2004-03-02 第159回国会 衆議院 外務委員会北朝鮮による拉致及び核開発問題等に関する小委員会 第3号
それで、私は農村の方に出ていきまして、咸興市の方でやっておりますヤギ牧場で仕事をすることになりました。私がそのヤギ牧場で仕事をしている間、北では苦難の行軍という非常に厳しい行軍がございました。 その行軍で三百五十万の人が飢え死にをしたというふうに言われております。この三百五十万の人数というのは、当局が公式に発表した数字が三百五十万ということであります。
それで、私は農村の方に出ていきまして、咸興市の方でやっておりますヤギ牧場で仕事をすることになりました。私がそのヤギ牧場で仕事をしている間、北では苦難の行軍という非常に厳しい行軍がございました。 その行軍で三百五十万の人が飢え死にをしたというふうに言われております。この三百五十万の人数というのは、当局が公式に発表した数字が三百五十万ということであります。
私がそのヤギ牧場にいたとき、午前中の放牧というものをやっていたときがありました。そのときに、ある人が私を訪ねてきまして、故郷から手紙が来たというんですね。私はその話を信じることができませんでした。 私は信じられなかったんですけれども、その人が、故郷から来た弟の手紙と、それから弟と母の写った写真を見せてくれたんですね。
やはり、李さんが、生活の実態の問題で、国際大会で、北朝鮮の国民は飢餓で人肉を食べるところまで至っている、こういう発言をしておられるわけですし、先ほど金さんは、苦難の行軍で、ヤギ牧場で生きていったことが奇跡であった、このように発言しておられるし、また陣さんは、山の草や葛の根を食べる生活を強いられてきた、こういうお話をしておられる。