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44件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2004-06-15 第159回国会 参議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第2号

かつてソ連が、最後段階ですが、ゴルバチョフ時代ゴルバチョフ右腕と言われたヤコブレフという、肩書は大統領顧問でしたけれども、実際外交問題などは彼が動かしていたと言われているその人物が日本に来たときにたまたま会う機会がありました。二人だけで会ったんですが、そのときに彼が言ったのは、日本政府外交やり方はおかしいと。

田英夫

2001-05-23 第151回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第7号

かつて、ソ連時代ゴルバチョフ大統領右腕と言われたヤコブレフ氏が私に、日ソ交渉の場面で日本政府は、北方領土という石を交渉をしようとする部屋入り口に置いて、この石をどけなければ交渉を始めないという態度をとり続けてきている、これは日本政府の大きな過ちだと思うということを言いましたが、日朝国交正常化交渉においても同様のことが言えると思います。

田英夫

1998-03-31 第142回国会 参議院 外交・防衛委員会 第6号

実はソ連時代ゴルバチョフ大統領のときですけれども、ヤコブレフ顧問来日をされて、私も会う機会がありましたら、ヤコブレフさんは、日本との外交交渉のときには、しばしば日本政府交渉部屋入り口に大きな石を置いて入れないようにしてしまって、それで交渉をやろうやろうと言うけれども、自分たちは入るわけにいかないんだ、入れないんだと。

田英夫

1997-05-13 第140回国会 参議院 外務委員会 第11号

田英夫君 これは大分前、一九九〇年か九一年、まだソ連時代ゴルバチョフ大統領時代ですけれども、ゴルバチョフ大統領の特使としてヤコブレフ氏が来日いたしましたときにたまたま会う機会がありましたが、いわゆる日ソ交渉、特に北方領土の問題の絡んだ交渉ということが話題になったときに、日本政府交渉をしようとして部屋に入ろうとすると、その部屋入り口に大きな石を置いて部屋の中に入れないようにする癖があると。

田英夫

1996-05-07 第136回国会 参議院 環境特別委員会 第9号

また、ロシア人権回復委員会ヤコブレフ議長は、人間戦争をやめず、犯罪をやめず、自然を破壊し続けていますと、このように述べているわけでございます。  この二十世紀は、一言で言って、余りに人間人間を殺し過ぎました。戦争革命世紀と言われますように、二度にわたる世界大戦や相次いだ革命など、今世紀は血なまぐさい激動の連続であったように思います。

加藤修一

1993-03-25 第126回国会 衆議院 内閣委員会 第4号

大出委員 渡辺さん、私も櫻内さんなどと一緒にモスコーへ行って、シェワルナゼさんが外務大臣のころ、議長ヤコブレフさんなどなどの時代ですが、北方四島を素直に返せとさんざん毒づいてきた一人ですよ。だけれども、事こうなると、きのう、きょう、あしたというここに来ると、やはりいろいろあるけれども、私も陸軍少尉なものですから、私の兵隊仲間だってたくさん死んでいるのだから。

大出俊

1991-08-30 第121回国会 衆議院 外務委員会 第2号

したがって、そういう意味で、シェワルナゼ外相がやめる、最近はヤコブレフ大統領補佐官がやめる、そして人事はすべて保守派の中から選んだという状況で、ずっと保守派寄りになったと思うのです。  しかし、このクーデターが起きる数カ月前からは、ゴルバチョフさんの姿勢はどちらかというと改革派の方に急速に向いてきたのではないかなと思うのです。

岡田利春

1991-08-20 第121回国会 衆議院 予算委員会 第1号

六月中旬以降、シェワルナゼ外相ヤコブレフ大統領首席顧問ら改革派が共産党を脱退いたしまして、新政治組織結成に同調するとの動きを見せておりました。  我が国といたしましては、これまでソ連において推進されてきましたペレストロイカ、新思考外交の積極的、肯定的な基本路線に影響が出てくることに大きな懸念を有しております。

中山太郎

1991-04-26 第120回国会 衆議院 安全保障特別委員会 第6号

ヤコブレフ大統領顧問やあるいはシェワルナゼ外相などと話し合いをしてまいりました。そのときに強く感じましたことは、やはりいろいろありますけれども、ゴルバチョフペレストロイカを成功させなければ日本との関係も進展はしない。シェワルナゼは、我々が敗れればその後に来る政権は軍服を着た力強い男とかあるいはそういうたぐいの人だということをはっきり言っておりました。  

神田厚

1991-04-26 第120回国会 衆議院 安全保障特別委員会 第6号

○神田委員 ヤコブレフ大統領顧問、その方との会談の中で、彼は国境問題につきまして、国境問題はまず配備されておる軍隊を撤退させる、次に国境警備隊を置く、そうして次には国境警備隊を撤退させて税関を置く、最後にはその税関もなくして自由交流にするのだ、そういう理想を語っておりました。

神田厚

1991-04-23 第120回国会 参議院 外務委員会 第6号

だからこそヤコブレフさんがもうまさにあのときから、おととしからずっとソ連側が引いてきた路線日本がまんまとと言っては言葉が悪いかもしれませんが、その路線に乗ったのが私は最低ここの部分ではないかというふうに読めて仕方がないのです。  こういった経済問題についてはどうなさるのか、その点も伺いたい。

堂本暁子

1991-04-23 第120回国会 参議院 外務委員会 第6号

堂本暁子君 おととしの十一月になりますが、ヤコブレフさんが見えたときに、これは中山大臣に私は、ヤコブレフさんは盛んに第三の道ということを言っている、大臣はどうお考えになりますかということを質問申し上げました。大臣はそのときに、日本としては四島一括返還、その原則を守っております、政経不可分というふうにおっしゃいました。

堂本暁子

1991-04-02 第120回国会 参議院 外務委員会 第4号

田英夫君 ヤコブレフさんが来日されたときに話し合う機会がありましたので、実は彼も同じ意見だということを言ったのですが、私が申しましたのは、日本政府やり方は、部屋入り口に大きな石を置いて、この石をどけなければ部屋の中に入って話し合いはできない、こういうことじゃないか。石があることは事実です。これは北方領土ですね。

田英夫

1991-03-27 第120回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第6号

どういうことかというと、外交交渉には妥協が必要なんだ、ソ連妥協するけれども日本妥協してほしいということで、抽象的に言いますと、ヤコブレフという人が第三の道と言ったことを、もう少し詳しく言うとこの言葉になるわけでございます。しかしこれは日本側からは受け入れられないわけです。日本は、正札商法に似たごとく、デパートでつけた値段はもうまからないわけです。

木村汎

1990-06-18 第118回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

さて、大臣、きょうの新聞等を見ますと、例えばソ連ヤコブレフ政治局員北方領土は多段階解決すべきだとか、あるいはいろいろな道を考えなくてはいけないとか、相当な話が来ております。さらに向こうの、ソ連研究所チタレンコ所長はこのヤコブレフ発言を受けて、これは多段階解決策を示したのだみたいな話も出ています。

鈴木宗男

1990-06-13 第118回国会 衆議院 外務委員会 第9号

私は、昨年日本に来られましたヤコブレフさんとも二回にわたっていろいろと突っ込んだお話し合いもさせていただきました。やがてお越しになるシェワルナゼ外務大臣ともいろいろな話をしなければならないと考えておりまして、まず常に日ソ間のお互いが信頼し合える立場でこれからの日ソの問題を協議する関係をつくらなければならない。

中山太郎

1990-06-01 第118回国会 参議院 内閣委員会 第5号

○翫正敏君 とおっしゃいますけれども、去年の十一月にゴルバチョフ大統領ナンバーツーヤコブレフさんが来日されましたときにはこんなふうにおっしゃっておられるわけで、「問題があるとしても、その解決に第三の方法、つまり、四島一括返還平和条約締結日本案領土問題棚上げ経済交流拡大ソ連案との間に妥協案はないかという姿勢であった」、こういうことをおっしゃったわけであります。

翫正敏