の業務に、どの程度、関与しておられたのかどうか、いろいろ事実関係について、まだ明らかにしなければいかぬ点もあるかと思います。また、そういうものに従事したために本当に現在、何らかの障害を持っておられるのか、影響が残っておるのか、そういう点もあるかと思うのでございます。

池田行彦

1978-03-24 第84回国会 衆議院 外務委員会 第8号

「この前の大戦末期に、危急存亡のときに、江田島イペリットルイサイト、ホスゲン、こういう毒ガスがございました。これを使うか使わぬかという議論があったわけでありますが、そういう際にさえも日本は使わなかったわけでありまして、」云々なんですが、実は江田島というのは残念ながら少し場所が違っておりまして、正確には大久野島であるであろうと私は考えるのです。

土井たか子

1976-05-11 第77回国会 参議院 社会労働委員会 第3号

それから毒ガスのことについては化学実験部第二課に属しているこの実験部では、確かにイペリットルイサイト系のガス製造、また、こうしたガスを実験的に使用していたということが明らかになった、こういうふうに受け取ってよろしゅうございますね。  それからこの小川さんはこの第二課に属していた、こういうふうに調査ができた、この事実は確かであるということでございますね。

柏原ヤス

1974-05-14 第72回国会 参議院 社会労働委員会 第11号

とのことについて簡単に申し上げますと、相模海軍工廠化学実験部第二課に、昭和十七年十一月に豊川海軍工廠より転用して配属され、その仕事イペリットルイサイト、ホスゲン合成実験毒ガスの海中における鉄板塗装強度実験、これは真鶴湾でやっておりました。毒ガス解毒研究実験、こういうような仕事をやっておりました。それで昭和十七年十一月より、この化学兵器製造実験作業に従事していたわけでございます。

柏原ヤス

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