2004-06-15 第159回国会 参議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第2号
かつてソ連が、最後の段階ですが、ゴルバチョフ時代、ゴルバチョフの右腕と言われたヤコブレフという、肩書は大統領顧問でしたけれども、実際外交問題などは彼が動かしていたと言われているその人物が日本に来たときにたまたま会う機会がありました。二人だけで会ったんですが、そのときに彼が言ったのは、日本政府の外交のやり方はおかしいと。
かつてソ連が、最後の段階ですが、ゴルバチョフ時代、ゴルバチョフの右腕と言われたヤコブレフという、肩書は大統領顧問でしたけれども、実際外交問題などは彼が動かしていたと言われているその人物が日本に来たときにたまたま会う機会がありました。二人だけで会ったんですが、そのときに彼が言ったのは、日本政府の外交のやり方はおかしいと。
かつて、ソ連時代にゴルバチョフ大統領の右腕と言われたヤコブレフ氏が私に、日ソ交渉の場面で日本政府は、北方領土という石を交渉をしようとする部屋の入り口に置いて、この石をどけなければ交渉を始めないという態度をとり続けてきている、これは日本政府の大きな過ちだと思うということを言いましたが、日朝国交正常化交渉においても同様のことが言えると思います。
かつて、日ソ平和条約交渉についてソ連のゴルバチョフ大統領の右腕と言われたヤコブレフ顧問が私に、日本政府は交渉する部屋の入り口に領土問題という大きな石を置いて、それを片づけなければ交渉の部屋に入らない、こういう態度をとっていると非難しておりました。このことは日朝交渉でも言えると思います。
かつてソ連時代、ゴルバチョフ時代ですが、ヤコブレフさんというゴルバチョフ大統領の右腕と言われた人が私に、日本の外務省のやり方はおかしいと。部屋に入って交渉しましょうというときに、その部屋の入り口に大きな石を置いて中に入れないようにする。
ロシア・インタファクスによりますと、ロシアの戦略ロケット軍のヤコブレフ司令官、多分発射は失敗し、弾道がそれたためロシアの警戒システムのゾーンには入らなかった、こういうようなことを述べているのだそうであります。
それで、そういう状態で着弾したわけですが、これは防衛庁の方にお聞きしたいのですが、昨日の安全保障委員協議会の中で、ロシアのインタファクスによればヤコブレフ戦略ロケット司令官がいろいろなことを言っているという報道がありました。
○西村(六)政府委員 ヤコブレフ総司令官のコメントにつきまして、大使館におきまして、一日でございますけれども、ロシア国防省プレスセンター及びロシアの戦略ロケット軍総司令部のプレスセンターに口頭によりまして確認をいたしましたところ、先方の回答は以下のとおりでございます。
実はソ連時代、ゴルバチョフ大統領のときですけれども、ヤコブレフ顧問が来日をされて、私も会う機会がありましたら、ヤコブレフさんは、日本との外交交渉のときには、しばしば日本政府が交渉の部屋の入り口に大きな石を置いて入れないようにしてしまって、それで交渉をやろうやろうと言うけれども、自分たちは入るわけにいかないんだ、入れないんだと。
○田英夫君 これは大分前、一九九〇年か九一年、まだソ連の時代、ゴルバチョフ大統領時代ですけれども、ゴルバチョフ大統領の特使としてヤコブレフ氏が来日いたしましたときにたまたま会う機会がありましたが、いわゆる日ソの交渉、特に北方領土の問題の絡んだ交渉ということが話題になったときに、日本政府は交渉をしようとして部屋に入ろうとすると、その部屋の入り口に大きな石を置いて部屋の中に入れないようにする癖があると。
また、ロシアの人権回復委員会のヤコブレフ議長は、人間は戦争をやめず、犯罪をやめず、自然を破壊し続けていますと、このように述べているわけでございます。 この二十世紀は、一言で言って、余りに人間が人間を殺し過ぎました。戦争と革命の世紀と言われますように、二度にわたる世界大戦や相次いだ革命など、今世紀は血なまぐさい激動の連続であったように思います。
○大出委員 渡辺さん、私も櫻内さんなどと一緒にモスコーへ行って、シェワルナゼさんが外務大臣のころ、議長ヤコブレフさんなどなどの時代ですが、北方四島を素直に返せとさんざん毒づいてきた一人ですよ。だけれども、事こうなると、きのう、きょう、あしたというここに来ると、やはりいろいろあるけれども、私も陸軍少尉なものですから、私の兵隊仲間だってたくさん死んでいるのだから。
これはヤコブレフさんが私に言った言葉ですが、日本政府はどうも交渉しようというとドアの入り口に何か石を置いて中に入れないで、この石をどけたら中に入って交渉する、こういう言葉を言いました。
ヤコブレフあるいはシェワルナゼ氏の、何といいますか離反といいますか、あるいはまた軍部の抵抗といったもの、あるいは産軍共同体の動きといったようなものが見られたわけでありますけれども、私は、今回のクーデターの失敗によって真の意味でのソ連の新しい時代を受け入れる条件が整ってきた。
したがって、そういう意味で、シェワルナゼ外相がやめる、最近はヤコブレフ大統領補佐官がやめる、そして人事はすべて保守派の中から選んだという状況で、ずっと保守派寄りになったと思うのです。 しかし、このクーデターが起きる数カ月前からは、ゴルバチョフさんの姿勢はどちらかというと改革派の方に急速に向いてきたのではないかなと思うのです。
六月中旬以降、シェワルナゼ前外相、ヤコブレフ大統領首席顧問ら改革派が共産党を脱退いたしまして、新政治組織結成に同調するとの動きを見せておりました。 我が国といたしましては、これまでソ連において推進されてきましたペレストロイカ、新思考外交の積極的、肯定的な基本路線に影響が出てくることに大きな懸念を有しております。
ヤコブレフ現大統領顧問やあるいはシェワルナゼ外相などと話し合いをしてまいりました。そのときに強く感じましたことは、やはりいろいろありますけれども、ゴルバチョフのペレストロイカを成功させなければ日本との関係も進展はしない。シェワルナゼは、我々が敗れればその後に来る政権は軍服を着た力強い男とかあるいはそういうたぐいの人だということをはっきり言っておりました。
○神田委員 ヤコブレフ現大統領顧問、その方との会談の中で、彼は国境問題につきまして、国境問題はまず配備されておる軍隊を撤退させる、次に国境警備隊を置く、そうして次には国境警備隊を撤退させて税関を置く、最後にはその税関もなくして自由交流にするのだ、そういう理想を語っておりました。
だからこそヤコブレフさんがもうまさにあのときから、おととしからずっとソ連側が引いてきた路線に日本がまんまとと言っては言葉が悪いかもしれませんが、その路線に乗ったのが私は最低ここの部分ではないかというふうに読めて仕方がないのです。 こういった経済問題についてはどうなさるのか、その点も伺いたい。
○堂本暁子君 おととしの十一月になりますが、ヤコブレフさんが見えたときに、これは中山大臣に私は、ヤコブレフさんは盛んに第三の道ということを言っている、大臣はどうお考えになりますかということを質問申し上げました。大臣はそのときに、日本としては四島一括返還、その原則を守っております、政経不可分というふうにおっしゃいました。
○田英夫君 ヤコブレフさんが来日されたときに話し合う機会がありましたので、実は彼も同じ意見だということを言ったのですが、私が申しましたのは、日本政府のやり方は、部屋の入り口に大きな石を置いて、この石をどけなければ部屋の中に入って話し合いはできない、こういうことじゃないか。石があることは事実です。これは北方領土ですね。
どういうことかというと、外交交渉には妥協が必要なんだ、ソ連も妥協するけれども日本も妥協してほしいということで、抽象的に言いますと、ヤコブレフという人が第三の道と言ったことを、もう少し詳しく言うとこの言葉になるわけでございます。しかしこれは日本側からは受け入れられないわけです。日本は、正札商法に似たごとく、デパートでつけた値段はもうまからないわけです。
先ほどもお話がありましたように、ソ連極東研究所の所長が、ヤコブレフさんという実質的なソ連ナンバーツーの方の言葉を解説した記事が各紙に載っております。
あるいはヤコブレフさんのように第三の道という言葉を使われた方もいらっしゃいますし、先般来られたエリツィンさんと私との話では、二十一世紀にかけて段階的に領土問題を解決したらどうかという話もございます。日本にもいろいろな意見がございます。
さて、大臣、きょうの新聞等を見ますと、例えばソ連のヤコブレフ政治局員が北方領土は多段階で解決すべきだとか、あるいはいろいろな道を考えなくてはいけないとか、相当な話が来ております。さらに向こうの、ソ連の研究所のチタレンコ所長はこのヤコブレフ発言を受けて、これは多段階の解決策を示したのだみたいな話も出ています。
そしてまた、昨年の末に来日をされたソ連のナンバーツーと言われますヤコブレフ氏の国内における発言でも、日本の主張、ソ連の主張、それを足して二で割るかどうかわかりませんが、第三の道というようなものも模索するということが必要ではないかというような発言もあったかと思います。
私は、昨年日本に来られましたヤコブレフさんとも二回にわたっていろいろと突っ込んだお話し合いもさせていただきました。やがてお越しになるシェワルナゼ外務大臣ともいろいろな話をしなければならないと考えておりまして、まず常に日ソ間のお互いが信頼し合える立場でこれからの日ソの問題を協議する関係をつくらなければならない。
○翫正敏君 とおっしゃいますけれども、去年の十一月にゴルバチョフ大統領のナンバーツーのヤコブレフさんが来日されましたときにはこんなふうにおっしゃっておられるわけで、「問題があるとしても、その解決に第三の方法、つまり、四島一括返還で平和条約締結の日本案と領土問題棚上げで経済交流拡大のソ連案との間に妥協案はないかという姿勢であった」、こういうことをおっしゃったわけであります。