1948-09-27 第2回国会 参議院 司法委員会眞木事件に関する小委員会 閉会後第6号
ところが四月の二十一日にですね、その前にメーデー実行準備委員会の方でやはり正式に警視廳に宮城前廣場を使いたいという申入がありまして、いよいよそれがはつきりした形になつて現われましたので、四月二十一日に警視廳に兩者の責任者を招致したのであります。その際に新鋭大衆党から眞木康年、メーデー実行準備委員会の方から産別代表としまして細谷松太氏、それから總同盟の代表としまして原虎一氏、高野実氏が見えた。
ところが四月の二十一日にですね、その前にメーデー実行準備委員会の方でやはり正式に警視廳に宮城前廣場を使いたいという申入がありまして、いよいよそれがはつきりした形になつて現われましたので、四月二十一日に警視廳に兩者の責任者を招致したのであります。その際に新鋭大衆党から眞木康年、メーデー実行準備委員会の方から産別代表としまして細谷松太氏、それから總同盟の代表としまして原虎一氏、高野実氏が見えた。
○証人(三枝三郎君) これは正式に届出はないのですが、第十八回メーデー実行準備委員会、これがまだそのときは結成されておらなかつたように思いますが、いずれにしてもそういうような労働組合関係の人たちが集まつて計画を持つていたということは聞いておりました。それは昭和二十一年と同樣であります。正式にはまだ四月七日にメーデー実行準備委員会の方では届出はないのであります。