2021-04-06 第204回国会 衆議院 安全保障委員会 第2号
九五年のミスチーフ礁と二〇一二年のスカボロー礁のときとは違うんですね、行動が。なので、それはなぜなのかということだと思うんですが、これは、状況が少しずつ変わってきているんじゃないかということだと思います、大きかったのかもしれませんけれども。私は、その背景として、中国の基本戦略、つまり、強制外交が関係していると考えています。
九五年のミスチーフ礁と二〇一二年のスカボロー礁のときとは違うんですね、行動が。なので、それはなぜなのかということだと思うんですが、これは、状況が少しずつ変わってきているんじゃないかということだと思います、大きかったのかもしれませんけれども。私は、その背景として、中国の基本戦略、つまり、強制外交が関係していると考えています。
その上で申し上げますと、一九九〇年代に中国が事実上支配したミスチーフ礁及び二〇一二年に中国が事実上支配したスカボロー礁と、二〇一九年のパグアサ島の事案とでは、その間に南シナ海に関する情勢が変化していることが指摘できると存じます。具体的には、二〇一六年に比中仲裁判断がなされたこと、そして、南シナ海に関する我が国を含む各国の働きかけや国際社会の関心の拡大などが考えられると思います。
これは過去の中国の行動を見れば極めて明らかで、フランスがインドシナ戦争の後に撤退した後には南沙諸島を、ベトナムが主張していた南沙諸島を占拠しましたし、それから、フィリピンの米軍基地が、米軍が徹底した後はミスチーフ礁を占拠すると。
そして、この南シナ海の幾つかの島を埋め立てて、彼らは、岩礁を埋め立てたのは領土にはならないというのが国際法上の常識だそうですが、自国の領土だという主張をしておりまして、平成三十年版の防衛白書によりますと、中国は、南沙諸島にある七つの地形において、二〇一四年、平成二十六年以降、大規模かつ急速な埋立活動を強行してきたとして、ジョンソン南礁、クアテロン礁、ガベン礁、ヒューズ礁、ファイアリークロス礁、ミスチーフ礁
○中西哲君 資料を見ていただきたいと思うんですが、先ほど前田局長の話にもありましたフィリピンの南沙諸島、スビ礁、ファイアリークロス礁、ミスチーフ礁、ここを三角形、これ小三角形と呼ばれているようですが、ここに三つの滑走路があります。そして、その上の図、この南沙諸島と書いてあるのがこの三角形なんですが、西沙諸島のウッディー島、これ左側ですね。
御指摘の滑走路でありますが、七つのうちのファイアリークロス礁、スビ礁、そしてミスチーフ礁において最大で三千メートル級の滑走路がそれぞれ建設をされております。 その上で、ファイアリークロス礁におきましては、これは一六年の一月、昨年の一月でございますが、民間航空機による試験飛行がこれは強行されました。
お尋ねのあった南シナ海における関係国の行動に関する宣言は、一九九五年の中国によるミスチーフ礁占拠をきっかけとして中国による海洋進出に対する国際社会の懸念が高まる中、中国とASEANとの間で交渉されたものです。最終的に、二〇〇二年の中国とASEAN首脳会議の機会に採択されたものであると認識しております。 具体的には、以下のような点を合意したものと承知しております。
さらに、一九九五年、この年には、フィリピンが実効支配していたミスチーフ礁を中国が占拠し、施設の建設を行ったという経緯があったものと認識しております。
そして、御質問の、この米軍の撤収がフィリピンや周辺地域にどのような影響を与えたかということですけれども、一概に確たることを申し上げることは困難ではございますけれども、事実だけ申し上げますと、この米軍撤収後の一九九五年でございますが、中国が南沙諸島のミスチーフ礁を事実上支配したということ、このような動きを含めまして、中国は力の空白が生じたタイミングで南シナ海への進出を徐々に進めてきたと、こういうことがよく
えば中国による南シナ海への進出については、一九七三年に米軍が旧南ベトナムから撤退した後、翌一九七四年に旧南ベトナムとの軍事衝突を経て西沙諸島を事実上支配をしたということ、一九八〇年代に旧ソ連のベトナムに対する軍事支援及びプレゼンスが低下する中、一九八八年にベトナムとの軍事衝突を経て南沙諸島の一部の岩礁を事実上支配したということ、一九九二年に米軍がフィリピンから撤退した後、一九九五年に南沙諸島のミスチーフ礁
続きまして、南シナ海、南沙諸島ですけれども、南沙諸島に関しましては、九〇年にソ連海軍がベトナムのカムラン湾から撤退を開始し、九一年から九二年にかけて米軍がフィリピンのクラーク空軍基地、スービック海軍基地から撤退を開始した後、九五年から、漁民の避難施設を名目に南沙諸島のミスチーフ礁に構造物を設置いたしました。これが、九九年ごろまでには、ヘリポートも備えた恒久的な施設に増強されております。
特に、一九九二年に、フィリピンの方で米軍が撤退したという後に中国軍が南沙諸島のミスチーフ礁の方に入ってきたという事実もあります。そういう意味で、やっぱり今回のこの再編というのは慎重にやらないと、ややもするとアメリカが引いてしまう、少なくなるという可能性もゼロではないと私も非常に危惧しています。
しかし、九二年には先ほどの中国領海法が施行されたことに関係国が強く反発したり、あるいは最近では中国がミスチーフ礁に建造物を構築したことによって緊張が高まりました。
それから、いわゆるミスチーフ礁における問題でございますが、二つ申し上げることがございます。 一つは、やはり我が国としてはこの地域に過去のさまざまないきさつがあって、これについて我が国が突出して何かを言ったりやったりすることが果たして適当かどうかということについて若干のちゅうちょが正直あるということでございます。
新聞には、フィリピンのミスチーフ礁に中国の建造物がつくられているというふうな写真が載っておりましたけれども、そういう具体的な事例をもってフィリピン政府から何かこのことについて説明があったのかどうか、お聞かせ願いたいと思います。
○河野国務大臣 今議員お尋ねのいわゆるミスチーフ礁における建造物の存在について、中国とフィリピンとの間でやりとりがなされているということは承知をいたしております。