2017-06-08 第193回国会 衆議院 憲法審査会 第8号
そのもとで、国民主権の原則を打ち出したマッカーサー草案が提示されましたが、国体護持派は、主権を有する国民とあった部分を日本国民至高の総意という文言にした憲法草案を国会に提出し、最後まで抵抗しました。しかし、国民主権への転換を迫る国際社会と日本国民の批判を受けて、最終的に、憲法制定議会において政府案を修正して、主権が国民に存することを宣言したのであります。
そのもとで、国民主権の原則を打ち出したマッカーサー草案が提示されましたが、国体護持派は、主権を有する国民とあった部分を日本国民至高の総意という文言にした憲法草案を国会に提出し、最後まで抵抗しました。しかし、国民主権への転換を迫る国際社会と日本国民の批判を受けて、最終的に、憲法制定議会において政府案を修正して、主権が国民に存することを宣言したのであります。
昭和二十年十二月から日本政府の新憲法制定への動きが本格的に始まりますが、昭和二十一年二月十三日、GHQから日本政府側に、いわゆるマッカーサー草案が交付され、これをもとに憲法改正草案要綱、さらに憲法改正草案が作成されました。このことを捉えまして、一部に、占領下でつくられた押しつけ憲法であり、自主憲法の制定が必要との意見があります。
現行憲法は、GHQから発せられたマッカーサー草案がベースにあることは事実だろうと思います。その後、帝国議会で四カ月間議論し、芦田修正、文民条項など、複数の修正がなされましたけれども、全体としては、GHQの統制のもとに置かれていたために、必ずしも国民の意思を十分に反映したものとは言いにくく、また、国民投票も行われなかった事実があります。
これは、もともとマッカーサー草案の第三章の初めに二つの条文があって、その一部に、「此ノ憲法ニ依リ日本国ノ人民ニ保障セラルル基本的人権ハ人類ノ自由タラントスル積年ノ闘争ノ結果ナリ時ト経験ノ坩堝ノ中ニ於テ」云々というところがございました。
そしてまた、この憲法は一週間ほどで二十四人が、GHQがマッカーサー草案を基に作ったというもので、アメリカの憲法や独立宣言やリンカーンの演説などのパッチワークで、コピペじゃないかというような学者さんもいられるわけでございまして、私たちの国柄を反映した美しい日本語、そして私たちの手で国の基である憲法の前文を書いていくということは大切なことではないかと思います。
GHQから提示された英文の憲法草案はマッカーサー草案とも呼ばれていますが、その第十七条後段にはインボランタリー・サービチュードと書かれていました。このインボランタリー・サービチュードは意に反する苦役と訳されましたが、インボランタリー・サービチュードなる言葉はどこから来たのでしょうか。 それは、アメリカ合衆国憲法十三条に、やはりインボランタリー・サービチュードとあります。
戦後の二院制を考えた場合、当初GHQから提示された日本国憲法草案、いわゆるマッカーサー草案、それでは貴族の身分がなくなり、貴族院は不要として国会は一院制になっていたと理解しております。これを見た松本烝治国務大臣は、一院制では選挙で多数党が替わるたびに前政権が作成した法律が全て変更され、政情が安定しなくなることを指摘し、GHQ民政局局長のホイットニー准将に二院制の存続を迫ったと聞いております。
その後、太平洋戦争を経て、日本国憲法の制定に当たり、先ほど田中先生もおっしゃっていましたが、いわゆるマッカーサー草案では貴族院制度の廃止と一院制の推奨をされました。それに対して日本側は、一院制を取ると政策の継続性や安定性が損なわれるといったことを理由にして、二院制を取りたいということを主張しました。
マッカーサー草案の十七条が、その後、今の憲法の十八条になっております。意に反する苦役、「Involuntary servitude」、こうなっております。じゃ、このインボランタリー・サービチュードというのはどこから出てくるのか。 三枚目を御覧をいただきたいと思います。これはアメリカ合衆国憲法の修正十三条であります。ここに「involuntary servitude」と。
その点、あと成立事情ですけれども、成立事情は、これも私も調べたことがありますが、マッカーサー草案には緊急時のための規定がありませんでした。そこで、我が国は、内閣による緊急政令権ですね、これを入れるように求めたわけですけれども、アメリカはそれは反対すると。
これは、ヨーロッパ自治憲章とかありますので、自治という言葉はあったんでしょうけれども、私は、あのとき、憲法がどうのこうの、マッカーサー草案がどうのこうのは別にして、地方政府とするべきだったんじゃないかなと思うんですね。それがやはり、自主自立というか、地方のことは地方でやるぞというようなメッセージになったんじゃないかなと思っているんです。 大臣は、総務大臣であられます。
制定過程の評価に関しては様々な見解がありますが、いわゆるマッカーサー草案の提示や松本案の拒絶などを典型例として、連合国軍最高司令官総司令部の意向がかなり大きな影響を及ぼしていたことは紛れもない事実であります。
例えば、一九四六年二月十三日の憲法マッカーサー草案には、無償の教育、フリーエデュケーションとありますし、また、教育改革の設計図となりました同年三月三十一日の米国教育使節団報告書には、下級中等学校の後に、無償で希望者はだれでも入学できる三年制の上級中等学校の開設を勧めるとあります。
これは、こういう映画をつくりたいというので「プライド」の伊藤俊也監督が書かれたものでございまして、できるだけ史実に忠実なようにチェックをいたしておりますが、要するに、日本国憲法制定の過程で、これが、イエローペーパー、マッカーサー草案、いかに日本人の考え方が無視されて、押しつけられてアメリカ型憲法ができ上がっていったかということを映画で、ドラマに仕立てたものがこの「日本国憲法」というものでございまして
当調査会で二〇〇〇年に、GHQのマッカーサー草案を作成に携わったベアテ・シロタ・ゴードンさんとリチャード・プールさんを参考人としてお呼びして、日本国憲法制定経過についてお聞きしました。お話は感動的で、短期間にいい加減なものをつくったなどという心ない誹謗は完全に吹き飛ぶような内容でした。他の憲法も参考にしたし、一番いい点を憲法に入れた、世界じゅうのいろんな考え方が入っている。
この点は、したがって、見れば、一概に押しつけられたというふうに言えないんじゃないかという実際問題があったわけで、もう一つ申し上げますと、マッカーサー草案と世に言われる草案が出る以前に、日本の民間では、例えば高野岩三郎私案とか憲法研究会の森戸私案とか、いろいろ民間では、ただいまの憲法と大体中身は似たり寄ったり、さらに、部分的に言うと、労働権や社会権については非常に親切な条文が用意されたような草案が発表
先生方御存じのマッカーサー草案ですけれども、マッカーサー草案では、国会は一院制でした。草案四十一条に、「国会ハ……議員ヨリ成ル単一ノ院ヲ以テ構成ス」でした。草案を受け取った政府関係者はびっくりしたことでしょう。政府関係者はもともと二院制に固執しておりましたので、日本国憲法案では、「国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。」として、GHQに示し、GHQの了承を得たものと思われます。
私なりにちょっと調べてみたら、これは原文じゃないんですけれども、一九四六年二月にGHQのマッカーサー草案で一院制として持ってきたときの理由が、一つは、アメリカの合衆国制とも違い国の成り立ちが簡明であると。一つは、貴族制度は廃止されたから貴族院を設ける必要はないと。
○参考人(浅田正彦君) 憲法九条の一項が不戦条約の流れをくむというのは、文言上、先ほど大沼参考人からもありましたけれども、文言上もそうでありますし、実際の起草過程を見ましても、いわゆるマッカーサーノートからマッカーサー草案に移る過程でケーディスという人が関与して不戦条約を念頭に置きつつ文言を今のようにしたと。
この二十五条一項の生存権の規定につきましては、日本国憲法制定に当たりましてマッカーサー草案にはなかったものを衆議院の修正によって加えられたものであります。とりわけ、衆議院の森戸辰男や鈴木義男が主張いたしまして、第一項の生存権の規定を憲法の中に入れることになったわけであります。
ちなみに、マッカーサー草案の第七章「会計」と書いてありますけれども、マッカーサー草案の段階では、まだ「会計」というふうな言葉が使われておりました。 なぜ「財政」という章が憲法上必要とされるのかということでございますけれども、そもそも「財政」という章が世界の憲法の中で出てきたはしりとされますのが、一八三一年のベルギー憲法であります。
憲法制定過程から見ても、マッカーサー草案にあっては、これらは共通善、一般の福祉、公共善など、さまざまな形で存在していました。そして、草案が日本政府に提案されてから、これらはすべて公共の福祉に統一されました。草案にあった共通善、公共善の観念は、今日コミュニタリアニズムが強調している概念そのものです。