1984-06-28 第101回国会 衆議院 社会労働委員会 第19号
昨日も御連絡をいたしておきましたが、例のボゴダ丸、昭和二十四年の一月九日に、これは引揚船に使っておった船だと思うのですが、このボゴダ丸が、米軍より引き渡された四千八百二十二体、うち遺骨三百七柱を積み込んで、マニラから佐世保の針尾に陸揚げをして火葬をしたわけですね。当時の佐世保引揚援護局というそこで保管をして、それから、後日復員局の方に移送したわけです。
昨日も御連絡をいたしておきましたが、例のボゴダ丸、昭和二十四年の一月九日に、これは引揚船に使っておった船だと思うのですが、このボゴダ丸が、米軍より引き渡された四千八百二十二体、うち遺骨三百七柱を積み込んで、マニラから佐世保の針尾に陸揚げをして火葬をしたわけですね。当時の佐世保引揚援護局というそこで保管をして、それから、後日復員局の方に移送したわけです。
そして西村さんに対しては、西村さんのお父さんがボゴダ丸で遺体として送還されたわけですね。西村さんは名簿ではっきりわかっているのだ。ここへ伝達したと言っている、福岡県を通じて。 言いたいのは、火葬に付したのは申し上げたように一月十三日から二月十二日までの間だから、そこで「二十四年十一月までの間に佐世保引揚援護局から福岡県を通じ、遺族に伝達しているものと推測されます。」、こうある。
こういう回答が廻つておりますのと、外務省側で調査した梁瀬美智子の乘つておりましたボゴダ丸には、同時に乘船いたしておりました者が二十四名あることが判明いたしております。