2021-06-14 第204回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号
市街地に位置をして、住宅、学校で囲まれている普天間飛行場の固定化、かつてラムズフェルド国防長官も現地を初めて訪れたときに、こんな危険な飛行場があるのかと本当に驚かれたぐらいでありまして、この固定化というのは絶対避けなくてはいけない、こういったことで政府と地元の皆さんの認識というのは共通をしているんだと思います。
市街地に位置をして、住宅、学校で囲まれている普天間飛行場の固定化、かつてラムズフェルド国防長官も現地を初めて訪れたときに、こんな危険な飛行場があるのかと本当に驚かれたぐらいでありまして、この固定化というのは絶対避けなくてはいけない、こういったことで政府と地元の皆さんの認識というのは共通をしているんだと思います。
二〇〇六年にライス国務長官、ラムズフェルド国防長官、麻生外務大臣、額賀防衛庁長官の2プラス2で承認された在日米軍のための日米ロードマップから十五年、また、在日米軍再編のうち、沖縄県内における土地の返還の行程を示す統合計画から八年が経過しました。 当時は、世界の関心が中東やアフガニスタンに集中していましたが、今や国際状況は一変しています。沖縄の基地負担軽減のためには統合計画の実施は必須です。
当時、ラムズフェルド国防長官は普天間基地の上空を視察して、こんな世界一危険な飛行場と言って、驚いて発言して、それ以来ですよね、世界一危険な飛行場と言い出したのは。 それからもう一つ、普天間飛行場と福岡空港と伊丹空港、むしろ人口の密集は伊丹や福岡であってというやりとりがありました。 昔、沖縄の総領事をしていたケビン・メアさんという方がいらっしゃいます。覚えておられると思います。
それで、もう一つですけれども、ラムズフェルド国防長官が沖縄に来られたときにも、神話のように言われているんですけれども、飛行機の上から見て、普天間は世界一危険な飛行場だと言って、これがうわっと流れたわけですね。彼が本当に言われたかどうかはわかりませんよ。しかし、そういうふうな根拠の中にあって今の辺野古移設の話が加速度的に進んでいったというのは、これは事実なんです。
普天間飛行場は、アメリカの前ラムズフェルド国防長官が世界一危険とおっしゃっておりますし、また菅官房長官もそれを認めていらっしゃいます。辺野古新基地建設計画が頓挫したら、政府は普天間飛行場をそのまま危険な状態で放置するおつもりでしょうか。辺野古新基地建設に反対する県民に責任を転嫁していくつもりなのか、外務大臣、防衛大臣にお伺いします。
当時は、アメリカはライス国務長官、ラムズフェルド国防長官、我が方は麻生大臣と額賀長官という四人で話し合われた、2プラス2でのロードマップだと思います。 この2プラス2からもう八年、二〇〇六年からですから、既に八年の月日が経過しているわけであります。この八年の間に、我が国を取り巻く安全保障環境、あるいはアジア太平洋地域におけるさまざまな戦略環境というのは大いに変化してきたと思います。
そもそも、平成十八年、二〇〇六年、再編実施のための日米のロードマップ、これは、ライス国務長官、ラムズフェルド国防長官、麻生外務大臣、額賀防衛庁長官のこの再編のロードマップのときには、約八千名の第三海兵機動展開部隊の要員とその家族約九千名は、部隊の一体性を維持するような形で二〇一四年までに沖縄からグアムに移転するということがそもそもでした。
ラムズフェルド国防長官はペンタゴンにいたのですが、その執務室に入って議員と懇談をしていて、アメリカン航空七七便がペンタゴンに向かっていることさえも知らなかったという状況だったのですね。 FBIとかCIAとか、情報がいろいろ入っていたのでしょうが、それを的確に判断することなしに、あの悲しい出来事が起こってしまった。
二〇〇一年、九・一一テロの翌日、当時のラムズフェルド国防長官は、イラク攻撃を開始する絶好の機会だ、こう述べました。その後、アメリカのNSCを中心とした、開戦のための情報集めが始まったのであります。 当時、CIAでイラク問題を担当したジョン・ピラー氏は、次のように述べております。 当時、ホワイトハウスでの会議にも出ていましたが、そこでひたすら求められるのは、イラクと戦争するための口実づくりです。
昔、ラムズフェルド国防長官がこの上を飛んで降りてきて、こんなところで事故が起こらぬ方が不思議だなと言った。それから、世界一危険な空港だと言っている。 ここへオスプレイを入れるんですかね。防衛大臣、そういう御計画ですか。
その後に当時のラムズフェルド国防長官が、普天間は世界一危険な大変な飛行場だから一日も早くこの危険を除去しなければいけないということになりました。 あなたは先日、沖縄に行って、仲井眞知事に大変短い間お会いになった。そして、沖縄県議会からは、民主党の県議会議員も含めて、あなたの任命責任も含めて明らかにしてほしいという抗議文が出ています。
我が方、町村外務大臣、大野防衛庁長官、先方、ライス国務長官、ラムズフェルド国防長官というときのことでございまして、その中で、「普天間飛行場移設の加速」というところに、 沖縄住民が米海兵隊普天間飛行場の早期返還を強く要望し、いかなる普天間飛行場代替施設であっても沖縄県外での設置を希望していることを念頭に置きつつ、双方は、将来も必要であり続ける抑止力を維持しながらこれらの要望を満たす選択肢について検討
○国務大臣(岡田克也君) お答えする前に、今、川口委員は九五年から米軍再編というふうに言われましたが、私の理解では、米軍再編は、これはブッシュ政権になってラムズフェルド国防長官の下で行われたもので、もう少し後だというふうに私は理解をしております。 そして、いつまでにというのは、私たちはなるべく早くというふうに考えております。
そこで、私どもは、沖縄の皆さん方の負担をできるだけ、どうやったら解消できるかということで、先ほど図に示したようなさまざまな訓練移転あるいはグアムに移転をする等々の対策を、私は外務大臣として、ライス国務長官、ラムズフェルド国防長官とこういう議論に到達をしたということだけは申し上げておかなければいけないと思います。 そして、私はひどいと思いますよ、本件について、ぶれが。総理のぶれもすごいですね。
ラムズフェルド国防長官が二〇〇三年ですか、普天間を訪問されてびっくりなさって、何とかしようというようなこともあって、そして二〇〇五年にワシントンで日米安全保障委員会、2プラス2が開催されたと、そういうふうに理解してよろしいでしょうか。
米軍がグローバルに再編をするときには、まさに九・一一というようなことを受けまして、柔軟で迅速で、かつ機動性のある軍隊に変えたいということで、ラムズフェルド国防長官の強い指導力のもとで再編を行ったわけでございます。 その際に、やはり一番再編の対象となりましたのは陸軍、一番機動性が少ない、一カ所にべたっと張りついていて特定の方向だけを見ているような陸軍。
○原口委員 私もペンタゴンへ行って、当時はラムズフェルド国防長官でしたけれども、どうしてこういうことが起きるのかと直接申し上げました。
三十人以上殺したときにはその時点でブッシュ大統領かラムズフェルド国防長官に報告しなければならないと、インタビューでこうはっきり答えているんですね。 そして、イラク侵攻前に、重要目標であるイラク政府高官を標的に五十回の空爆を勧告したけれども、一人も殺害できなかった、代わりに数百人の一般市民が殺害されたと、こういうことが起きているんです。
○国務大臣(高村正彦君) イラク開戦からバグダッド陥落、そしてその後の治安対策等々、それはアメリカの中でもいろいろ反省もあるし、ラムズフェルド国防長官が辞められたということもそういうことと関連があるかもしれません。
五月一日にラムズフェルド国防長官が、テロとの闘いが終結した、こう宣言した。そこから、その九月、十月にこのテロ特の最初の延長の議論がありました。私は議事録を繰ってみました。これは与党も野党も責任があると思いますが、アフガニスタンであのとき、当時は今と比べても危険度は大分低かった。
同じ日にラムズフェルド国防長官は、主要な戦闘終結宣言をアフガニスタンにおいてなさっています。両方とも、不朽の自由作戦、イラクの自由作戦、当時はフセイン政権あるいはタリバン政権というものがありましたけれども、その政権が終わった後も、戦闘が続いているといいながら、現実に私たちが対象としている、国または国に準ずる組織なのか、そのテロリストは。そうなのか、戦争は続いているのか。
昨年の十一月の中間選挙で共和党が敗北し、ラムズフェルド国防長官、ボルトン国連大使らが辞任に追い込まれたわけですが、こうした中で、ベーカー元米国務長官ら超党派によるイラク研究グループがイラク政策見直しを提言し、国民的な和解に向けた外交努力を強化するとともに、駐留米軍の約半数を占める戦闘部隊を二〇〇八年三月までに段階的に撤退させることを打ち出しました。