2018-12-05 第197回国会 参議院 本会議 第8号
例えば、自ら作った野菜をリヤカーで引き売りをしていた八十代のおばあちゃんは、毎日の売上げをカレンダーに記入していた。それが事故以降は売れなくなって、毎日毎日、売れないと書いている。そのカレンダーを見せても東京電力は賠償を認めなかったといいます。 事故が起こるまで細々とでも毎日売上げがあり、おいしいと言われるのが誇りだったというおばあちゃん。そういう誇り、生きがいを奪ったのが原発事故です。
例えば、自ら作った野菜をリヤカーで引き売りをしていた八十代のおばあちゃんは、毎日の売上げをカレンダーに記入していた。それが事故以降は売れなくなって、毎日毎日、売れないと書いている。そのカレンダーを見せても東京電力は賠償を認めなかったといいます。 事故が起こるまで細々とでも毎日売上げがあり、おいしいと言われるのが誇りだったというおばあちゃん。そういう誇り、生きがいを奪ったのが原発事故です。
例えば、リヤカーで自ら作った野菜を引き売りをしていたという八十歳代の方は、毎日の売上げをカレンダーに記入をしていた、それが事故以降は毎日、売れない、売れない、売れないと書いている、そのカレンダーを見せても東電は賠償を認めなかったと。
さらには、法設定時の、茂木大臣だったと思うんですけれども、小さいところから入っても、全国展開することで大胆な改革につなげていきたいと答弁をされているわけでありますけれども、結局、堂々と全国展開と言い切れるのはヤマト運輸とヤマハ発動機のリヤカー付き電動アシスト自転車の公道走行くらいでございまして、残りの四件、正味、中身を見ると三件なんですけれども、水素タンクのフォークリフトとか、セグウェイの公道走行とか
まず、過剰規制に関してですけれども、例えば企業単位で規制の特例措置を講ずる制度ですとか、あるいは企業が新しい事業を行う際にその事業が適法かどうかを確認できる、いわゆるグレーゾーン解消制度というやつ、これを活用して、例えば電動アシスト自転車、これってパワーに物すごい制限が掛かっているんですが、これを三倍まで特例を認めて、その結果、リヤカー付き電動アシスト自転車というのを作って、それを物流事業で活用する
そういった中で、私どもの防災計画は実は津波と火事が中心でありまして、そういったことから、津波の際には実にこの訓練をきめ細かくやっておりますし、特に立場の弱い皆さん方、どこのおばあさんを誰がリヤカーか何かに乗っけて逃げるのか、そこまで実は訓練をしているわけでありますが、残念ながら、今回の水害については、そういったことは実際にはやっておりませんでした。
最近、四年たちましたので、多少復興ということも徐々に整備をされてきているわけでございますけれども、先日、相馬市の市長、私、友人なものですからちょっとお話をしましたけれども、相馬市は、医師である市長ということもあるので、いわゆる災害の住宅の中での孤立死、孤独死というものは絶対起こさないぞという信念で、それをどうやったら防げるかということで、一日一回みんなで食事をするとか、あるいはいろいろな日用品をリヤカー
これは、物流用のリヤカーがついた電動アシスト自転車につきまして、現行では踏力の二倍までとされておりますアシストの制限を三倍に緩和するという申請でございまして、警視庁との間で協議を行った結果、申請を許可するということになりました。 これによりまして、脚力の弱い高齢者ですとか女性の雇用機会の拡大、また、物流の現場においてのCO2排出量の削減などに資することが期待されていると承知しております。
そもそも日本の都市計画自体が、最初リヤカーだったり荷車だったものが、耕運機になり、それから車になり、だけど、そのとき飛行機を使ってこの国の何かを動かしていくというようなことは考えられた都市計画なのかしらというのも私は思ったことがあります。 ですから、枠を設けずにいろんなフリーな議論をしながら、その中でこれまでの国策との整合性を保ち、発展させていく必要があると、このように考えております。
それから、和歌山市の北部、本脇地区という海辺の地域では、避難訓練をする中で、車椅子を押して高台に行くのは無理だ、もうリヤカーの方がいい、そのためには道が狭過ぎる、地震でブロック塀が倒れてきたら大変だということも分かって、そういう問題の改良に着手しようとしているということでした。
それで、リヤカーで曲がったナスとか大きいナスを持っていって、おばあちゃんと、半分おこぼれをもらって、中学、高校は裕福な農家であり、まだ私が中学、高校ぐらいのときは農業は豊かだったんですよ。私は大学へ行かなくて、フェアレディZを買ってくれとぐれたんですが、おやじが、そういう魂胆では農業はできないということで、浪人して大学に行った次第であります。
それやって、今ではこれを運んでいくウオーターボーイ、ポリグルボーイというのが今、水を自転車の後ろにリヤカー引っ張って五百リッターずつ積んで、集落行ったら笛吹いてやっております。私もあしたから行きます。 そうこうしているうちに、一昨年度の末に日本政府がソマリアに二十一年ぶりに人道援助を始めた。それで採用されて、今現在十八か所でソマリアで給水所を設けております。
実は、私、十年以上前、このベビーリヤカーをデンマークで初めて見たんです。バスの中から見付けまして、同乗者の誰もが面白いな、効果的だな、効率的だなという、そういう話をしたのを覚えております。多分、この委員会の委員の先生方も、何人かの方々は外国で御覧になった方もおられるかと思うんです。 私はこれを購入しまして、通訳の方に頼んで船便で送っていただいたわけなんですよ。
それで、今もう結局このベビーリヤカーはごみになってしまったと。今、使用できる県もあるわけですね、これ条例上は。何県ぐらいあるか、ちょっと教えていただけませんですか、もし分かりましたら。
御指摘のような子供を乗せるためのリヤカーについても、自転車によって牽引されるものであることから、当該規定に基づき、各都道府県公安委員会がそれぞれの公安委員会規則により道路交通事情等を勘案して牽引の制限等について定めているところでございます。
当初は車が使えなかったので、リヤカーと、それから徒歩で、この物資を避難所やさまざまな孤立しているところに運んでいった。ヘリコプターを使わせていただいてお医者さんを派遣したことも、記憶として生々しいことであります。 また、気仙沼には大島という島がありまして、ここは全部が孤立をしてしまいました。
ただ、この電源確保というのも、これはあくまでも緊急、応急のための電源の確保でございますから、浜岡へ行ってごらんいただければおわかりいただいたように、例えばポンプも、いわゆる地元の消防団などが使っております可搬ポンプという、人力によって持ち上げることあるいはリヤカーなどに載せて動かすことのできる、そういう小型のポンプを何台もつないで、そして海から水をとってきて、放水の口がございますから、そこへつなぐということであります
例えば私のところにも入ってきましたのは、何人必要だというので、ある自治体が派遣をしてみたら、行ってみたら、それなりの職員を出したんですけど、行ってみたら仕事はリヤカーを引くような仕事ばかりだったんだと、それならそれで別の調達方法もあったんではないかとか、そういうミスマッチは実はあります。
特に高齢者になりますと、先生方は多分御存じないかと思いますが、テーラーというのは皆さん御存じないかと思いますが、耕運機の後ろにリヤカーをくっつけまして走るものでございます。これは本来であれば小型特殊免許がないと走れないんですが、ほとんどの高齢者が小型特殊免許を持たないで走っているような状況にございます。
ど根性納豆という名前で、リヤカーに積んで歩きますと、喜んで買ってくださるお客さんがたくさんおりました。子供たちは、売れたという成就感というんでしょうか、そういうので一生懸命取り組んでいましたので、そういうこともやはり取り組むべきだと思います。
自転車にリヤカー引いて、氷箱に魚詰めて、今日はこれがおいしいよといって、はかりに掛けて売っていた、こうやってさばくんだということも教えてもらっていた。そういう現代版魚の行商のおばさんというのがあってもいいのではないだろうかと。
今朝捕れた魚だよということで氷箱に詰めて、自転車、リヤカーでいろんなものを、私の母親なんか買っておったのをよく覚えております、トレーサビリティーの見本みたいな話なのでございますが。 どうやって手取りを上げるかということも、私は、消費者のニーズにも合致するところが多い。
当時は、明治四年に自転車、リヤカー等々を買うことができた人は豊かだったんですよ。そういう理由からこの荷車税が始まったんです。 これは法制局に、当時の自治庁長官が昭和三十三年に、この自転車荷車税を廃止する際の趣旨説明をちょっと読んでみたいと思うんです。