2021-02-26 第204回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第2号
一九六八年、メキシコ・オリンピックのときのチャスラフスカさんの行動であったり、その後、オリンピックなどの、アメリカの陸上選手の行動であったりとか、多くの人々の印象に残るような活動というのが私はあったと思っております。
一九六八年、メキシコ・オリンピックのときのチャスラフスカさんの行動であったり、その後、オリンピックなどの、アメリカの陸上選手の行動であったりとか、多くの人々の印象に残るような活動というのが私はあったと思っております。
その前の二回のオリンピック、ミュンヘン・オリンピック、その前のメキシコ・オリンピック、いずれも代表選手で決まったんですけれども、そのときにはちょっと協会の事件やら何やらありまして、出場辞退というのを二回やりましたので、ちょっともう選手としてはと思ったんですけれども、三回目の全日本で、また全日本選手権をとったものですから選手に選ばれましたので、これが最後かと思って、昭和五十六年に出させていただいたんですけれども
そして、四年後の一九六八年のメキシコ・オリンピックまでの四年間にわたって、この東京の科学会議で出された提言を持ち回りで四年間審議して、そして、四年後のメキシコ・オリンピックのオリンピック科学会議で採択したものがあります。 そこにおけるスポーツの定義が、第一条件が、スポーツはプレーの性格を持っている、つまり、遊びの性格を持っているという定義です。
サッカーがきょうあるのは、メキシコ・オリンピックで釜本、杉山、横山、そうした選手たちが頑張って銅メダルをとった、あれからサッカーブームが起きてきたわけです。卓球の福原選手もそうですし、フェンシングの太田選手がとった途端にフェンシングの選手がふえた。ゴルフなんかは、まさに石川遼、それから宮里藍選手とか。そういう、やはりあこがれを持つ、そうすると、自分もやりたいですねと、そしてそこに参画をしていく。
今のサッカーも、あのメキシコ・オリンピックの横山、杉山、釜本、あれまでは野球全盛だったのが、ああいう人たちで初めてサッカーがふえてきた。それこそ副大臣はサッカーの専門家でありますから。 ですから、そういう意味で、どちらが先じゃないんですが、やはりトップスポーツをしっかりサポートしていく、そういう感覚は必要かなと。
松浪議員は、大学生時代はアマチュアレスリングで活躍をされ、メキシコオリンピックの日本代表候補の選手にもなり、全米選手権でも優勝し、また、現役を退かれた後は指導者として私を含めたくさんの選手を指導され、それから国情の不安なアフガニスタンに赴かれて国立カブール大学で教鞭をとられ、日本に帰ってこられても引き続きスポーツ人類学という分野で活躍をされて、大学スポーツの現状も非常によく御理解しておられる方であり
○寺前分科員 六四年の東京オリンピックのマラソンで銅メダルをとった円谷幸吉選手は、その後のメキシコ・オリンピックで金メダルをとれという至上命令に対して、猛練習をやって、ついに体を壊し、もう走れませんという遺書を残して自殺をされたというのは有名な話です。日の丸を上げるという国家目的に選手が道具として利用されるというようなことの、そういう悲劇的な結末だと広く言われているわけです。
しかしたとえば、これはどこへ行ったときですか、宗兄弟以下五人の長距離ランナーが、メキシコの西郊にあるメキシコオリンピックトレーニングセンター、これは宿泊場も兼ねているようですが、そこの空気の希薄なところで訓練しなければいけないというので、わざわざメキシコまで出かけていっているのですね。宗兄弟ほか三人、五人で行っている。そして監督、指導者も一緒に行って七人ぐらい行っているのです。
しかし、御指摘のとおりに、これは民族の祭典、国際的行事でありまするから、われわれも、かつて東京オリンピック、またはメキシコ・オリンピックを通じて、大変な喜びと興奮を感じた経験があるわけですから、現在の青少年にもそういった気持ちを与えてやりたいわけですから、私はすべての国民が必ずその立場で見れるように、飛び込んでいく勇気はありませんが、最終的にはすべての国民がその与えられた居住地で、テレビを通じてその
まず前文ですが、ここにメキシコオリンピックそれからモントリオールの契約書があります。「世界の緊張緩和および世界の全国民間の平和の強化に役立つものである。」「ソビエト・日本両国民の有益な理解に」と、こうあります。私は、これはまくら言葉としてまあある意味ではそれなりに是認はできるのです。
また、ミュンヘンオリンピックにおけるほぼ同様な意向調査におきましては、カヌーの決勝の四六・七%を筆頭にいたしまして、男子バレーの準決勝が四一%、メキシコオリンピックにおきましては開会式が二六・七%という結果でございます。
退去命令をスリランカ共和国から出されておられることは、外務大臣でございますからよく御存じであろうと思いますし、リーダースダイジェストで読みましたが、メキシコのKGB乗っとり作戦というのが四カ月にわたって連載をされておりましたのを読みますと、メキシコ・オリンピックの直前にメキシコで大暴動を起こしたあの連中、首謀者は、全部東ドイツを通じて北朝鮮へ入って軍事訓練を受けております。
○参考人(坂本朝一君) 御承知のように「ふるさとの歌まつり」を例にとれば、先般のメキシコオリンピックのときメキシコで公開録画したというような前例もございますし、「ふるさとの歌まつり」に限らず、できるだけそういう意味の海外協力ということは、当然、姿勢として考えていかなきゃいけないだろうというふうに考えております。
その意味で、近づくメキシコ・オリンピックのカラー宇宙中継がカラーテレビブームをまき起こすことができるかどうか、注目されるところである。 こういっておるんですよ。
特にクレー射撃におきましては、メキシコ・オリンピックの際にも弾丸の横流し事件等がありまして、今回の国体事件、さらにアマチュア資格問題とかあるいは賭博問題あるいは経理の問題等もう不祥事が重なっているわけです。こうしたおりですね、来年クレー射撃の世界選挙権大会が日本において予定されておる。
それから先ほど御質問にございました日本ケーブルビジョンにつきましては、一昨年投資いたしました、メキシコ・オリンピックのために投資いたしましたケーブルあるいは施設が、当時の建設費の費用で約四百五、六十万ございますが、その現物出資というものの評価、そういうことがまだ確定していないということでございますので、先ほど局長が申しましたように、若干おくれておりますけれども、それぞれの理由でおくれているということでございまして
ちょうど一昨年のメキシコオリンピックのときに、たまたま新宿の地区でいま申し上げたようなCATVを企業としてやりたいというものがあらわれまして、これを開始しようとしたわけです。もちろん、その場合は届け出でよろしいわけですけれども、御存じのように、放送業者の同意が必要でございます。
と申しますのは、この財団法人の発端となりましたのは、一昨年のメキシコオリンピックのときにおきまして、新宿地区においてある企業が、企業的にビル陰の難視聴を解消しようということを思いついたのが発端でございまして、東京におきましては、新宿のほかにいろいろございますけれども、新宿の駅の前あたりが相当ビル陰難視聴であるということで、あそこを救済するためにそういったものができたというわけでございまして、現在は、
私どものほうは、線数の変換という問題よりか、むしろ枚数の変換の問題のほうが一そうむずかしいものですから、そういうほうに最初に首を突っ込みまして、いろいろ進めてまいっておりまして、イギリスのBBC等ともいろいろな連絡をとっておりますが、私どもの基本的な特許というものは向こうも全部現在使っているような状況でございますので、できました結果は現在、この前のメキシコ・オリンピックの際に彼らが使いましたものも私
これらは昨年のメキシコオリンピックの際にも使用されたものでございます。それからまた、カラーテレビジョンの信号は、日本のテレビ信号と、それからヨーロツパのテレビ信号とは標準方式が違っております。
そこで、組合といたしましては、メキシコオリンピックを一つの契機といたしまして、ぜひこれを視聴したい、しかもこれを営業に利用したいという強い要望に基づきまして、昨年十月のメキシコオリンピックまでに必ずこれを完成するという条件で着工をさしたわけでございます。
そういうことからいたしますと、これが新宿における一部分の難聴視の解消にすぐ乗り出してやろうというところまで私どもは実はそのときには考えておりませんで、具体的に新宿角筈の方々がメキシコオリンピックを契機にこれを何とか早く解決したいということと結びついて、ただいま御説明があったような経過で渕野氏がこれに入っていこうということになったのでありまして、初めからそこでやろうというような計画ではなかったのではなかろうか
これは昨年秋ごろ、ちょうどメキシコオリンピックが行なわれるということもありまして、この新宿地区でよりよい画像を得たいという話がございまして、NHKも参加をいたしております。また、先ほど電監局長の御説明にございました関東雑音防止協議会から御相談を受けまして現地でいろいろ聴視改善の具体的な指導に入っておりました。