1958-04-01 第28回国会 参議院 外務委員会 第13号
御承知のように、インドネシアはサンフランシスコ条約に参加いたします際、当時のインドネシアの政情から申しますというと、やはり二大政党でございましたマシュミ党と国民党というものが併立して入っておりました。
御承知のように、インドネシアはサンフランシスコ条約に参加いたします際、当時のインドネシアの政情から申しますというと、やはり二大政党でございましたマシュミ党と国民党というものが併立して入っておりました。
○政府委員(松本瀧藏君) 軍の配置等につきまして、われわれは調査をするということよりも、主として政治的にものを見てきておるわけでありますが、御承知の通り、今回の紛争というものは、民主主義的な国民党の創設者であるところのスカルノ大統領の一統と、これに対する宗教的、現実的と申しますか、マシュミ党の——回教政党ですが、この対立で始まっているわけであります。
○田中(稔)委員 たしか当時はインドネシアにおいてはマシュミ党のスキマン氏を首班とする内閣があったやに記憶しております。マシュミ党といえば親西欧、親米的な政派でありまして、今日スカルノ政権に対してむしろ反対党の立場にある。またサンフランシスコ平和条約というものはアメリカのイニシアチブによってでき上ったものでありまして、私どもはその当時反対したわけであります。
そういう意味におきまして、たとえばインドネシアにおきますマシュミ党ごときは、その意味において相当な理解をスマトラ側の反乱軍にも持っていたと思います。また、ハッタ氏を反乱軍の一部の人らがかつごうというような話もあったと思います。が、しかしながら、インドネシア民衆から見ましても、スカルノ大統領とハッタ副大統領というものは、おのずから性格の違いによりまして政治の運営については意見が異なっております。
しかし、むろんわれわれはインドネシアに今日行われているハッタ・スカルノ会談等に対しても、正しい評価をして行かなければならぬと思うのでありますが、しかし、一方では、インドネシアの国会は、どちらかと言えば、スカルノ大統領に反対するようなマシュミ党も、なお賠償協定の審議を続行しているのでありまして、早い時期に上げ得るという見通しがあるのであります。
事の起りは、御承知のごとく民族主義的の国民党の創設者であるスカルノ大統領の一党と、これに対しまして宗教的であり現実主義的なマシュミ党、すなわち回教徒でございますが、この対立であったのです。理想主義的なスカルノ氏に対しまして、バッタという人は親西欧的であり、また現実的な人だという工合に世間では承知されておりますが、私も両者に会いましてやはりそういうような感を深くいたしました。
なるほどマシュミ党であるとか、あるいはその他軍部の一部に反政府的な動きがあり、それがあれほどたくさんの島からできておる国でありますから、どうしても地方主義的な傾向がある。それと結びついていろいろ不安な政情もありますけれども、全体としてはやっぱりインドネシアの勤労大衆にささえられたスカルノのリーダーシップは動かないと思う。
ところがマシュミ党を中心とする親米派の勢力がありまして、しかもこれが軍の二部と結びついてどうも破壊工作を行なっているような情報も附いておる。下手すると第二のヨルダンになるかもわからぬ、こういうふうな情報がしばしば伝えられております。
やはり国民党を中心とするものとマシュミ党を中心とするものが一つの政治勢力だと思う。そこでこの内閣がどうも倒れそうだということで賠償問題の解決を見送るということでなくして、むしろこの内閣を交渉の相手として話し合いを進める。あるいは政変があれば次に来る内閣、それでいいのです、向うの事情だから。
この政権は国民党、マシュミ党、ナフダトゥル・ウラマ、この三大政党の連立内閣でありまして、これは相当長期にわたって安定性を持った政権である、こういうふうに考えられておるのであります。
そうして理解をしてくれるところから移民に対する協定などを結んで進めていく、たとえば賠償も済んでおりませんので困るのでありますが、インドネシアあたり、私去年行ってみますと、ことし総選挙があるそうでありますが、マシュミ党あたりが勝てば、軍との関係も非常にいいので日本からの移民は相当期待できる。