1987-09-04 第109回国会 衆議院 外務委員会 第4号
モンペ姿のおばさんたちは、飲み水用の六個のバケツの水のほとんどを、隊員たちの水筒にいれてやり、体にもかけてやった。 私も聞いてきました。これだけしてやったのに、これが三宅の人情だ、人の心だと言っておりましたけれども、人の心を持った人たちがふるさとを守るために座り込んだんですよ。
モンペ姿のおばさんたちは、飲み水用の六個のバケツの水のほとんどを、隊員たちの水筒にいれてやり、体にもかけてやった。 私も聞いてきました。これだけしてやったのに、これが三宅の人情だ、人の心だと言っておりましたけれども、人の心を持った人たちがふるさとを守るために座り込んだんですよ。
、「戦力がますます深刻化すると、一億特攻の名のもとに家庭の主婦はモンペ姿も勇ましく、ついには本土決戦に備えて、竹やり訓練が連日くりひろげられた。」、こう言っています。これは室蘭の人の例です。 そういうようにして家を守り、町を守ってきた人が戦争に行って、召集令状をもらった人だけは何とかなるけれども、家の中で家庭を守った人間はこういうことについて置き去りになるんでしょうか。
警官はモンペ姿のおばさんをけった、労組のおじさんをなぐった、わたしの姉を踏み倒した。姉の手や足や背中に、まっさおなあざが今も残っている。あのおそろしい、警官をにくむように、こんなことをするのはだれなの。こんなおそろしい命令を出すのはだれなの。」
船内では、一目でそれとわかる真新しい紺の綿入れの工人服を着ていられるのがヴエトナム地区からの方々であり、中共地区からの方々は、赤、黄緑の色とりどりのスエーターあり、モンペ姿に幼子を背負つた婦人、からだより大きな荷物を皆中に縛りつけた子供、あるいは背広にオーバーの紳士というふうに、まことに多彩な光景で、中には番傘にバケツをさげているというほほえましい姿も見受けられたのでございます。
(拍手、笑声)この歴然たる事実は、祖国の一日も速かなる再建を希う健全にして而も良識ある八千万同胞諸君のひとしく認めるところでありまして、曾てはリユツクを担い、モンペをはいて食糧を漁り廻つたあの悲惨な状況を思い浮べますると、全く隔世の感がいたすのは決して私一人ではないと存ずるのであります。
次は思想につきまして一言申しますと、私が数ケ月見た主婦は、寢ても起きても上着はモンペ一枚限り、外出の時は隣りの赤ン坊ではない、三才の子を背負わして貰い、ねんねこで寒さを防ぎ、みすぼらしい様子を隠します。この家は子供三人の五人暮しで、月に一斗は必ず闇米を買います。
大体一戸あたり市均千五百円ずつの公債を強制しつつあるのですが、さらにその他の仕事といたしましては、非常事態の発生を予想しましてモンペをつくれ、あるいは梯子をつくれ、こういうようなことを言いまして、しかもこれは進駐軍関係の命令であると下の方では話しております。
汚い着物やモンペを着ておつても、どつか朗らかな顔をして陰惨な氣分がなかつたのは嬉しく思いました。そのぐらいで一つ……。