1987-09-03 第109回国会 参議院 運輸委員会 第5号
その内容といたしましては、全日空機の7ライトレコーダー、それから運輸省東京航空管制部のレーダーによる航跡図の解析を行った結果判明した事実といたしまして、事案発生日時は八月十一日の午前十時四十五分ごろ、事案発生場所といたしましては、高知沖のL訓練空域というのがございますけれども、その訓練空域外で紀伊半島の串本ボルタックというところから二百四十九度で距離が百海里。
その内容といたしましては、全日空機の7ライトレコーダー、それから運輸省東京航空管制部のレーダーによる航跡図の解析を行った結果判明した事実といたしまして、事案発生日時は八月十一日の午前十時四十五分ごろ、事案発生場所といたしましては、高知沖のL訓練空域というのがございますけれども、その訓練空域外で紀伊半島の串本ボルタックというところから二百四十九度で距離が百海里。
○長谷川(宏)政府委員 土佐清水のボルタック及びタカンとの関係でのポジションのレポートを大事な時点で五分置きに入れております。
その場合に私どもが考えましたのは、右旋回させて利根川に沿って銚子の方向へ持っていって、銚子のボルタックというものを頼りにいたしましてそれぞれ適当な方向へ散らしていく、こういうルートを考えた。これに対して、北側に何もなくてここが空域的に完全な空白地帯であれば、これは神経を使う必要はないわけでございますけれども、先ほど来申し上げているように、二十六マイル離れまして百里の空域がある。
○松本(操)政府委員 先生おっしゃいました銚子のボルタック、これは御案内のような経緯もありまして、その上を通らないということで経路を設定したわけでございますが、しかしながら、はるか太平洋上から本土へ飛来してまいります航空機のガイダンスとしては非常に重要な役割りを持っておりますし、さらにまた、本土を離れて洋上はるかアンカレジなりあるいはロサンゼルス、サンフランシスコという方向へ飛んでいきます場合にも、
○井上(裕)委員 銚子ボルタックの問題で、そこで私ども素人が考えますときに、百里、羽田、成田、こういう場合におきましてこの安全性、これを端的に大丈夫だと言えるかどうか、その点一つ……。
銚子のボルタックと同じということになるわけです。そういうだますようなことを政府がやっていていいのかというのです。運輸大臣、あと一カ月しかない期間になっていて、なおもう一カ月うそを言い続けようというのですか。
南風の場合に、たとえばホノルルから来た便、アンカレッジから来た便は、銚子のボルタックの上を通ってレーク、レークというのはこれは本当は潮来の上なんでしょう。レークなんという全くの架空地点を、本当は潮来と言うべきところを、潮来と言ったのでは住民から反対されるからレークという架空の地名にして、そこからハガというポイントでもって回して羽田におりる、こういうことになっていますね。
○横路分科員 それからやはりレークのところにボルタックなんか必要じゃないですか。あるいは、時間がないので言いますが、成田、大分長い間たちましたから、レーダーそのものも、羽田や大阪に入っているような新しいレーダーがあるわけですね。これは国の財政という面から見ると、せっかく金を出してつくった施設がほっている間に古くなったということなんですけれども、しかしそれにしたって、新しいレーダーがある。
さらには、密集市街地の上は飛ばさないようにするということで、そこにございますボルタックについておりますDMEを使いまして、密集地の上空だけはカーブをして完全に避けて飛ぶようなコースを大分苦心をいたしまして決定をして、これを地元に提示いたしまして地元の御了解も得て、近くNOTAMということで正式に発表する段階を迎える状態にございます。
むしろもっと早く海上に出るルートというものを選んだ方が航空機の騒音対策上有利なんではないかというふうに思われますが、どういうわけで銚子というような一番海に突き出しているところにボルタックを置かれて、その上空を飛ぶように航路をお決めになったのか承りたいと思います。
銚子のボルタックの問題でひとつ伺っておきたいと思いますけれども、銚子市は挙げて反対の態度を表明しています。これは運輸省からの説明に基づいて銚子市はまじめにそれに取り組んでいる、協力をしたはずだ。ところが、当初の説明とは変わった形が出てきているので、これは市民全体として納得できないということで銚子市民の大きな実は反対が出てきていると思うんです。
○福田内閣総理大臣 ボルタックにつきましてはいま小川さんが御指摘のようないきさつがあるようです。でありまするから、運輸省当局といたしましては、これはああいういきさつではあったけれども、事情が変わってきて銚子上空を飛行しなければならぬことになってきた、どうかこの事情を理解してもらいたい、こういうお願いをしておる、こういうふうに報告を受けております。
○福田内閣総理大臣 銚子ボルタック問題のいきさつは、いま小川さんがおっしゃったようないきさつになっておるというふうに聞いております。そこで銚子市の上空を飛行することにつきましては、これは銚子市民の理解を得なければならぬ、そういう問題だろう、こういうふうに考えております。そこで、政府におきましては、いま市当局等とその理解を得るための最大の努力をいたしておる、こういうことであります。
こういうことを承っているわけでございますが、その中で、私は、いま開港上の最大の問題となっている銚子のボルタックの問題について総理がこれをどのように考えておられるか、見解をお聞きしたいと思うわけです。
○小川(国)委員 どうもだましたままあなた方の方は開港、開港と言っているので、銚子の市民に対しても市長に対しても、いまだボルタックの設置については運輸省がだましたままになっていまして、それは保守系の銚子の市長すら了解を与えていない。これについては開港までにこれを解決するというめどがあるのかどうか、それから先ほど私が言った二カ月以内の公表の約束は直ちに履行すべきだと思いますが、その点について。
○松本(操)政府委員 大変申しわけないのでございますが、私、住民の要請がありましたので銚子のボルタックを設置いたしましたというふうにはお答えした覚えがないのですが、あるいはそういうふうにもし議事録に明らかに書かれているとすれば、私はとんでもない間違いをそのときにお答えしていることになろうかと思います。
これも同じく先般航空局に対する質問の中で、銚子におけるボルタック、無線誘導装置の設置について、あなたはこのときの答弁で、住民の要請があって無線誘導装置を銚子に設置した、こういうふうに、これは議事録にはっきり残っているのです。しかし飛行コースを知らされていない住民が、ボルタックの設置について要請するなんということは全く考えられないわけです。
最初の案では、当初あった案では、御宿のボルタックを成田が使うということになっていたんだけれども、それがなぜ羽田空域が使うようになったのか、その辺がよくわからないんだけれども、どうでしょう。
○政府委員(松本操君) 先ほど来、繰り返し御答弁申し上げましたように、当初の大ざっぱな考え方といたしましては、御宿のボルタックを使うことによりましてこれを成田空域のために活用すると、こういう考え方で考えておったわけでございます。
そこで、飛行コースを最終的にきちんと決めまして、それとの関連でボルタックの点も地元と十分お話し合いをしなければならない、こう思っております。
次に、先日の委員会で、銚子のボルタックの設置の問題について、運輸省が現地に配布した文書と現在のこのボルタックに対する取り組み方が非常に異なってきている、こういう実態があることを私は指摘いたしましたが、この点について改めて銚子市長に対してその後了解は得られたのかどうか、この一点をちょっとお伺いしたいとい思います。
また、裏返して言えば、航空局長もボルタックの問題については理解してもらいたいと言っているのです。ボルタックを理解してもらうためには、飛行コースが決まっていなければ、ボルタックを理解してもらうことは必要がないじゃないですか、航空局長どう思いますか。
銚子のボルタックにつきましては、ただいま御指摘のように、当初はこれを空域の分離に使おう、そして従来のコースの上に重ねて成田と羽田を使おう、こういうことでございました。しかしその後千葉県から、あるいはその他関係の市町村からいろいろと飛行コースについての御注文がございましたので、現在のところではこれを使わざるを得なくなってきたわけでございます。
銚子市には、御承知のように、ボルタックという成田空港に出入する飛行機のための飛行無線誘導装置を運輸省がおつくりになった。そのつくるときに、運輸省は銚子市長や銚子の市民にどういう説明をしたか。これは九十九里から成田空港に直接出入りする飛行機にその位置を知らせるためのボルタックだ、銚子市の上空を飛行機が出入りするためのものではない、そういうことを運輸省は銚子市に説明したのです。
すなわち「ケベック飛行(嘉手納ボルタックから半径二百浬以内での雲上有視界飛行)計画は、コットンテイルおよびグレイラビット空域における給油行動のために申し込まれる。」、こうあるではないですか。この事実をはっきり認めなくちゃならぬと思うのですが、どうですか。
そこでSR71機の超音速帰投の問題について聞きますが、「嘉手納ボルタックから一五〇マイルDMEの点に到着するまでに、那覇航空交通管制部と連絡をとり管制承認を求める。那覇航空交通管制部は嘉手納ボルタックから百マイルDMEまでにいたるうちに承認をださなければならない。」こうありますが、これは何分ぐらいで行けるのですか。
その実態は変わらないということは、やはり進入管制については、形式上はともかくとしても、実態としては嘉手納のボルタックでしか指示ばしないのじゃないですか。嘉手納のサインがないとできないわけでしょう。そのことを、皆さんは、ことばでごまかしているんだ。
では、現に嘉手納のボルタックを中心に米軍が管理をしているいわゆる進入路といいますか、その範囲はどのくらいになっているのか、それを説明していただきたいし、また運輸省、政府が那覇空港を管理できる半径、上空の高度、そういった面について説明してください。
ここが那覇飛行場としますとここが嘉手納、嘉手納のこのボルタックを中心に、高度二万から二万三千のところまでを米軍が全部管轄している、半径五十ノーチカルマイール、ここに久米島が出っぱって、久米島のまたボルタックがここにある、こういう範囲は、全部アメリカが握っておるんですよ。この中に入る飛行機は、ここの指示を得なければいかぬわけでしょう。
現在まだ横風用滑走路はできておりませんので、方向は、成田のほうは大体南北、それから百里のほうは大体これに直角に交わるような滑走路ですけれども、大体二十五キロから二十八キロくらいありますので、その間、ボルタックという保安施設がございますけれども、そのボルタックあるいはレーダーを使って利根川の北のほうから百里へ進入するということは可能でございます。
それからまた、了解覚書のB表の関係では、この表に記載いたしております十二カ所のうちの宮古島ボルタック施設及び宮古島航空通信施設、これが本年二月に返還をされまして、残りの十カ所についても対米調整を現在急いでいるわけでございます。 それからまた、了解覚書のC表の関係におきましては、三十二カ所のうち、那覇空港の一部をP3の関係で提供いたしたほかは、すべて復帰までに使用解除いたされております。
ただいま御指摘がございましたARSRを六カ所早急につくりまして、それによりまして日本の航空路を全体的に把握するということをぜひ早急にやりたいというので、ただいま五カ年計画におきましても、その保安施設につきましてはできるだけ三カ年のうちにやれということを指示しておりまして、あるいはそのほかにVOR、であるとかDMEであるとか、あるいはボルタック、そういったようなものを漸次整備するということをやらしております
この仕分けをするための手段は、地上にVORという電波無線標識をそれぞれの下に立てまして、空域の区域を、壁をつくる、たとえば百里と新空港との同におきましては銚子にボルタックというものをつくり、土浦にVOR、DMEというようなものをつくる。東京のほうにつきましては、新たに春日部あるいは下総、こういうようなところに新しくVOR、DMEをつくりまして、航空路、空域というものを仕分けをしてつくっていく。