2006-05-31 第164回国会 衆議院 外務委員会 第18号
これでは、私は余りこういう例えはできないのでそれは言いませんけれども、どんどん譲歩していく、どんどん譲歩していった歴史というのはかつてヨーロッパにもあったわけですよ、某所、ミュンヘン会談でどんどん譲歩していったとかですね。私は、全くもって同じようなふうにしか見えない。
これでは、私は余りこういう例えはできないのでそれは言いませんけれども、どんどん譲歩していく、どんどん譲歩していった歴史というのはかつてヨーロッパにもあったわけですよ、某所、ミュンヘン会談でどんどん譲歩していったとかですね。私は、全くもって同じようなふうにしか見えない。
また、一九三八年、昭和十三年には、ヒトラー・ドイツが、オーストリーを併合した後、チェコ・ズデーテン地方に侵入をいたしたのに対して、ミュンヘン会談において、英国のチェンバレン、フランスのダラディエという両首相は、これらの侵略行為を平和的に阻止しようとしましたが、結局、できませんでした。
そして、言われているミュンヘン会談というのがありますね。あれは結局、ヒトラーとムソリーニに、イギリスの総理はチェンバレンですね、それからフランスの総理がダラディエですね、これは言いくるめられちゃったわけですね。ところが、その総理大臣たちが、イギリスやフランスに帰ったら、平和の天使として迎えられているんですね。これなんですよ。これは大変な歴史の教訓なんですね。
また、ミュンヘン会談を学生論文に選んだケネディは、いつ、どのような危機に陥ったときにでも、ただ平和のみを願っておれば戦争になる、断固とした戦う決意をしたときに初めて平和がもたらされる、そして、デモクラシーが守られる、このように書いておるのです。大臣おっしゃるように、流行ではございません。我が国の現在の状況は、第一次世界大戦後のヨーロッパに似ているのではないか、このように思っております。
若しミュンヘン会談のその後の外交政策を誤まれば、数億の民衆を戦火の下に曝すものだということを考えると、モロトフのあの当時の苦しみというものは自分にもわかつておつた。あんなに苦しむくらいなら、自分は政治家をやめたほうがいいと……。