2021-03-25 第204回国会 参議院 内閣委員会 第7号
トイレ、最終処分場がないから、マンション、原子力発電所は建てられないという、いわゆるトイレなきマンション論も、立地から見ればそもそも議論の立て付けがおかしい。なぜなら、我が国は、今、白紙から原子力を始めるかどうかという段階ではなく、既にさきの大阪万博の頃から、原子力の安定、安価な電力を活用し、経済成長を遂げてきた。
トイレ、最終処分場がないから、マンション、原子力発電所は建てられないという、いわゆるトイレなきマンション論も、立地から見ればそもそも議論の立て付けがおかしい。なぜなら、我が国は、今、白紙から原子力を始めるかどうかという段階ではなく、既にさきの大阪万博の頃から、原子力の安定、安価な電力を活用し、経済成長を遂げてきた。
○滝波宏文君 原子力については、トイレなきマンション論、よく言われますけれども、一方、今何が、まさにたき増しで起こっているのは何かといえば、CO2という、ちょっと言葉はあれですが、ふん尿を空気中にばらまいているわけです。これはどういうことかといいますと、生きていくということは本当に難しいということです。原子力を全部捨てたらバラ色の世界が待っている、そんなわけじゃないんです。
いわゆるトイレのないマンション論という議論が、巷間、いろいろやはり原子力については言われるわけですね。最終処分の仕方をきちんと決めないで原子力を走らせ続ける時代では既にもうないんじゃないかというふうに思うんです。
今まで十五年放置してきて、これから同じように一生懸命頑張りますとおっしゃっていただいていますけれども、同じようにまた放置されたら、結局、トイレのないマンション論が引き続き続くわけですね。そのあたりについて、要するに、今までとこれからとをどう変えていくのかについて、もう少し御説明いただければと思います。
ここのところがすとんと決まりませんと、トイレのないマンション論が起きるわけですね。いま国の方では一生懸命トイレづくりのまず下の方から始めているような感じがするわけでありますが、トイレをつくるにしても、かなりの予算が、実はかなりの部分がここのところに投入されなければならないだろうというふうに考えるわけです。