2015-09-02 第189回国会 衆議院 農林水産委員会 第21号
まず、質問に入ります前に、今、伊東委員からもお話がありましたが、北海道のサケ・マス流し網漁船の第十邦晃丸が先般、約一カ月半ぶりに解放されたということで、うれしいニュース、報告がありました。 私も、実は八月の二十一日にビザなし渡航で国後に行っておりまして、その際に、もう本当に目と鼻の先なんですけれども、第十邦晃丸を前にして、船内の電話でやりとりをさせていただきました。
まず、質問に入ります前に、今、伊東委員からもお話がありましたが、北海道のサケ・マス流し網漁船の第十邦晃丸が先般、約一カ月半ぶりに解放されたということで、うれしいニュース、報告がありました。 私も、実は八月の二十一日にビザなし渡航で国後に行っておりまして、その際に、もう本当に目と鼻の先なんですけれども、第十邦晃丸を前にして、船内の電話でやりとりをさせていただきました。
さらに本年は、これも韓国の国内法違反となります大型トロール漁船の新潟沖等での操業が多数現認されておりまして、我が国のサケ・マス流し網漁船やイカ釣り漁船の操業が妨害されるといった事態も生じております。
○説明員(草野英治君) 主として食い違っております争点は、いわゆる太平洋中型サケ・マス流し網漁船のクォータの消化状況でございます。 日本側の主張といたしましては、中型漁船の魚獲状況というものは、去年出漁が五月十日ということでおくれたことが一つと、それから六月下旬以降の海況によりまして、いわゆる潮目というものの形成状況が非常に散漫であったということから、七月五日には漁場を切り上げております。
ですから考えてみますと、その協力費の上積みによる零細な太平洋小型流し網や日本海のマス流し網漁船にとってこの問題は大きな苦痛になるのは当然でありますし、太平洋の小型流し網は五十三年に御存じのとおりの不漁がございましたね。あのときの巨額の負担を抱えているケースはまだいっぱいあるわけであります。
本漁期についてでございますが、先ほど申しました新しく問題が生じました小型のサケ・マス流し網漁船につきましては、北海道がこれの取り締まりに当たるわけでございますから、これに対しまして北海道に対しまして指導取り締まりの強化をしてくれということを求めると同時に、中型のサケ・マスの流し網漁船につきましては、さらに取り締まり船を一隻ふやしまして、指導取り締まりを強化するということで最大の努力を払いまして、今後御懸念
それから限られた時間の中でございますのでもう一つ、公海上の問題なんですが、釧路管内の厚岸町の南公海上の大黒島というのがあるのですが、その付近で小型サケ・マス流し網漁船の網が切断されたということ、その漁民の報告によりますと、国籍不明な、アルファベットがたしか書いてあったというので、肉眼で見たんだから明らかではないけれども、潜水艦とそれから大きな貨物船のようなものがあるということを肉眼で見たと、これによって
同海域で操業しておりましたのは十隻のマス流し網漁船で、うち九隻が流していた網が破られたということの情報がございまして、これにつきまして当方から秋田県水産課長に電話で問い合わせたところでございます。共同通信のファックス情報とほぼ同様の連絡が男鹿無線局に入っているということでございます。
このうちの一つ、八戸ですが、八戸港では、昨年、太平洋中型サケ・マス流し網漁船三隻、日本海サケ・マス流し網漁船二隻、母船式独航船二隻、合わせて七隻を減船しております。ことしもまた、いま大臣の言う三割減船で七隻の減船は必至になってきたのじゃないかと大きな問題になっております。
今回の事故は、ただいま先生お話しのございましたような中型のサケ・マス流し網漁船の第二十一藤栄丸が根室の東方約千百七十海里の海上で、後部の船員室の上にあります食堂付近から火を出したものでございまして、たまたまそのときに船員室には十一名が仮眠中でございましたけれども、そのうちの六名の方が逃げおくれて救出できず、亡くなったという事件でございます。
そういたしまして、当面の政令で適用を除かれます船と申しますか、除かれましてあとの適用される船、この船種は、サケ・マス流し網漁船、カツオさお釣り漁船、マグロはえなわ漁船、タイはえなわ漁船、フグはえなわ漁船及びサケ・マスはえなわ漁船を適用の対象として政令で定める予定にいたしております。これらの船は、総計で約八百隻くらいと考えております。
ついこの間の五月二十日には、北朝鮮海岸の沖合い四十キロのところで、日本のサケマス流し網漁船第三政栄丸が、北朝鮮の船と思われる船舶に接舷されて、これも船長以下一名連行された。こういうような事態が、随時各所に起こっているわけです。これは非常に残念なことです。
この第三政栄丸は、青森県下北郡大畑町馬場鉄蔵という方の所有の小型サケ・マス流し網漁船でございまして、総トン数は二九・九八トン、船長は川島敏男という人でございます。乗り組み員はそのほか十一名乗り組んでおりました。