2007-10-31 第168回国会 衆議院 厚生労働委員会 第3号
この下に、上にもありますけれども、「本剤については、外国ではほとんど」、アメリカに限らず「外国ではほとんど使用されていないことから、医療上の必要性をミドリに再検討させ、将来的には使用の縮小の方向にもっていかせる。」これは厚労省のメモなんですね。 これは本当に必要な薬だったのか、大臣の方からお答えできますか。どう思いますか、今になって。
この下に、上にもありますけれども、「本剤については、外国ではほとんど」、アメリカに限らず「外国ではほとんど使用されていないことから、医療上の必要性をミドリに再検討させ、将来的には使用の縮小の方向にもっていかせる。」これは厚労省のメモなんですね。 これは本当に必要な薬だったのか、大臣の方からお答えできますか。どう思いますか、今になって。
フィブリノーゲン・ミドリからフィブリノゲン・ミドリに変えたんですよ。(発言する者あり)ひどいでしょう。フィブリノーゲン・ミドリからフィブリノゲン・ミドリに変えたんですよ。 そのときの社長さん、何という名前か知っていますか。松下さんという人なんですよね。その人は一九七一年のときに何をやっていたか知っていますか。厚生省の薬務局長さんですよね。一九七一年にいいことを決めたんですよ。
○高橋政府参考人 昭和六十三年五月十二日の血液製剤評価委員会の記録、この中で、フィブリノゲンHT・ミドリを使用した、おっしゃるとおり、八百四十六例の中で三十四例の肝炎の発症が見られたということでございます。失礼しました。
そして、この裁判は、国も被告でしょうが、ミドリも被告なんでしょう。少なくともミドリはわかっていた。少なくとも国も、この症例についてはわかっていたから、聞こうと思えば聞けた。それなのに、ことしの六月八日の準備書面で何と言っていますか。昭和六十二年からわかっていながら、いや、そんな投与をしたとは思えないと言って、投与を否定する、そういう主張を国がやっているんですよ。 一体どういうことなんですか。
これ見ますと、要するにフィブリノーゲン―ミドリからフィブリノゲン―ミドリに名称が変更されたということなんですね。この結果、第一次再評価の対象から外れたということで間違いないでしょうか。
これがまさにフィブリノゲン・ミドリでございます。これをこの蒸留水で溶かして、点滴のような形でやっていく。出産のときに大量出血したときにこれでとまる、そういうふうな説明であったわけです。 しかし、これが日本で大体三十数万人に使われて、そのうち数万人の方々がこれによってC型肝炎に感染したのではないかと言われております。
大臣も御存じでしょうけれども、かつて幻の名馬と言われたトキノミドリですか、ああいう名馬というのはもう今の私の感覚では、今の競馬の馬の名前なんていうものでない以上に皆さんはもう関心を持って見ていたわけです。地方競馬から中央に行ったのでもハイセイコーなんというのがおりましたし、そういう愛情というのが何か今欠けてきているんじゃないかなと。
地域店の、例えばミドリ電化、ネットというと仕入れですね、これよりさらに六一%安いのがミドリ電化の売っている値段なんですね。それからまた、ヤマダというのは、これはよく名前が出る安売りのヤマダですね、これも、大体仕入れ値より四〇%ぐらい安い値段で売っているわけですよ。
マスコミでも出ておりましたけれども、フィブリノゲンの話でありますが、一つは、本年三月に、旧ミドリから新しくウェルファイド社になっておりますが、このウェルファイド社から厚生省に報告していた肝炎発生数が実数よりも大幅に少なかったという報告がありました。
しかしながら、今、先生が言われましたように、亜熱帯という特有の立地条件を生かしまして、一部の漁業者によります我が国の海域では見られない貝類、これはミドリイガイなどでございますが、そのようなミドリイガイの養殖への取り組みでございますとか、あと県の水産試験場におきましてシャコガイの種苗生産の取り組みが行われていると承知しているわけでございます。
○枝野分科員 このもとになったイギリスのNIBSCのこの四つのロットに対する検査結果というものは、例えばミドリに立入検査をした時点などでは入手をしていましたか。あるいは、現時点では入手をしていらっしゃいますか。
○山本参考人 先ほど申し上げましたように、詳細はわかりませんが、日本の他社メーカー、化血研であるとかほかのメーカーも、同じように加熱ということでは、いろいろな温度並びに時間を検討されておりましたし、あるいはミドリの場合はアルファ社という子会社をアメリカに持っておりましたし、そこでもそれなりの検討が行われていたというのはわかっております。
んでいるのだから、むしろこの加熱の技術を使った方がエイズの防止にはいいですよということを、世間に向かって余り危険をあおるようなことはともかくとして、学者や医者に対して、非加熱だと危ないかもしれないけれども、うちが今開発をして、少なくとも技術的には確立をしている、厚生省の許可だけを待っているような状況の加熱製剤を使えばエイズの心配もないですよという一種のキャンペーン的なことをどんどんすればするほど、ミドリ
○山本参考人 可能性としては存在していたと思うのですが、それから開発に入ったということでは恐らく間に合わなかったのではないかというふうに推察できますし、たとえそれが流れていたとしても、そういう意味では開発にそれほどの、確認だとかいうことでは参考になったとしても、恐らく、ミドリとしてはそれ以前に加熱の条件というのは当然設定して開発を進めていたものと私は推察いたします。
○五島委員 医学書房という雑誌社そのものがミドリの子会社でございますね。このメディカルポストグラデュエーツという雑誌そのものは、当初、医学書房が大阪にあった、そしてその後、住所が東京へ変わっているということのようですが、昭和五十六年の段階の雑誌を見ましても、雑誌は医学書房から出されています。そうですね。
○衛藤(晟)委員 アルファ社の開発していた加熱製剤と、後で国内でミドリから開発した加熱製剤というものは若干違っていたのじゃないですか。
先ほど山本委員からも御発言がございましたが、アルファ社からはミドリに対して、いろいろな形での米国における情報あるいはアルファ社のとっている対応について連絡があったと思います。その中で、一九八三年の五月三十一日付に、先ほど山本議員からも御質問がございましたが、「アルファ社が、後々、責任を問われる危険性をできるだけさけるため、AHFには、AIDSの危険性に対する注意のラベルを貼る。」
そこのところで、バイエル、ミドリ、化血研からの回答によると、この十二月十三日に開かれた会合で、安部氏から、第一相試験が必要であること、患者対象の治験は各社統一のプロトコールにより共同治験として実施することが示されたとのことである、また、患者対象の治験の開始は五十九年三月とされたというのが一応厚生省の回答になっているので、何か先生の今おっしゃっているのと違うという部分は、製薬会社の皆さんにも一度この場
○山本(孝)委員 先生、もう一つ、ミドリ十字の話なんですが、六十三年二月五日の毎日新聞に先生のインタビューが載っていまして、先生がおっしゃっているのは、「ミドリ(十字)は各社に比べてはるかに遅れていた。」というふうに毎日新聞のインタビューにお答えになっているのですね。今回の厚生省からの質問にも、「日本のメーカーの開発状況は、加熱製剤に関しては、外国メーカーに比べ半年程度遅れていた。」
○山本(孝)委員 治験の世話役として、ミドリから治験医薬をもらって病院に配るのだということは、先生、おやりになったのではないですか。
○政府委員(荒賀泰太君) ただいまのいつまでに回収が終了したかということでございますが、ミドリに関しましては最終の回収時期が第Ⅷ因子製剤は六十三年四月、第Ⅸ因子製剤は六十三年七月ということでございます。
トラベノールは五十九年二月でございますが、カツターは三月、ヘキストジャパンは三月、化血研は五月、ミドリは六月、日本臓器は六十年の八月、日本製薬は六十一年三月ということで、それぞれ各社が準備を整え、臨床試験に入ったものと考えております。
もう一つは、極端なことを言って、ミドリの子どもであったといたしますよ。それを持ってきても近親結婚できないんだから、何羽産もうとだめなわけですね。そうすると、また持ってくると二分の一が四分の一になるわけです。近親結婚だめだと、もう一回というと八分の一ですよ。
環境庁がこれを引き継ぎましたのが五十年でございますが、先ほど申し上げましたように、五十六年に全数を捕獲し人工飼育に踏み切ったということでございますが、昭和六十年の時点で三羽のみとなり、もうここでの繁殖可能性は極めて少なくなったということで、中国から雄のホアホアを借り受けて佐渡の雌のキンとのペアリングを試みたけれどもうまくいかなかったということで、今度は逆に、平成二年の三月に至りまして、佐渡の雄ミドリ
現在、北京に送りましたミドリにつきましては、中国側から相手となります雌ヤオヤオが提供されておりまして、一緒に巣づくりを行うなど相性はよいという報告を受けておるんですけれども、これまで二回の繁殖シーズンを過ごしておりますけれども産卵には至っておりません。今年で三回目の春の繁殖期を迎えるということで、何とかうまくいけばというふうに念じているところでございます。
これは私どもも事情聴取いたしましたところ、今おっしゃった先ほどの何といいますか、エイズに関する何か危険性を述べた資料というのは五月ですか、につくられた資料につきましては、現在の須山ミドリ十字社長が昭和五十八年五月当時において、同氏の手元にあった海外の文献をもとにエイズに関する知見をまとめたものであると、こういうふうに受けとめておるのでございます。
○政府委員(伊藤卓雄君) 御心配いただいておりますトキにつきましては、日本のものとしましてはキンというものとミドリという二羽しかいないわけでございますけれども、現在ミドリを、これは雄でございますが、中国に送りまして、昨年の三月から北京動物園で中国の雌トキとのペアリングを試みておるわけでございます。
ミドリ十字は五十八年の一月から昭和六十三年の三月までの間にキセノンガスほか二十八品目、これはいずれも放射性医薬品でいわば体内診断薬でございますが、これにつきまして二十三億五千万円、これはミドリの売上価格でございますが、こういった二十八品目の医薬品につきまして無許可の輸入販売を行っていたという事実がございました。
ミドリは四カ月おくれで治験を開始した。そして六十年七月に一括承認した。五十八年六月にわかっていた。 承認をする六十年七月一日まで約一年半の間というもの、血友病患者はどういう思いで生活をしていたか、このことを思いましたら、私は一政治家としても、大変なお気の毒な立場に追い込まれていた。