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529件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2019-05-20 第198回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第3号

しかし、当時、片山政権芦田政権という、どちらかというと革新的な政権が短命に終わって、マッカーサー元帥は、もう吉田さんに頼るしかないと。そういう中で、救いの手を差し伸べました。それが、憲法六十九条に基づいて、野党から内閣不信任案を出しなさい、それを可決した上で衆議院解散にしましょうと。  ですから、なれ合い解散と言うんですね。  吉田さんは勝ちました。

谷田川元

2017-03-09 第193回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号

マッカーサー元帥記念館の建設、そして銅像建立構想もあったわけですけれども、この十二歳発言を機にこの構想はしぼみました。  十二歳発言には、実は様々な解釈があるようでございます。  評価する方は、日本人は思考が柔軟で理想を実現する余地があるという見方もありますし、そうした観点から、軍国主義の再来はあり得ないという趣旨の、日本人を擁護する趣旨だったという見解もあります。  

三宅伸吾

2015-08-19 第189回国会 参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第10号

一九五九年、昭和三十四年三月三十日、東京地裁駐留米軍憲法違反判決が出た翌日、朝八時に、アメリカマッカーサー日大使、この方はもう皆さん御存じでしょうけれども、GHQダグラスマッカーサー元帥おいっ子さんだそうです、このマッカーサー日大使その人が当時の藤山愛一郎外務大臣に面会をして、日本政府が迅速な行動を取り、東京地裁判決を正すことの重要性を強調し、日本政府が直接最高裁に上告することが非常

山本太郎

2014-04-03 第186回国会 参議院 外交防衛委員会 第8号

例えば、一つは、太平洋戦争をめぐる昭和天皇の御認識、あるいはマッカーサー元帥認識、そして日本国内の当時の治安の問題、さらに共産主義の脅威と日本の国防、そこに果たす米軍の役割といった問題、また戦争直後のアジアにおける沖縄の位置付けに関する問題、さらに朝鮮戦争の戦局の見通し、そして日本安全保障体制の在り方と、こういったことが、様々な文書に目を通しますと、恐らくこの計十一回の会談の中で話し合われたようであります

風間直樹

2014-02-12 第186回国会 衆議院 予算委員会 第6号

○石原(慎)委員 注目すべきは、この裁判を設定して行わしめた当時の占領軍最高司令官でしたマッカーサー元帥は、当然、A級戦犯というカテゴリーというのを承知の上でこの裁判を遂行させたんでしょうけれども、この男は、日本を離れた後しばらくして、アメリカの上院で宣誓し、所見を述べていますね。  

石原慎太郎

2013-10-22 第185回国会 衆議院 予算委員会 第3号

そして、松本烝治博士が、拒否されたときに、どういう理由で拒否をしたんですか、こう尋ねたら、もうおまえらには一切任すことはできない、我々がつくる、こういうことで、二月十二日までにつくれというマッカーサー元帥の指令がありました。皮肉なことに、二月十二日というのはアブラハム・リンカーン大統領誕生日です。

平沼赳夫

2013-06-05 第183回国会 参議院 憲法審査会 第5号

ただ、はっきり申し上げますが、白紙の上に憲法を新しく書くんだったら、私は、日本人歴史的体験、つまり、神様が下さった憲法の後にマッカーサー元帥様が下さった憲法の下で暮らしておりますから、改憲体験すなわち主権者体験が乏しい我々にとっては今の憲法の制約はきつ過ぎる。だから、白紙憲法改正条項を作るのであれば、私は多分五分の三とか考えるんですけれども。

小林節

2012-03-15 第180回国会 衆議院 憲法審査会 第2号

人事院にもう一つ記述を確認しますけれども、浅井氏がこのことについて、この本の中で、昭和二十三年の改正というのは、同年七月二十二日のマッカーサー元帥から芦田内閣総理大臣に宛てた書簡に端を発したもので、全く総司令部の意向によるものであるから、日本政府側には全く腹案がなかったので、この改正案主管官庁であった人事院を大いに当惑させたのである。  こういうふうに書いてありますね。ちょっと確認したいんです。

笠井亮

2009-11-17 第173回国会 衆議院 安全保障委員会 第2号

日本占領時代GHQで、マッカーサー元帥がいて、それが大臣といろいろ話したというようなこともありますが、これが本当に対等と言えるんでしょうか。  うがった見方でありますが、アメリカが何でこの協議会を認めたのかなと考えますと、これはキャンベルさんとお話しされたと思いますが、アメリカも困っているんですね。

中谷元

2008-06-05 第169回国会 参議院 内閣委員会 第19号

ところが、旧国公法が施行された直後、一九四八年七月二十二日、アメリカ占領軍司令官マッカーサー元帥芦田内閣総理大臣あて書簡を発し、公務員制度抜本改革を指示しました。これを受けて、当時の連立内閣は急遽政令二〇一号を公布して、公務員争議行為全面禁止団交権大幅制限を断行いたしました。

山下芳生

2008-03-25 第169回国会 参議院 内閣委員会 第2号

北方領土返還運動は、当時敗戦を喫して占領下に置かれていたときに、根室の地から町長さんがマッカーサー元帥に対して、ソ連が不法に戦後占拠した北方領土を戻してほしいという、そこから返還運動ができてから六十二年でございます。島民でいらした方々、今生きていらっしゃる方も七十代半ばになりました。目の黒いうちに御先祖の地に戻りたい、そういう意味では年数が本当に限られております。  

有村治子

2007-03-28 第166回国会 衆議院 内閣委員会 第8号

およそ戦争犯罪の処罰については、極東国際軍事裁判所インド代表、有名なパール判事ですね、パール判事によりまして有力な反対がなされ、また東京裁判弁護人全員の名においてマッカーサー元帥に対し提出いたしました覚書を見れば、裁判は不公正である。国会の議論でありますが、不公正であると。本会議の発言ですね。その裁判は証拠に基づかない、有罪は容疑の余地があるという以上には立証されなかったとありますと。  

松原仁