2004-03-25 第159回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号
そういうことで、今日はそういう、本当に大雨でも降ると四輪駆動でも使わないとなかなかその第一コロニア、第二コロニア、第三コロニアまで行けないような道路の改修を、これボリビア政府が日本政府に行っているようでございますから、是非そういうこの三千人余の大変苦労をなさった方々が地球の裏側にいて日本の政府の援助を待っているというような状況を認識していただいて、これについてODAとかあるいは無償協力資金とかいうものを
そういうことで、今日はそういう、本当に大雨でも降ると四輪駆動でも使わないとなかなかその第一コロニア、第二コロニア、第三コロニアまで行けないような道路の改修を、これボリビア政府が日本政府に行っているようでございますから、是非そういうこの三千人余の大変苦労をなさった方々が地球の裏側にいて日本の政府の援助を待っているというような状況を認識していただいて、これについてODAとかあるいは無償協力資金とかいうものを
川口外務大臣、私どもの衆議院議員の皆さんが要請をされたときに、ボリビア政府から要請がないというようなお話を、答弁があったように私ども聞いておりますが、そういうことじゃございませんので、ちゃんとボリビア政府から要請も出ていますので、御検討をしていただいて、これらの本当に苦労をした皆さんに報いてあげていただきたいと思います。
もしそのときに、ボリビア政府から要望がないというふうに申し上げたということであれば、これは私の申し上げ方が悪かったのでおわびをいたしますけれども、私が申し上げたのは、優先度が付いてきますので、そういう意味で、一位ですとかね、そういう意味で、これはボリビア政府が第一の案件として日本にやってほしいというようなことで要望が来ていないという趣旨で申し上げたんですけれども、もし誤解が及ぼしさせるようなことでしたら
そこから今、ボリビア政府が正式にこの第一コロニア、第二コロニア、第三コロニアとサンタクルスを結ぶ道路を何とか外務省の無償資金援助といいますか、そういう資金を利用できないかというような要望が出ていますので、これはもう要望だけにさせていただきたいと思いますが、前向きにひとつ取り組んでいただけるようにお願いを申し上げておきたいというふうに思っております。
思想、良心及び宗教の自由についての児童の権利は拒否の権利が含まれることは、子供の権利委員会第三会期第五十三会議のボリビア政府レポート審査の過程で明確になっています。一九九三年一月十四日の第五十三会議でボリビア政府のレポートを審査する中で、子供の権利委員会はボリビア代表にこう質問しました。
ビルビル空港というものを旧サンタクルス空港にかわりましてつくるという大統領令というものが一九七六年、昭和五十一年でございますが、その十二月十七日に出まして、翌一九七七年一月にボリビア政府より我が国に対しまして資金協力及び技術協力の要請が参りました。
○藤田(公)政府委員 ただいま先生が御指摘のように、一九七八年二月二十四日ボリビア政府より借款要請が、ボリビアの外務省よりございました。これも事実でございます。
○井上(一)委員 私の承知している中で、一九七八年二月二十四日ボリビア政府より借款要請が行われた。そうすると、今お答えのあった、一九七七年一月ボリビア政府より資金協力及び技術協力要請があった――一月のいつでしょうか。そうすると、翌年の二月二十四日のボリビア政府よりの借款要請は何のための要請なのか、この点はいかがですか。
また、私立中高校を設立するという問題に関しましては、実際に学校が設立された場合でもどれくらいの子弟の方が入学されることになるか、また、学校の創設となりましては、当然ながらボリビア政府当局の事前の了解ないし協力が必要となりますので、この点の見通しも立てる必要がございます。
それから資金援助でございますが、これもボリビア政府からの要望がございますので、これを、現在非常に好意的に、できるだけ実現するように努力いたしておる次第でございます。
また、水害地に対しまする援助といたしましては、外務省といたしましては、まず三千ドルの見舞い金を現地に送金いたしましたし、さらに三千ドルをボリビア政府に対して寄付いたした次第でございます。さらに、事業団といたしましては千ドルの見舞い金を送っております。
ボリビアという国は、昔は米を外国から輸入していたのですが、日本人移住者がきてからは、その開拓地からとれる米で国内の米の全需要をまかなっており、ボリビア政府は日本人の優秀さ、勤勉さにおどろき、ボリビア人は日本人を尊敬しはじめている子うです。私たちの仲間が、それほど海外で活躍し、国際親善に大きな役割を果たしているのに、日本政府は移住者を援助してやろうとしません。海外に送りだしたあとは放りっぱなしです。
また、日本政府としてボリビア政府に対して同じく三千ドルの金を出していただくというような、きわめて適切な処置を迅速にやっていただきましたことに対しては、この効果は、両国のみならず、沖縄との関係におきましても非常に大きな結果を得たと思うのでありますが、お尋ねいたしたいのは、これは緊急な処置でございまして、いろいろと災害のあと始末その他につきましては、まだ今後政府の当局からいろいろと特別な御配慮をいただかなければならぬと
ところが最近ボリビアがアメリカの余剰農産物として米をもらったということで、さっき先生ちょっとおっしゃったように、米の過剰が一時的に起こったということで、わがほうの出先大使はボリビア政府に申し入れて、余剰農産物としては米を除いてもらいたい、ほかのものを入れるようにしてもらいたいというようなことを要請した。
その結果、この方はボリビア政府から強制退去を命ぜられて日本へ帰って来た。そのことじゃないかと思いますが、それ以外には、昨年邦人が自分の雇っていたボリビア人から、金を持っていたのがわかって殺されたというケース、その二つしか私覚えないのですが……。
ボリビアの場合には、ボリビア政府のほうで移住者を募集してくれということは言わないわけです。したがって、これはわれわれは募集という行為を考えておりません。
○森元治郎君 日本とボリビア政府との間の移住協定第四条に、「移住者の募集及び選考は、日本国政府又は同政府が指定する団体が行なう。」、この日本国政府または日本政府が指定する団体とは、一体どういうことになりますか。
ただ、最近伺いますとアメリカの援助が非常に消極的になっておるということで、これはどうしても日本が取ってかわって世話をするようにしなければ困るということで、現地の大使館も工作しておりますし、ボリビア政府もそういうつもりでおるようでございます。
これは非常に乱暴を働いて、そうしてピストルをぶっ放すとかいうことがございまして、ボリビア政府から強制送還の措置を講じられた。実際は本人が、その結果自分は日本に帰るということで、国援法の適用を受けて帰りました。
それからボリビアでございますが、これはボリビア政府から無償の土地をもらいまして、約一千名弱行っております。 それからドミニカでございます。これが約千五百名弱。ドミニカの場合は、相手国で土地を耕せるように提供いたしまして、家を建てまして、さらに最初の収穫があるまでの間生活補助金を出すということになって、月六十ドルくらいの補助金をつい最近までずっと続けておりました。
これはボリビア政府から無償で提供せられた土地でございますが、内部の道路の建設が十分でないうちに入れた。ところが、あのあたりに、入植後、去年ごろまでですが、従来にないひどい雨が降りまして、道路が不完全なところに雨が降ったものですから、作ったものが搬出できない。これは人道問題じゃないかということがいわれておりました。
それからもう一つ例を申しますれば、ボソビアのサンファンというところ、これは昨年の初めごろまであの移住地は道路も十分できていないで、作ったものは搬出できないんじゃないかといって、日本から見えられた方々がずいぶん攻撃せられた移住地でございますが、これも昨年の十月ごろから非常に改良され、現在におきましては、政府の援助によります道路建設の機械、それからボリビア政府の協力によりまして道路がすっかりできただけでなくて
三十二年度におきましては、インドネシア向けの化繊、スフの輸入禁止に伴いまして、普通輸出保険におきまして、かなりの事故が発生しておりますほか、コロンビアにおきまする為替制限、ボリビア政府の支払いの不能ということによりまして、輸出手形保険におきまして、かなりの事故が発生をしたのであります。 次に、昭和三十二年度の実績推定、三十三年度の運営の見通し及び収支バランスについてお答えを申し上げます。
ただ問題はボリビアの場合には、日本人は入れてくれますけれども、ボリビア政府の財政状態からいたしまして、日本人のためにいろいろ施設をすることができないということになっておりますので、それは私どもの方で資金を調達しなければなりません。その点でなかなか急に大量には望めないのではないかというふうに考えております。パラグァイにつきましては、これは昨年度以来盛んに人が出ております。
こういう話で今着々とボリビア政府と企業者との間に話をしておりますが、うまく行きそうであります。ただ一つの隘路はプラント輸出、プラントが行きますと、それに対する代金を、ドルの決済の問題で今ぶつかっているんです。もちろんこういったような問題は、われわれ公務員が直接やってもこれはできるものではありません。