1954-02-03 第19回国会 衆議院 外務委員会 第4号
この第二回は、第一回終了後十五日ないし三十日の間に実現すると、ソ連のホロドコフ社長はわれわれに口頭で約束してくれたのでございましたが、なかなか実現しないので、昨年の十二月二十四日に催促の電報を打ちましたところ、各地に散在しておる人たちで集結にひまどるからしばらく待つてほしい、集結さえ終ればあらかじめ送還の日取りを通知するという回答に接したのでございます。
この第二回は、第一回終了後十五日ないし三十日の間に実現すると、ソ連のホロドコフ社長はわれわれに口頭で約束してくれたのでございましたが、なかなか実現しないので、昨年の十二月二十四日に催促の電報を打ちましたところ、各地に散在しておる人たちで集結にひまどるからしばらく待つてほしい、集結さえ終ればあらかじめ送還の日取りを通知するという回答に接したのでございます。
についてはソ連側は黙しておるということで、非常に前途は暗澹としておるのでございますが、この残つておる日本人につきまして何か材料はないか、いわゆるシヴイリアンの犯罪人だけ帰すと言われるならば、犯罪人で刑期を満了しない者もまだあるのではありませんか、また犯罪人がおるばかりとも思えません、犯罪人でない日本人も相当数あるのではありませんか、そういう問題について何かの情報を提供してもらいたいということをホロドコフ社長
またこの日本人の帰国あるいはその他の外国人の戦犯者の帰国というような問題も、ソ連の政府の平和政策の一環だということをホロドコフ社長が言われましたが、そういう趣旨から大山さんがあそこにおいでになつたのが、ちようどいい機会で話されたのではないかと思うのでございます。
この新聞情報が伝わりまして、直ちに私たちはソ連の赤十字に対して七月二十三日に我々は、先ほど島津社長から報告がありました通り、引揚者を引受ける全面的な用意があるという電報を打つたのでありましたが、実はその回答がないのでちよつと困つておつたのでございますが、大山さんが二月後の九月の十九日にソ連赤十字のホロドコフ社長と会いまして、この問題の実施に関して具体的な話をされた模様でありまして、ホロドコフ社長の伝言
そういうような関係から赤十字の正常なる径路によつてこの問題を円滑に解決したいということをモロトフ外務大臣が大山さんに伝え、そして更に大山さんがモロトフ外相の示唆によつて行かれたかどうか、そこまでは存じませんが、ホロドコフ社長と会われて、そして日本赤十字社との径路を樹立されたような工合でありまして、やはり民間団体である赤十字を通じてこの問題を処理したいというような意向があつたように思います。
そして、代表団の方から実はその名簿がほしいのですがと言いましたところ、ホロドコフ社長は、名簿は自分の手元にない、そして、非常に軽い意味で、それでは中国側に聞いてみたらいかがですかというように言われました。そういうわけで、これについても名簿はいただけないものと解釈いたしまして、今後中国側との折衝によつて何とか明らかにしたいと思つております。
幸いに大山さんがモスクワに立ち寄られました場合に、モロトフ氏との会見があり、それから引続いてソ連赤十字のホロドコフ社長と面会されて、引揚げ問題を日本赤十字と直接に交渉したいというような申出がありましたので、私たちの千電報に対しても、先方からは予想以上に早く回答が参りまして、わずか数週間にしてモスクワに行くというような次第になつたのであります。
今朝帰りましたばかりでございますので、留守をいたした間の事情を私詳しく聞いておりませんが、さらにソ連のホロドコフ社長の御招待につきましては、今回は何もこちらから申入れはいたしておりませんが、将来そういうことができますれば、赤十字としましては非常に喜ばしいことと存じております。
第一回の会談は、私どもは当初はほんの顔合せというようなことであるし、それから中共などの場合ですと、大体日本側の言分を聞いて、そうしてそれではどうやるかというようなことで、あとから返答が出るだろうというようなことでやつたのでありますが、今回は逆に第一回の会談でホロドコフ社長、それからシヤロノフ副社長など出ておりまして、相当具体的なものが示されたのでございます。