1975-11-18 第76回国会 参議院 運輸委員会 第2号
大臣の御説明にもございましたように、この条約の発端になりましたのは、その二年前の一九六七年三月のトリー・キャニオン号事件、英仏海峡の英国側の一番南西の岬でございますランズエンドというところでございます。そこにリベリア籍のトリー・キャニオン号が座礁いたしまして、大量の油をそこから流し出し、英国側及びフランス側の海岸を広範囲にわたって汚染をし、当時の社会問題となったわけでございます。
大臣の御説明にもございましたように、この条約の発端になりましたのは、その二年前の一九六七年三月のトリー・キャニオン号事件、英仏海峡の英国側の一番南西の岬でございますランズエンドというところでございます。そこにリベリア籍のトリー・キャニオン号が座礁いたしまして、大量の油をそこから流し出し、英国側及びフランス側の海岸を広範囲にわたって汚染をし、当時の社会問題となったわけでございます。
おそらくはトリー・キャニヨン号が十一万八千トンの油を積んだまま、英仏海峡のランズエンド西二十八キロの地点で事故を起こして、そして八万トンの原油を流した、こういわれてから四年ですよ。四年になって、国際的にもこういうような問題に対しては、十分注意しなければならぬのだ、こう言いながらも、あなたの気持ちはわかるけれども、現にタンカーはだんだん大型化してきている。
リベリア船籍のトリー・キャニオン号、重量トンで約十二万トンでございますが、原油を満載いたしまして、三月十八日午前八時五十分ごろ十五・七五ノットで航行中、英国のコーンウォール半島西端ランズエンド岬西方十六海里のセブンストン礁に座礁いたしました。