1948-04-27 第2回国会 参議院 予算委員会 第18号
それは先程總理が申述べましたように、このことについては折角御研究を煩わしておる委員會のまだ結果についての御報告がありませんので、その御報告を中心として考えなければならんのでありますけれども、私一個の考えとしては、殊にドレーパー・ミツシヨン來朝後、内外の情勢の變化に伴つて、そういうふうな意味で考えておるというような意味のことを述べたのであります。
それは先程總理が申述べましたように、このことについては折角御研究を煩わしておる委員會のまだ結果についての御報告がありませんので、その御報告を中心として考えなければならんのでありますけれども、私一個の考えとしては、殊にドレーパー・ミツシヨン來朝後、内外の情勢の變化に伴つて、そういうふうな意味で考えておるというような意味のことを述べたのであります。
○左藤義詮君 社會黨の黨大會で決定しましたのがドレーパー・ミツシヨン來朝前でありますが、三黨協定を行なつたのはドレーパー・ミツシヨンが來られた後であります。前の豫算委員會で、大藏大臣が利拂停止を前提として委員會を持つと言われたのも、ミツシヨン來朝の後なのであります。