1990-10-09 第118回国会 参議院 災害対策特別委員会 閉会後第2号
それから、その後に起きましたフィリピンの地震におきまして再び緊急援助隊を派遣いたしましたわけでございますけれども、その緊急援助隊が帰りますに際して、マラカニアン宮殿でアキノ大統領に表敬する光栄を賜ったのは皆様新聞等で御承知のことと思います。 そのほかに、緊急援助隊の派遣ではございませんが、緊急援助物資といたしまして、いろいろ医薬品ですとか毛布ですとかその他の物資を送ったりしていることがあります。
それから、その後に起きましたフィリピンの地震におきまして再び緊急援助隊を派遣いたしましたわけでございますけれども、その緊急援助隊が帰りますに際して、マラカニアン宮殿でアキノ大統領に表敬する光栄を賜ったのは皆様新聞等で御承知のことと思います。 そのほかに、緊急援助隊の派遣ではございませんが、緊急援助物資といたしまして、いろいろ医薬品ですとか毛布ですとかその他の物資を送ったりしていることがあります。
現地大使館は、マラカニアン宮殿、それからマングラプス外務大臣等含めまして逐次連絡をとっておりますが、正式の要請というような点につきましては、私ども、現時点まで特に正式の要請があったということは承知いたしておりません。
八三年の夏に鹿島昭一社長がフィリピンを訪れて、マラカニアン宮殿でイメルダさんと会って握手もして、フィリピンの新聞に写真が載りました。これ鹿島に聞きました。そうしましたら、イメルダ夫人に鹿島平和賞を下さったのでお礼に鹿島守之助さんの御夫人の卯女さんを招待した。ところがもうお亡くなりになっていたので息子さんの鹿島昭一さんが行ったと。これはちゃんと鹿島建設から私に対する正式の答弁ですよ。
ところが、一九七七年十月十三日付のアンヘニットのヘニト会長からマラカニアン宮殿のマルコスあての書簡の中にはこう書いてあります。三項ですが、 私はこれら貨物の船積みについては、日本とフィリピンの船会社がOECFの規定通り、日本・フィリピンがフィフティ・フィフティで行うよう、代理店契約を結ぶための措置をとりました。この際のリベートは、一五%です。 こうなっております。
しかし、トラック何杯という資料がいわゆるマラカニアン宮殿にあった。そういうものはサロンガ委員会が全部今押収しておるわけですね。ですから、今持っておる資料でというのは、この膨大な資料の中のごくごくわずかなものですね。それで真相が、問題がどこにあったかということはわかるとお考えですか。 それから、企業から聞いても、これは強制捜査権がない立場で聞くのですから、うそを言われても仕方がないわけですから。
例えば「マラカニアン宮殿」というのをばっとあけますと、いろんな雑誌、いろんなところに出てきたものがカードとして出てくる。これはコンピューターじゃない。引き出しに入っている。引き出しに入っている紙なんですけれども、これはデータベースの今度の法律で保護されないのでしょうか。
○立木洋君 フィリピンの問題について私も若干ただしておきたいと思いますが、フィリピンの行政管理委員会がマラカニアン宮殿で膨大な文書を入手して、数十ケースに上るマルコスの疑惑にかかわる文書ですね、こういうものが入手されておる。それで行政管理委員会の責任者は、フィリピン国民に知る権利があるのでこの文書は公表するというふうに発表しているわけですね。
そうだとすれば、このアンジェニット・ルートといいますか、これはこの構造の一部にすぎないわけでございまして、アメリカにもまだ残った未公開の文書があるし、マニラにもマラカニアン宮殿に相当文書が残っておるということでございますから、そういうことであれば一層残った文書をアメリカ政府なりフィリピン政府に要求をして、そうして出してもらって全容解明を急ぐという態勢をとるのが政府の真相究明の姿勢ではないかと思うんですが
そして、丸紅の桧山は、田中角榮が一九七四年の一月フィリピンを公式訪問したときにマラカニアン宮殿内で一緒にマルコスとゴルフ会談をしたという間柄であって、この報道もあります。間違いありませんね。外務大臣。
マルコス前大統領が政変のときに逃亡した後のマラカニアン宮殿の大統領執務室には中曽根総理の大きな写真が飾られておりました。テレビでもそれが放映されました。マルコス前大統領と中曽根総理との極めて深い親密ぶりが外務省自身のASEAN訪問の際の報告にも書かれています。
私が幾つかの公文書のコピーをもとにしていろいろと申し上げて、委員会はしばしば審議中断に追い込まれたという事態があったんだけれども、あのときに私が調べましたのは、マラカニアン宮殿でマルコス氏と中曽根総理が会談された五月七日以前の第十二次円借款に関するフィリピン政府の公文書と、それから七日が終わって四日たった五月十一日、さらに五月二十四日にビラタ氏から大統領府に出された公文書ががらっと激変しているんですね
そういうマルコスという人が、マラカニアン宮殿ですか、あの人の住んでいた宮殿で非常にぜいたくな生活をしていたと言われていますけれども、そのお金というものはもちろん正常なお金だけじゃありません。いろんな不正な金によってそういうぜいたくができたわけです。
これはマラカニアン宮殿のところ、後から出てきた、つまり書類の中から見つかったんでしょう、これは。聞いてみたが間違いない。マニラヘ行った皆さん方にも聞いてみたけれども間違いない。そうだとすると、これが行われているとすれば今のケースに当てはまる。明確に向こうの方に対する謝礼でしょう。
アキノ夫人は、二十五日に大統領就任式を行い、またマルコス大統領も、同日大統領就任宣誓式を行うという事態となったわけですが、同日、フィリピン国軍の大部分がエンリレ、ラモス側支持に回るに至ったこともあり、マルコス氏は同日夜、マラカニアン宮殿を離れてクラーク米空軍基地に入ったのであります。 二十六日朝、マルコス大統領一家は米軍機でクラーク基地を出発し、グアムに到着をいたしました。
また、マラカニアン宮殿付近では、マルコス支持派とアキノ支持派がお互いに小競り合いをしておる、石の投げ合い等が行われているようでございます。町は、比較的、全体的には平静のようですが、人出は非常に少なくなっておる。多くのオフィスは事実上、開店休業あるいは閉店という状況であります。
さらにまた、特にマラカニアン宮殿周辺の在留の邦人に対しましては、万一の事態に備えまして、避難先としてマニラ・ガーデンホテルを手配している旨を通報いたしております。これは各家庭ごとに、今大使館の館員が手分けをしてそれぞれ連絡を行っておるところでございまして、これからの事態を踏まえながら、さらにこうした在留邦人の保護には全力を尽くしていかなければならぬ。
○石原(慎)委員 今、委員各位の皆さんにお配りした書類ですけれども、一、二、三、四と番号が振ってありますが、これはフィリピン政府の中で、例えば開発庁長官を兼ねているビラタ首相とマルコス大統領であるとかその他の政府高官と、日本の円借款に関して、マラカニアン宮殿と役所の間を往復したペーパーです。
得た一つの実感は、ややエモーショナルなものではありますけれども、あそこはさまざまな諸官庁よりも一人の大統領が強く、しかも一人のイメルダ夫人が強いという実態があって、せっかく両国の官僚ベースで積み上げたものがマラカニアン宮殿の恣意的な力によってとめどなく歪曲される、ゆがんでいくというふうな実態がやはりあるのではないか。
○市川房枝君 全くそれが間違いといいますか、ただ正確じゃないということであれば結構だと思うんですが、ただデーリー・エクスプレスというのは、新聞の性格を私ちょっと聞いたんですけれども、非常にマラカニアン宮殿といいますか、マルコスに近い新聞であり、そしてその筆者も、名前も聞いたんですが、わりあいに近い人だというんです。
先ほどのフイリピンからの電話によりましても、現在ではマラカニアン宮殿でマグサイサイ大統領が主宰しまして、こうした会合を開いておるようであります。