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55件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2002-05-23 第154回国会 衆議院 憲法調査会政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会 第4号

それが原因で、蒋介石はヤルタ秘密協定にも参加していませんし、ポツダム会議にも、連合国の中にありながら全く参加させられなかった。  そして、結果的には、新中国外交戦略が成功して、永久条約記者会見で破棄されたということです。私は、こんなことが二度とあってはいけないんじゃないかと。

中山正暉

2001-06-12 第151回国会 参議院 外交防衛委員会 第15号

たちは、今後の交渉では、やはりこの立場を継承するのじゃなくて、ヤルタ秘密協定を初め、スターリンの誤りを是正するという日本の大義を示して交渉すべきだというふうに考えておりますが、田中外務大臣は、領土問題の交渉を含むいわゆる平和交渉を具体的にどのようにこれから進めようと考えておるのか、日本政府としてどのような立場を示すべきだというふうに考えておるのか。  

小泉親司

1991-02-21 第120回国会 衆議院 予算委員会 第15号

ですから私は、ポツダム宣言を受諾した日本ヤルタ秘密協定を自動的にそのまま引き受けたものだとは理解しない。  それともう一つ北方戦争中に司令官か参謀をやっていた人で、去年亡くなりましたね、あの本ですね。あの本を私は涙をこぼして読んだんですよ。北方四島の千島から下の四島にソ連が上陸したのは、本当のことは昭和二十年何月何日なんでしょうか。

武藤山治

1984-12-12 第102回国会 参議院 決算委員会 第1号

北方四島の問題に対しまして滝沢議員は、私も従来同じようなことを質問をいたしておりますが、この滝沢質問北方領土問題についてはかなり具体的に、現在ある教科書の記述が事実と違うということをずっと列記をされておるわけでありまして、終戦後におけるソ連日本に対する侵略によって北方領土が奪われたという事実が明記されていない、あるいは我が国の関与しない、したがって責任が全くないヤルタ秘密協定によるソ連参戦北方領土

井上計

1982-08-06 第96回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第11号

もともとあれは、あの平和条約二条(C)項なるものは、御承知のように一九四五年二月ヤルタで結ばれたヤルタ秘密協定に基づいてスターリンが不当に千島列島を引き渡せと言った。返還しろという言葉じゃないのですよ、引き渡せ。ヤルタ協定は御承知のようにソ連イギリスアメリカです。

瀬長亀次郎

1982-05-11 第96回国会 参議院 外務委員会 第10号

人類の破滅ということを考えたならば、自分の国のことだけでなく、だれか米ソに対してもこの大きな考え方のチェンジをやらして、ヤルタ秘密協定のようなやり方でなくして、やっぱり国連憲章で再び戦争をやらないと世界じゅうが誓った、そうして平和維持機構として国連をつくったあの方向で、あれもいろいろな小さな国々が勝手なことを言うので、とてもこれはここじゃまとまらぬというふうにアメリカも腹を立て、ソ連と組んでまず核兵器

戸叶武

1982-04-22 第96回国会 参議院 外務委員会 第8号

そういうものが戦後約三十七年たちまして外交文書等において問題点がだんだんアメリカにおいても正確に出てきておりまするが、私は一番心配なのは、大体ヤルタ秘密協定というものが日米間において平和条約が締結された折に、ソ連を排除して全面平和条約でなく、とりあえず日本を占領しているアメリカとの関係において、日本占領政策から脱却できる独立への方向づけとして必要であるという形において、平和条約がサンフランシスコにおいて

戸叶武

1981-05-14 第94回国会 参議院 外務委員会 第8号

言えば、戦争戦争との間の暗い、いやな谷間の時代でありまするが、ベルサイユ体制の崩壊というあの事実の教訓を受けて、国際平和機構をつくり上げようとして国際連盟をつくり上げてそれが崩壊したという経験にかんがみて、それと同じようなことをしでかしているヤルタ秘密協定を、次の平和条約条件にはそういう矛盾したものがあった限りにおいては、米英ソにすべてを任せろというやり方では任せ切れないものが世界にはうっせきしていると

戸叶武

1980-10-16 第93回国会 参議院 外務委員会 第1号

において、他国領土を奪うというような前提のもとに、次の平和を保障すべき平和条約は締結できないという形でこれを無視した前例もあるのでありまして、アメリカスターリンにひっかけながら自分責任逃れをやっていますけれども、責任を問うのではない、戦時中にはそういうこともありがちなものであるが、ソ連だけに責任をかぶせないで、アメリカソ連アメリカに同調していったイギリス、三者で結んだ一九四五年二月十一日のヤルタ秘密協定

戸叶武

1978-02-21 第84回国会 参議院 外務委員会 第3号

ソ連側アメリカ、それからイギリスとの間に何か秘密軍事協定が結ばれているという一つ情報が流れたのは、ルーズベルトが病気になって死ぬかもしれないという情報ソ連に入ってから、ソ連は死んでしまってごまかされては大変と思ったのかどうかしれないが、ヤルタ秘密協定をあるところまで暴露して流したのであります。

戸叶武

1977-11-22 第82回国会 参議院 外務委員会 第8号

あすこで、ねじ伏せられるであろうが、日本の全権から日本固有領土を返してもらいたいということを言い切れなかったのは、要するに、アメリカルーズベルトイギリスチャーチルとが組んで、スターリンを利用して、一九四五年二月十一日のヤルタ秘密協定、戦時中の軍事謀略協定においてソ連を加わらすのに領土を与える、他国の主権を無視し、アトランチックチャーターの精神も無視して、戦事中の軍事謀略協定をやった。

戸叶武

1975-02-13 第75回国会 参議院 外務委員会 第3号

私は戦後三十年の間、特に一九四五年の二月十一日、十二日のヤルタ秘密協定、アメリカルーズベルト大統領ソ連スターリンイギリスチャーチル、これの取りまとめの中に奔走したのが国務省の共産党寄りのヒスでしたが、ああいうヤルタ協定ヤルタ体制というものによって戦後処理を行おうとし、あのヤルタ秘密会議の中で、連合国の中で第二次世界戦争の発端をつくったフランスなり中国戦力低下を名として除外をし、秘密が漏

戸叶武

1975-02-03 第75回国会 衆議院 予算委員会 第5号

ソビエトはいままで、ヤルタ体制というのでしょうか、ヤルタ秘密協定あるいはポツダム条項カイロ宣言も全部含めてですけれども、第二次世界大戦前後に決まった国境の秩序というのは絶対に変えないという基本方針を持ってきた国ですね。世界的にもたくさんありますよ。そういうことで、フィンランドを初め、千島だってその一つだと、私はそういうふうに認識をしている。

安宅常彦