運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
47件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2004-05-11 第159回国会 衆議院 武力攻撃事態等への対処に関する特別委員会 第13号

BC戦犯モンテンルパ刑務所で処刑されていく、あるいはアーロン刑務所で処刑されていく、そういう日本BC戦犯を見れば、裸にしたなんというのは余りないですよ。どういうことで日本人捕虜虐待として殺されていったか。例えば、ゴボウを食べさせた、草の根を食わせた、捕虜虐待だと。それから、抵抗勢力で、ゲリラの隊長が勇敢だった。しかし、それは敵対したから銃殺した。

首藤信彦

2004-04-13 第159回国会 衆議院 本会議 第23号

これは私も昔読んだ本にありますが、「かんな萌ゆ、いとし妻子にもう会えぬ」、これは、私の記憶では、モンテンルパ刑務所で、処刑を直前にしたBC級戦犯が、窓からかすかに見えるカンナを見て詠んだ句と言われておりますが、こうした思いを二度と繰り返してはならない。その意味で、外務大臣及び法務大臣に、この問題について御説明を要求いたします。  

首藤信彦

2001-05-24 第151回国会 参議院 内閣委員会 第11号

しかしながら、サンフランシスコ平和条約第十一条がございまして、巣鴨であるとかフィリピンモンテンルパ、マヌス島、オーストラリアでございますけれども、に千二百二十四名が戦犯として服役中であったわけでございます。  そして、当時の資料等を見てみますと、戦犯釈放一大国民運動が起きているわけでございます。

森田次夫

1988-04-15 第112回国会 参議院 決算委員会 第2号

さらには、この十一条によりますと、日本内地に服役している者については日本政府勧告関係政府の決定があれば減刑等ができますけれども、なおモンテンルパとか豪州あたりにいる海外の者は釈放できない、そういうことに論議がやはり集中しております。外地にいる人を速やかに政府は救出をしろという声が非常にいろいろ論議をされておる。

板垣正

1985-10-16 第103回国会 衆議院 本会議 第2号

顧みますれば、大戦に際し、フィリピンの戦場で文字通り九死に一生を得、私がモンテンルパ収容所から母国に帰国してから、早や三十九年が過ぎました。   私が帰国後、いち早く大衆運動政治運動に積極的に参加したのは、戦争の惨烈さ、全体主義国家主義の怖さを身に泌みて痛感したからであります。   

坂田道太

1966-07-28 第52回国会 衆議院 法務委員会 第6号

この間モンテンルパ日本戦犯を助けたというブニエ博士という方がいらっしゃいました。このモンテンルパの問題を考えても、フィリピン法律だけでこの人はやったのじゃないのですよ。法律は、人間のためにあるというので、この人は自分の地位をかけて、日本人の百何十人というものを助けておいでになる。私は、こういうような精神というものは非常に大事だと思うのです。

神近市子

1959-12-10 第33回国会 衆議院 社会労働委員会 第12号

その罪で目下モンテンルパに入ってるとのことであります。  なおタクバックにどろぼうが入る前にビナカスに五人組が入ったのでありますが、そのときに五人組の中の一人は鉄砲を持っておった。しかしこのときにはつかまらなかった。なお四月、五月ごろ、この島の北の地区でとられた水牛の数はずいぶんな数だったということも聞いております。

板垣徹

1957-04-03 第26回国会 衆議院 社会労働委員会海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会連合審査会 第1号

ちょうどあの講和発効あとさきを考えてみましても、マヌスの監獄やモンテンルパ死刑囚を、われわれ引揚委員会がほんとうに心血を注いで内地に連れ帰そうとした努力は、今から考えてみても、私どももよく向う見ずにやったと思うほどのことでございます。

山下春江

1957-03-20 第26回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第8号

なお、引揚者の中でも、昭和二十七年以降の帰還者であるところのいわゆる長期強制抑留者マヌス島、モンテンルパから帰ってきた方々もございます。それから、中共から同様の事情のもとにあってお帰りになった方々もありますが、こういった方々に対しては、年令区分によらずに、最高額の一万八千円を支給するということにいたしたのであります。  

田邊繁雄

1957-03-20 第26回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第8号

しいて申しますれば、内地で拘禁されておったといっても、それは外地マヌスモンテンルパの異郷の地で拘禁されておった方とは事情が違う、ソ連、中共の地において戦犯者として拘禁されておった人とは、心身の労苦の点において違うものがあったろう、かたがた先ほど言ったような基準というものを作らなければならぬという理由等から、今回はそういった方々は除外するほかあるまいということに、いろいろ検討の結果、きまったのでございます

田邊繁雄

1957-03-20 第26回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第8号

○山下(春)委員 一般戦犯者の処遇につきましては、非常な権威者であられる田邊さんのことですから、もちろん公平を欠くようなことはなさらなかったと思うのでございますが、そこで範囲を非常に縮小して、巣鴨戦犯者ということになりますと、これは講和発効後に引き揚げたということになりますと、御承知のように、濠州のマヌス島、フィリピンモンテンルパと限られた二つのケースだけであります。

山下春江

1955-07-29 第22回国会 衆議院 法務委員会 第44号

平和条約発効に伴い、日本政府に移管された巣鴨在所者九百二十七名、その後モンテンルパ、マヌス等から巣鴨に送還された者は二百十七名でありますが、これらの人々平和条約の規定により、わが方の勧告関係国の同意とによって出所を許されることとなっておりますので、政府は従来から機会あるごとに関係者に対して全面赦免勧告を行うほか、個々の人について一回ないし数回の仮出所または赦免減刑勧告を行い、熱心に出所

小泉純也

1954-09-17 第19回国会 参議院 議院運営委員会 閉会後第2号

これは実は法王のカトリツク国に対する影響力等も考慮いたしまして、戦争中に日本に対して好意援助を頂いておりますモンテンルパ戦犯釈放を初めといたしまして今後においてもいろいろ日本好意的なことも願つておるというような関係で、今度海外に参りますうちにこのバチカンを訪問する予定になつております。かような次第で明朝会うことになつておるわけです。

福永健司

1953-08-06 第16回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第11号

ところが、先般横、浜ヘモンテンルパから帰つて参りましたときは、国民的の圧倒的な歓迎を受けておるわけなんですが、少しこの点にはなおしこりがあると思うのです。濠州政府から、このたびのマヌス引揚げに対して何か英雄的な迎え方みたようなものにしないようにという、少しアイロニカルな申入れがあつたということも、その間の事情を裏書きしておるのではないかと思う。

柳田秀一

1953-08-04 第16回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第10号

たちも、せんだつて横浜さん橋にモンテンルパからの引揚者を迎えに行つたのでありますが、大臣はその際お見えにならなかつたと思いますが、国民的感情として、長い間苦労された人、また遺骨になつてつて来た人、それを迎える気持が非常によかつた。しかし、どうしてもあの竹芝さん橋では狭い。行つた者がきゆうくつする。

長谷川峻

1953-07-28 第16回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第9号

承知の通りに、そのころから、一つフィリピンモンテンルパから釈放される、あるいはこちらに送還される方の輸送の問題があり、それに引続きまして、マヌス島からこちらへの送還問題がございましたので、これが離船につきまして、一つ引揚船白山丸をこれに使い、もう一つ引揚船白龍丸をこれに使うことにいたしまして、大体白山丸の方は、その次のこちらから中国の方に配船をいたしますまでに聞に合うという一つの確信をもつていたしたのでありまするが

木村忠二郎

1953-07-27 第16回国会 参議院 内閣委員会 第23号

戦争受刑者に対する外国の感情が著しく緩和して来たことはモンテンルパマヌスから帰つて来ることによつてもよく立証されておると思います。又国民感情につきましても、もはや私は心配はないと、かように見ておるのであります。これは過般モンテンルパから横浜に帰りましたあのさん橋の光景を御覧になつた方ならばどなたでも御異存はないと思います。

福留繁

1953-07-25 第16回国会 参議院 中共地域からの帰還者援護に関する特別委員会 第6号

非常に長い間御苦労されて、而も先生が、血涙をしぼつて、当時のモンテンルパにおりました横山中将以下の死刑囚方々が、血判を以て当委員会釈放歎願手続を、あなたの手を通じて日本国民に訴えて頂いて、そうして今日無事帰還をし、親元に帰られ、或いは巣鴨に行かれて、懐かしい祖国の土を踏むことができたのも、これひとえにあなたの絶大なるお力によるためと思いまして、私、当時、委員長であり、且つ又今日皆様と共にこの特別委員会

千田正

1953-07-25 第16回国会 参議院 中共地域からの帰還者援護に関する特別委員会 第6号

           千田  正君    委員            大谷 瑩潤君            榊原  亨君            林   了君            藤原 道子君   政府委員    引揚援護庁長官 木村忠二郎君   参考人            加賀尾秀忍君   —————————————   本日の会議に付した事件 ○未帰還者に関する件  (日本人戦犯者フイリピン共和国  モンテンルパ

会議録情報

1953-07-20 第16回国会 衆議院 厚生委員会海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会連合審査会 第1号

中野委員 先日もちよつと、モンテンルパ方々釈放され、あるいは本国へ引揚げるについての点について御質問したときにも感じたことですが、どうも外務省厚生省の間に緊密な連絡を欠いておるおそれが多分にあると思う。どうも外務省秘密主義守つて、なるべく厚生省方々に漏らさないような傾向が見えておる。

中野四郎

1953-07-20 第16回国会 衆議院 厚生委員会海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会連合審査会 第1号

中野委員 田邊さん、それはちよつとたよりないのですが、従来外地から引揚げて来る者、これに対しては向うでもちろん注射をして参りますけれども、内地へ着いてから検疫期間がたしか二週間きめられておるはずなんだが、それは全然今度は適用せずに、モンテンルパから帰つて来た人たちは、ただちに所要の手続終つて自宅に帰れるようになつておりますか。そう了承してよろしいのですか。

中野四郎

1953-07-20 第16回国会 衆議院 厚生委員会海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会連合審査会 第1号

中野委員 この際特に重要な点について伺つておきたいのですが、モンテンルパにおける戦犯方々はキリノ大統領の御好意によつて死刑方々を無期として内地における服務を許してくれて、しかもその際伝え聞くところによれば、これらの人々も本年中にはおそらく釈放されるであろうと伝えられていることは、国民ひとしく大きな希望を持つておるところであります。

中野四郎