1954-04-28 第19回国会 衆議院 文部委員会 第28号
それで私どものところに、帰りがけにモルトンが見舞いに行こうじやないかというので、東大の病院に参りまして、病室に連れて行つて、前からなじみの患者に対し少し診察らしいものを――診察といつてもあまり手は触れませんでしたけれども、患者の顔を一々見てまわつたわけであります。
それで私どものところに、帰りがけにモルトンが見舞いに行こうじやないかというので、東大の病院に参りまして、病室に連れて行つて、前からなじみの患者に対し少し診察らしいものを――診察といつてもあまり手は触れませんでしたけれども、患者の顔を一々見てまわつたわけであります。
私の記憶では二十年の十一月頃だと思いますが、GHQのPHWのモルトン少佐という方が主として行路病人及び死亡人関係の仕事を担当しておられました。
その趣旨は、我が民族性の美風と、國土を愛するという心を植えつけるために、植樹節を設定せられたいという趣旨でありまして、米國などでは各州にアーボア・デー即ち樹木の日がありますし、曾てネブラスカ州でそのモルトン知事がこういうことを始めて、可なり廣い範囲でアメリカでも行われるようになつておりますし、イタリーでもギドー・バチェリー農林大臣がやはりこういう樹の祭を始めました。
これは長い間遺傳学上昔は問題になつたのでありまして、有名なのはダーウイン先生の書かれておるモルトンの馬というのがあります。これはモルトンの有名な事件で、その後遺傳学者も大いに研究して否定されたのでありますが、その当時アラブ種の栗毛の馬に縞馬をかけた。