1955-07-16 第22回国会 衆議院 外務委員会 第32号
大久保毅一君がせんだって朝日新聞で指摘されましたマナカプールの植民地のごときも、その一部において昨年に入りましたところの最後の移民のうちに、多少非常に不安を感じておる者があるということは私も報告を得ておりますが、これもやはり将来に対するところの生活の安定ということに対する事柄が、第一の原因をなしておると私は考えております。
大久保毅一君がせんだって朝日新聞で指摘されましたマナカプールの植民地のごときも、その一部において昨年に入りましたところの最後の移民のうちに、多少非常に不安を感じておる者があるということは私も報告を得ておりますが、これもやはり将来に対するところの生活の安定ということに対する事柄が、第一の原因をなしておると私は考えております。
そのうちのマナカプールのごときはただ一点にすぎない。非常な広い場所なのです。それだからそのうちにたまたま土地のやせたところがあったからといって、アマゾン全体の土地が非常にやせておるというような断論を下すことは、これはいわゆる群盲象を評するのたぐいにすぎないと思います。
あのマナカプールの辻移民に対しても同じであって、そこも全く受け入れ態勢ができていない。何を作っていいかわからなくて、行った者は二十数種の作物を、試験的に作って、ここでは何が向くかということをこれからやるというふうな状態で、実にひどい状態になっている。逃げて帰ろうとしても帰れない。とにかく奥地からサンパウロまで来るには東京からシンガポールの間ぐらいあるから、どうにもならぬというふうなわけです。
今その一例として、辻機関のやっておりますマナカブールのお話がございましたけれども、これは私去年の秋向うに行って現実に見てきましたが、マナカプールの受け入れ態勢は非常にいい。ほかに類例のないほど非常にいいところでございます。