2004-05-26 第159回国会 参議院 憲法調査会 第8号
主権を現代的用語として定義したのはジャン・ボダン、一五三〇から一五九六であり、彼は、フランス語のスブレニテがラテン語ではマエスタス云々と解説する。彼は、主権を、国家の絶対的で永続的な権力、フランス版、であると定義した。 中世でも主権論はあったと主張したのはオットー・フォン・ギールケである。
主権を現代的用語として定義したのはジャン・ボダン、一五三〇から一五九六であり、彼は、フランス語のスブレニテがラテン語ではマエスタス云々と解説する。彼は、主権を、国家の絶対的で永続的な権力、フランス版、であると定義した。 中世でも主権論はあったと主張したのはオットー・フォン・ギールケである。
これが三番にちょっと引用してございますジャン・ボダンの「国家論」からの主権というものの定義なんですが、ジャン・ボダンは十六世紀のフランスの法律家なんですが、既に十三世紀からフランスにおいて使われていた主権という言葉を正確に初めて定義した人というふうに知られております。
そういう場合に踏み切りの近くに、たとえばボダンを押せば、自動的に装置してあって、百メートル、二百メートル先において光が出るなり発煙信号ができるなり、そういうような自動的な装置、これは大して金がかかるものじゃないと思う。こういうものを特に都市の踏み切りには義務的に装置させて、とにかく踏み切り事故を最小限に食いとめるという工夫が私は必要だと思う。これは何も法律の改正を要するものじゃない。
その後何にもお手当もされておらないようでありますが、これは警官のほうはシヤツのボダンが三つ切れたとか、オーバーのボタンが切れたとか、そういう下らないことまで一々詳細取調べて報告がされておるのに、なぜこういう一方的なやり方に対して、あなたは署長として基本的人権を守る、法の守り手としてなぜこういう点について深い遺憾の意を表されないのでしようか。
何も道具を持つて行きませんから記録の方法はボダンとか万年筆のこの長さとか、或いは歩幅とかというような記録の方法で六筆をやつて見たのであります。そうすると、ここで私発見したことは、ここは籾が慣行になつておる村なんであります。で私が見ます限りでは籾十二俵なら十二俵穫れるというような水田が、六俵半というような査定が行われております。