2004-05-11 第159回国会 衆議院 武力攻撃事態等への対処に関する特別委員会 第13号
BC戦犯がモンテンルパ刑務所で処刑されていく、あるいはアーロン刑務所で処刑されていく、そういう日本のBC戦犯を見れば、裸にしたなんというのは余りないですよ。どういうことで日本人は捕虜の虐待として殺されていったか。例えば、ゴボウを食べさせた、草の根を食わせた、捕虜虐待だと。それから、抵抗勢力で、ゲリラの隊長が勇敢だった。しかし、それは敵対したから銃殺した。
BC戦犯がモンテンルパ刑務所で処刑されていく、あるいはアーロン刑務所で処刑されていく、そういう日本のBC戦犯を見れば、裸にしたなんというのは余りないですよ。どういうことで日本人は捕虜の虐待として殺されていったか。例えば、ゴボウを食べさせた、草の根を食わせた、捕虜虐待だと。それから、抵抗勢力で、ゲリラの隊長が勇敢だった。しかし、それは敵対したから銃殺した。
これは私も昔読んだ本にありますが、「かんな萌ゆ、いとし妻子にもう会えぬ」、これは、私の記憶では、モンテンルパ刑務所で、処刑を直前にしたBC級戦犯が、窓からかすかに見えるカンナを見て詠んだ句と言われておりますが、こうした思いを二度と繰り返してはならない。その意味で、外務大臣及び法務大臣に、この問題について御説明を要求いたします。
しかしながら、サンフランシスコ平和条約第十一条がございまして、巣鴨であるとかフィリピンのモンテンルパ、マヌス島、オーストラリアでございますけれども、に千二百二十四名が戦犯として服役中であったわけでございます。 そして、当時の資料等を見てみますと、戦犯の釈放の一大国民運動が起きているわけでございます。
さらには、この十一条によりますと、日本内地に服役している者については日本政府の勧告、関係政府の決定があれば減刑等ができますけれども、なおモンテンルパとか豪州あたりにいる海外の者は釈放できない、そういうことに論議がやはり集中しております。外地にいる人を速やかに政府は救出をしろという声が非常にいろいろ論議をされておる。
顧みますれば、大戦に際し、フィリピンの戦場で文字通り九死に一生を得、私がモンテンルパの収容所から母国に帰国してから、早や三十九年が過ぎました。 私が帰国後、いち早く大衆運動や政治運動に積極的に参加したのは、戦争の惨烈さ、全体主義、国家主義の怖さを身に泌みて痛感したからであります。
この間モンテンルパの日本の戦犯を助けたというブニエ博士という方がいらっしゃいました。このモンテンルパの問題を考えても、フィリピンの法律だけでこの人はやったのじゃないのですよ。法律は、人間のためにあるというので、この人は自分の地位をかけて、日本人の百何十人というものを助けておいでになる。私は、こういうような精神というものは非常に大事だと思うのです。
その罪で目下モンテンルパに入ってるとのことであります。 なおタクバックにどろぼうが入る前にビナカスに五人組が入ったのでありますが、そのときに五人組の中の一人は鉄砲を持っておった。しかしこのときにはつかまらなかった。なお四月、五月ごろ、この島の北の地区でとられた水牛の数はずいぶんな数だったということも聞いております。
ちょうどあの講和発効のあとさきを考えてみましても、マヌスの監獄やモンテンルパの死刑囚を、われわれ引揚委員会がほんとうに心血を注いで内地に連れ帰そうとした努力は、今から考えてみても、私どももよく向う見ずにやったと思うほどのことでございます。
それからフィリピンのモンテンルパから内地に引き揚げました者は、昭和二十八年七月でございますが、総数百十一名でございます。上陸と同時に釈放になったのが五十五名、そのまま巣鴨に入所せしめられた者が五十六名でございます。
○田邊政府委員 昭和二十七年四月二十九日以降、外地から帰って参りました先ほど申し上げましたマヌス島及びモンテンルパの戦犯は、この法律にいう引揚者に該当するわけでございます。
平和条約成立以後マヌスあるいはモンテンルパから引き揚げて釈放になった者の数は総計は、マヌスから百九十六名、モンテンルパから百十一名でございます。なお平和条約発効後引き揚げた者の総数は、ほぼ三千名というふうに推定をいたします。
なお、引揚者の中でも、昭和二十七年以降の帰還者であるところのいわゆる長期強制抑留者、マヌス島、モンテンルパから帰ってきた方々もございます。それから、中共から同様の事情のもとにあってお帰りになった方々もありますが、こういった方々に対しては、年令区分によらずに、最高額の一万八千円を支給するということにいたしたのであります。
しいて申しますれば、内地で拘禁されておったといっても、それは外地のマヌス、モンテンルパの異郷の地で拘禁されておった方とは事情が違う、ソ連、中共の地において戦犯者として拘禁されておった人とは、心身の労苦の点において違うものがあったろう、かたがた先ほど言ったような基準というものを作らなければならぬという理由等から、今回はそういった方々は除外するほかあるまいということに、いろいろ検討の結果、きまったのでございます
○山下(春)委員 一般戦犯者の処遇につきましては、非常な権威者であられる田邊さんのことですから、もちろん公平を欠くようなことはなさらなかったと思うのでございますが、そこで範囲を非常に縮小して、巣鴨の戦犯者ということになりますと、これは講和発効後に引き揚げたということになりますと、御承知のように、濠州のマヌス島、フィリピンのモンテンルパと限られた二つのケースだけであります。
平和条約の発効に伴い、日本政府に移管された巣鴨在所者九百二十七名、その後モンテンルパ、マヌス等から巣鴨に送還された者は二百十七名でありますが、これらの人々は平和条約の規定により、わが方の勧告と関係国の同意とによって出所を許されることとなっておりますので、政府は従来から機会あるごとに関係者に対して全面赦免の勧告を行うほか、個々の人について一回ないし数回の仮出所または赦免、減刑の勧告を行い、熱心に出所の
私、実はフィリピンのモンテンルパに参りましたときに、やはりあのときに同じ死刑囚の、死刑の判決を受けた人たちがまあ日本の講和条約が最初草案が発表されたときに、非常にフィリピン側が憤慨をして、その晩のうちに十四名が死刑にされた。
これは実は法王のカトリツク国に対する影響力等も考慮いたしまして、戦争中に日本に対して好意援助を頂いておりますモンテンルパの戦犯釈放を初めといたしまして今後においてもいろいろ日本に好意的なことも願つておるというような関係で、今度海外に参りますうちにこのバチカンを訪問する予定になつております。かような次第で明朝会うことになつておるわけです。
ところが、先般横、浜ヘモンテンルパから帰つて参りましたときは、国民的の圧倒的な歓迎を受けておるわけなんですが、少しこの点にはなおしこりがあると思うのです。濠州政府から、このたびのマヌス引揚げに対して何か英雄的な迎え方みたようなものにしないようにという、少しアイロニカルな申入れがあつたということも、その間の事情を裏書きしておるのではないかと思う。
マヌス島あるいはモンテンルパから帰られた人が、巣鴨におられて、釈放されるときに一万円の帰還手当を出されることにきまつた、ところが、今まで巣鴨におつた人が出るときにはそれを出さぬということは、これは私は間違いだと思うのです。
私たちも、せんだつて横浜さん橋にモンテンルパからの引揚者を迎えに行つたのでありますが、大臣はその際お見えにならなかつたと思いますが、国民的感情として、長い間苦労された人、また遺骨になつて帰つて来た人、それを迎える気持が非常によかつた。しかし、どうしてもあの竹芝さん橋では狭い。行つた者がきゆうくつする。
御承知の通りに、そのころから、一つはフィリピンのモンテンルパから釈放される、あるいはこちらに送還される方の輸送の問題があり、それに引続きまして、マヌス島からこちらへの送還問題がございましたので、これが離船につきまして、一つは引揚船の白山丸をこれに使い、もう一つは引揚船の白龍丸をこれに使うことにいたしまして、大体白山丸の方は、その次のこちらから中国の方に配船をいたしますまでに聞に合うという一つの確信をもつていたしたのでありまするが
戦争受刑者に対する外国の感情が著しく緩和して来たことはモンテンルパやマヌスから帰つて来ることによつてもよく立証されておると思います。又国民感情につきましても、もはや私は心配はないと、かように見ておるのであります。これは過般モンテンルパから横浜に帰りましたあのさん橋の光景を御覧になつた方ならばどなたでも御異存はないと思います。
実は先ほど来、涙なくしては聞き得ない御報告を伺いまして、丁度昨年の今月の二十六日、明日、モンテンルパでお目にかかつたわけでございます。あのモンテンルパで約一時間半に亙ります涙の会見は、もう永久に私は忘れることができないと思います。
非常に長い間御苦労されて、而も先生が、血涙をしぼつて、当時のモンテンルパにおりました横山中将以下の死刑囚の方々が、血判を以て当委員会に釈放歎願の手続を、あなたの手を通じて日本国民に訴えて頂いて、そうして今日無事帰還をし、親元に帰られ、或いは巣鴨に行かれて、懐かしい祖国の土を踏むことができたのも、これひとえにあなたの絶大なるお力によるためと思いまして、私、当時、委員長であり、且つ又今日皆様と共にこの特別委員会
千田 正君 委員 大谷 瑩潤君 榊原 亨君 林 了君 藤原 道子君 政府委員 引揚援護庁長官 木村忠二郎君 参考人 加賀尾秀忍君 ————————————— 本日の会議に付した事件 ○未帰還者に関する件 (日本人戦犯者のフイリピン共和国 モンテンルパ
今日は今朝ほど白山丸が入港いたしまして、モンテンルパに長いこと囚われの身であつた方々が日本に帰国をされましたので、このことは国民一同が非常に喜んでおることでございます。
○中野委員 先日もちよつと、モンテンルパの方々が釈放され、あるいは本国へ引揚げるについての点について御質問したときにも感じたことですが、どうも外務省と厚生省の間に緊密な連絡を欠いておるおそれが多分にあると思う。どうも外務省は秘密主義を守つて、なるべく厚生省の方々に漏らさないような傾向が見えておる。
○中野委員 田邊さん、それはちよつとたよりないのですが、従来外地から引揚げて来る者、これに対しては向うでもちろん注射をして参りますけれども、内地へ着いてから検疫期間がたしか二週間きめられておるはずなんだが、それは全然今度は適用せずに、モンテンルパから帰つて来た人たちは、ただちに所要の手続が終つて自宅に帰れるようになつておりますか。そう了承してよろしいのですか。
○中野委員 この際特に重要な点について伺つておきたいのですが、モンテンルパにおける戦犯の方々はキリノ大統領の御好意によつて死刑の方々を無期として内地における服務を許してくれて、しかもその際伝え聞くところによれば、これらの人々も本年中にはおそらく釈放されるであろうと伝えられていることは、国民ひとしく大きな希望を持つておるところであります。