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139件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2020-03-16 第201回国会 参議院 予算委員会 第11号

そして、当時は、フランス大統領、ジスカールデスタンで、ランブイエ古城にみんな集まってくれと、その会議、六か国で行い、翌年からカナダが入ったんですけれども、そのとき、私は思い出すのは、戦後主要な国際枠組み日本が原加盟国としてなった最初のそのようなもの、そして今日までそこでリーダーシップが期待されている、そのようなG7枠組み、これは財務大臣会合もあり、首脳会合テレビでありということのお話でございます

猪口邦子

2011-08-10 第177回国会 衆議院 財務金融委員会 第35号

○野田(毅)委員 ですから、古い話ですけれども、最初にこの赤字国債を本格的に出すようになったのはサミットのころからですね、最初ランブイエやはり世界全体がオイルショックでのたうち回る、そのときに日独機関車論で、西側世界ソ連圏に負けないようにするには、何としても西側諸国の中で機関車論景気をよくしなきゃいけない、そこであえて赤字国債を発行して景気刺激策をやったわけですね。  

野田毅

2009-07-09 第171回国会 参議院 外交防衛委員会 第25号

思い起こせば、あれはたしかジスカール・デスタン大統領でしたか、最初ランブイエサミットを提唱されて、そして集まられて、首脳がひざを交えて議論することが大事であるということで、今年で何回目になるんでしょうか。これ通告していないんですけれども、今日、朝、テレビを見ておりまして、サミットのことが出ていまして、私も大変、ああ、こういう問題があったなと思ったのでお聞きしたいんですけれども。

谷岡郁子

2007-04-25 第166回国会 衆議院 外務委員会 第8号

○渡辺(周)委員 サミット先進国首脳会議が一九七五年にフランスランブイエで始まってから、日本の当時の首相は三木武夫氏でありましたけれども、それから本当に三十年以上のサミットが行われる中で、決してその国の首都ばかりではなくて、我々も名前を聞いてどこだかイメージできなくて、地図を見て、ああこんなところか、こんな古い町で、時には古城でやったり、あるいは非常に素朴な田舎の都市部でやったり、農村部に近いようなところで

渡辺周

2007-04-25 第166回国会 衆議院 外務委員会 第8号

麻生国務大臣 渡辺先生おっしゃるように、最初ランブイエと聞いて、どこかいなと思いましたし、ことしのハイリゲンダムにしても、その前のグレンイーグルズにしても、今でもどこかよくわかっていませんけれども、少なくとも名前が売れたことはもう間違いないと思いますので、地方の活性化等々で、洞爺湖というのは多分むちゃくちゃ、え、ここがサミットをやった場所というような話で、観光誘致にもなりますでしょうし、大変東京

麻生太郎

2002-07-10 第154回国会 衆議院 外務委員会 第20号

川口国務大臣 短い期間に余り変わることができなくて申しわけないと思いますけれども、委員がおっしゃったぐらいの期間は、実は私もサミットとかかわり合いを持っておりまして、私は、第一回の、そもそもサミットランブイエで始まったときからサミットには関係をいたしておりますし、東京での第一回のサミットには実際に出席をいたしております。

川口順子

2002-07-03 第154回国会 参議院 本会議 第36号

一九七五年十一月十七日、ジスカールデスタン・フランス大統領の提唱でランブイエ開催されて以来二十八回目の開催でありましたが、今回は、昨年九月十一日、アメリカにおける同時多発テロ後、初めての先進七か国の最高責任者が一堂に集まり意見を交わし合う機会で、極めて重要な討議の場であり、各国首脳はそれなりに十分な準備と各種の情勢の分析を明確に行って出席したものと思われます。  

渡辺秀央

2002-07-03 第154回国会 参議院 本会議 第36号

今回のサミットは、国際社会が直面する喫緊の課題に関し、第一回ランブイエサミット原点に立ち戻った環境の中で、G8首脳間で自由かつ大所高所に立った議論を行うことができ、実りの多いサミットでありました。また、二〇〇六年にロシアがG8議長国としてサミット開催することについて合意に至ったことは、G8の将来にとって歴史的な決定であったと思います。  

小泉純一郎

2002-07-02 第154回国会 衆議院 経済産業委員会 第25号

もともとサミットエネルギー問題を話し合うためにランブイエ、フランスで始まったわけでありますが、ぐるっと回ってまたエネルギーの問題。これは、安全保障エネルギーとでロシア役割というものが今欧米にとって非常に重要なパートナーになってきた、そういう中で日本役割が相対的に落ち込んでいるということだと思うんです。  

達増拓也

2001-02-14 第151回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第1号

大義としては、やっぱりアラブの民主化というのをアメリカがどうしてもさせたいというようなことが大義になるんではないかと思うんですが、いずれにしても、二十六年前にサミットが始まったランブイエにしましても、結局はオイルショックの後で先進国がどうやって固まるかという、やはりエネルギーというのをちょっと日本人というのは軽視し過ぎているんじゃないかというふうに思うんです。  

木俣佳丈

1999-08-06 第145回国会 衆議院 外務委員会 第13号

飯村政府委員 二点申し上げたいと思いますけれども、一点は、ランブイエ和平交渉というのは、委員承知のとおり、単独で、それだけで終わったものではなくて、昨年来長期にわたって和平交渉が進められてきたわけでございます。特に、昨年の十月の十三日にホルブルック・アメリカ特使ミロシェビッチ大統領との間で合意が成立いたしまして、御承知のとおりその中では主として三点規定されております。

飯村豊

1999-06-25 第145回国会 参議院 本会議 第30号

一九七五年十一月、その二年前、突如襲った石油危機の混乱が続く中、フランスランブイエで始まった先進国首脳会議は、今回で二十五回目を数えることとなりました。この間、インフレ鎮静化との戦い、世界同時不況の克服、さらには国際収支不均衡の是正等々、四半世紀の時を刻んだサミットは、そのまま世界経済歴史でもございました。  

続訓弘

1999-06-09 第145回国会 衆議院 行政改革に関する特別委員会 第13号

現在、国際社会はだんだんボーダーレス化が進みまして、それぞれの国の政治的なリーダー、それぞれの首脳が活発に首脳外交を展開していくという時代に入ってきたわけでございますが、一九七五年のフランスランブイエで行われましたサミットを初めといたしまして、その後、G7でありますとかあるいはWTO、さらにはアジアの各国がだんだん台頭をしてきまして、APECでありますとか、年に何度も何度も首脳同士が話し合うという

山本譲司

1999-06-04 第145回国会 衆議院 外務委員会 第9号

高村国務大臣 具体的にどういうところにあるというよりも、今までの、ランブイエ合意案をのむのまないという話の中でも、NATO側からすれば、ミロシェビッチ大統領の態度がかなりぐらぐらした、こういう感じを持っていて、言葉が適切かどうか別として、例えばアメリカなどは、ひょっとしたらまただまされるのではないかというような感じを持っているように聞いております。  

高村正彦

1999-05-27 第145回国会 参議院 外交・防衛委員会 第12号

国務大臣高村正彦君) ランブイエ合意案というのは、これは本来的に民族紛争でありますから、その中に立ってやるわけですから、ミロシェビッチ大統領側にも強い要求をするし、それと同時にコソボ解放軍の側にもかなり強い要求を出していたわけで、それに対して両方がなかなかのまないという状況にあったわけであります。  

高村正彦

1999-05-27 第145回国会 参議院 外交・防衛委員会 第12号

コソボ問題との関係におきましては、先ほど大臣が御答弁になっておられましたランブイエにおきます和平合意案の中におきましても一定の役割を果たすように位置づけられておりまして、OSCEが管理をいたしまして大統領選挙を行ったりすると、いろいろな行政組織上の妥協案というものがあるわけでございますけれども、それが正しく実行される。

西村六善

1999-05-27 第145回国会 参議院 外交・防衛委員会 第12号

国務大臣高村正彦君) NATOとすれば、要するに、ランブイエ合意案を受けてくれ、期限を切って、さらに延ばして、両側、コソボ解放軍ユーゴ側にのめ、のまないんだったら空爆するぞと、そういうこともしている。そのことによって両方ランブイエ合意をのんでくれると思っていた、そこに誤算があったんだろう、私はそう思っております。  

高村正彦

1999-05-19 第145回国会 衆議院 外務委員会 第6号

その後も国際社会は、ランブイエ、パリでの和平交渉開催するなど粘り強い外交努力を続けてきましたが、ユーゴ側はこれを最後までかたくなに拒否し、一方で四万人以上の軍、治安部隊を新たにコソボ及びその周辺に投入し、大規模な攻撃準備を整えました。このような状況のもと、NATOは、さらなる人道上の惨劇を食いとめるため、やむを得ざる措置として軍事行動をとるに至った次第であります。

高村正彦

1999-05-19 第145回国会 衆議院 外務委員会 第6号

高村国務大臣 ユーゴ政府に対しましては、ランブイエ交渉当時より和平合意案受け入れによる政治解決を求めてまいりました。また、NATOによる空爆開始後は、国際社会要求する五項目の受け入れ必要性を訴えたほか、外務省より数次にわたり在京ユーゴ大使に対しても申し入れたわけでございます。

高村正彦

1999-05-19 第145回国会 衆議院 外務委員会 第6号

さらに、ランブイエ、パリでの和平交渉など、国際社会が粘り強い外交努力を行っている間にも、ユーゴ軍はこれを最後までかたくなに拒否する一方、四万人以上の軍、治安部隊コソボ及びその周辺に投入し、アルバニア系住民に対する攻撃を強行したわけでございます。このような状況の中で、既に七十万人以上の難民が周辺国に流出するに至っているわけであります。  

高村正彦

1999-04-21 第145回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第3号

そして、最終的にはというか、九八年の秋、それから今回の九九年の二月、それから三月のランブイエパリの市内での和平交渉においては、両者の、つまりセルビア代表団とそれからアルバニア人代表団が行ったわけですけれども、そのアルバニア人代表団主導権を握っていくというふうに、コソボ解放軍というのがアルバニア人の側の中心的な存在になっていったという過程があります。

柴宜弘

1999-04-20 第145回国会 衆議院 日米防衛協力のための指針に関する特別委員会 第9号

そして、先日アメリカキッシンジャー博士と四十五分間意見交換をさせていただいたときにも、またニューズウイークにも書いていらっしゃいますように、守るべき平和を見つけられないであろうNATO平和維持軍というのに味方をして、既にコソボに駐留していた監視員を強化しないで引き上げてしまったということは重大な誤りであった、空爆による戦争を終わらせるための条件は、直ちに休戦すること、ランブイエでの交渉開始後に派兵

山中あき子