2003-06-05 第156回国会 参議院 武力攻撃事態への対処に関する特別委員会 第12号
○榛葉賀津也君 私は、一九三一年の満州事変の後の三三年のリットン調査団、そういう例もありますし、また実際に、この有事というものは、例えば原発の問題なんかを考えると、外からの武力行使による有事よりも、比較的、災害であるとか人的ミスであるとか国内のトラブルによって起こる問題もたくさんあると思います。
○榛葉賀津也君 私は、一九三一年の満州事変の後の三三年のリットン調査団、そういう例もありますし、また実際に、この有事というものは、例えば原発の問題なんかを考えると、外からの武力行使による有事よりも、比較的、災害であるとか人的ミスであるとか国内のトラブルによって起こる問題もたくさんあると思います。
満州国問題でリットン調査団から厳しく非難されたので、もうこんなばかばかしいものは嫌だと、やめたと、こういうことで脱退しちゃったと。 あれが引き金みたいになって国際連盟がつぶれてしまって、その結果と言っていいかどうか分かりませんけれども、第二次世界大戦が起きまして、これは世界じゅうに戦火が飛びまして、そして終わってみたら、今度の死者は三千万人と。
イラクから見た気持ちといいますか、感情といいますか、私はどうも、かつての日本を見るような、一部似たようなところがあるような気がするんです、満州事変から日華事変に始まって続いていった、リットン調査団が調査をした、こういったのを見ますと。 イラクの国民の人たちは、とりわけ知識層はどういうふうに今回の事件を見ているんでしょうか。
国際連盟はこれを真剣に受けとめて、調査会をつくって双方の言い分を聞いて、それからはるばると満州までリットン卿をリーダーとする調査団を派遣して地道に調査をして、その結果、これは日本の明らかな侵略行為である、直ちに満州から撤退すべきだという声明を出した。そのときに日本がどう対応したか。こんなばかばかしい会議に加わっていられるかと言って退席して、そして国際連盟からもう脱会してしまったと。
その実験に参加したある高級軍医は、かつて満州事変を調査するために国際連盟から派遣されたリットン卿の一行に、コレラ菌を付けた果物を出したが成功しなかった、と語っていました。 こういうことを三笠宮が書いておられる。これは、今問題になっている教科書の編者たちが忌み嫌う東京裁判の文書でも何でもないわけです。こういうことをやったということを書いておられる。
リットン調査団以来の調査団が日本に参ったわけですけれども、もしそういう知見のある国連女性関係拠出金ということであるならば、その知見のある国連の委員会であるところの人権委員会に対する勧告が出ておるわけでございまして、そのクマラスワミ報告に関しては、日本政府の方では、国際社会における法の支配に対する重大な侵害であるというふうに一時反対をしておったようでございますけれども、そういう予算の拠出の理由づけをしておるのであるならば
国際連盟は確かに余り強制権がなくて、日本の満州国をつくったときにリットン調査団が来てリットン報告を出したでしょう。非常にいいかげんな体裁だったんで、日本はいよいよやっていくわけだ。しかし、国際連合をつくったときには、国連憲章に書いてあるように、共同の場合を除いてこれは武力否定なんですよ。
それで、私たちの調べた限りでは、前例を挙げれば、満州事変における日本軍の軍事行動を国際法違反とした一九三二年の国際連盟に提出されたリットン調査団報告書がある。これは私たちも教科書で覚えましたが、それがあるだけですよ。それ以来の正式の人権委員会というところの調査団だと、こういうことなんですね。その調査団の正式の報告、勧告を日本政府がこれを無視して、これから先どうなるのかという問題なんです。
これは国連の人権委員会の公式の調査団であり、ある人に言わせると、国連から正式の調査団が日本を訪問したのはリットン調査団以来のことだと、こう言う人もありますが、しかし正式の国連の人権委員会の調査団であったことは間違いない。 この方が一週間ほど日本に滞在されて、この従軍慰安婦問題をずっと聞き取りをなさいました。法務省にも行かれた。
後でリットン調査団が満州に入ってきてびっくりするほどでありました。満州へ入ってきてびっくりして、それからまた朝鮮へ行ってさらにびっくりする。満州と朝鮮が実際我々が悪い評判を聞いていたのとはまるで違うといって感動しているのでございます。 満州事変が起きてから四年後に、そのころスターリンの全盛期でございます。コミンテルンが世界赤化のためにある一つの戦術を打ち出しております。
あの当時、リットン報告書でもあるでしょう、ちゃんと。資源のない日本がABCDの包囲陣で経済封鎖をされて、米も、あのときは米もですよ、石油も、米、食糧もすずも鉄も、そしてゴムも、全部のものを輸出を禁止されて首を絞められたら屈服するか戦うしかなかったといって、リットン報告書にちゃんと出ていますよ。これは国連の決議に基づいた調査団ですからね。
だから、踏み込まれた方がどう考えるかということになれば、侵略だと、こう明確に言っているし、同時にまた、リットン調査団という、一九三一年、二年ですか、当時満州事変というものが起きて、そして、それから始まって、当時の国民政府、蒋介石国民政府が、いわば国際連盟、国連に対して調査団を要請して、日本は侵略をしている、調査をしてほしいと、それに対する調査にリットンという人が団長で行かれたわけですけれども、そのリットン
一方、国際連盟ではこれを自衛権とは見なかったわけでして、リットン卿の報告がそういう結論になっておりましたが、こういう過去の経験というものを外務省ではどういうふうにお考えになりますか。例えば満州事変における自衛権の発動というものを日本政府は主張しましたけれども、それはやはり間違いだったというふうにはっきりお考えでございますか。大臣、いかがでございますか。
また、日本研究のために米海軍から防衛庁の防衛研修所に派遣されましたリットン・ウェルズ・ジュニア米海軍中佐が新防衛論集一月号の中で、「ソ連は宗谷海峡の両側をコントロールするため」「北海道の東北部を占領する可能性がある」とソ連の侵略意図を想定いたしておるわけでございます。
私は、午前中、総理に、対しまして、イギリスのジェーン海軍年鑑五十八年版それから新防衛論集に掲載されましたリットン米海軍中佐の論文、クラウ米太平洋軍司令官のワシントンにおける講演、三月末のウィッカム米陸軍参謀総長の北海道視察及びことし北海道で予定されております陸上自衛隊と沖縄の米海兵隊との共同実動訓練の計画等々を列挙いたしまして、いかなる地域に直接侵略の可能性が高いと想定をして防衛力の整備や自衛隊の配備
○柄谷道一君 それでは、防衛庁長官にお伺いしますが、私は去る三月三十日の予算委員会で、国際的にも権威のあるジェーン海軍年鑑五十八年版及び新防衛論集一月号に掲載されましたリットン・ウェルズ・ジュニア米海軍中佐の論文等を引用いたしまして、現在我が国の国会では総理の訪米以来シーレーン防衛の問題が特に大きく取り上げられているが、シーレーン防衛が現実化する脅威の事態が発生するときは同時にまた北海道の脅威も発生
ICAOの報告書でINSの入力ミスの可能性として挙げておりますのは、大韓航空機、リットン社のINSを三基積んでおりますが、その一番、コントロールユニットでございますが、それの現在位置に先生御指摘のように十度の押し間違いがあったと、そして他の第二、第三には正常の位置を入れておったと、その場合のシミュレーションをやった結果でございます。
また、日本研究のために日本の防研に派遣されましたリットン・ウェルズ・ジュニア海軍中佐、これは新防衛論集一月号の論文の中で、「ソ連は宗谷海峡の両側をコントロールするため稚内方面に対しヘリコプターによる急襲を行う可能性があり、またオホーツク海の南部海峡を確保するための飛行場を獲得するため北海道の東北部を占領する可能性もある」、こう述べているわけでございます。
○政府委員(和田裕君) 機種でございますが、LN391A10搭載のものでございまして、米国リットン社製でございます。目的は、航法精度等を向上するために換装させるわけでございます。
そして昨年の十二月にこの三菱プレシジョンのKT−74J、それから東芝のLT−33、これはリットン社製、それと日本航空電子工業のMRCA、いわゆるフェランティー社製、これがあらためて入札をして、そしていまおっしゃったとおり、日本航空電子のMRCAにきまった、こういういきさつがあるのです。それと同じことが今度——私は多くを言いません。