2015-09-07 第189回国会 参議院 憲法審査会 第4号
これを見た松本烝治国務大臣は、一院制では選挙で多数党が替わるたびに前政権が作成した法律が全て変更され、政情が安定しなくなることを指摘し、GHQ民政局局長のホイットニー准将に二院制の存続を迫ったと聞いております。
これを見た松本烝治国務大臣は、一院制では選挙で多数党が替わるたびに前政権が作成した法律が全て変更され、政情が安定しなくなることを指摘し、GHQ民政局局長のホイットニー准将に二院制の存続を迫ったと聞いております。
○荒井広幸君 マッカーサー、そして民政局のホイットニー准将、そしてケーディスという大佐、この方が二十一年の二月十三日に吉田外務大臣と憲法を担当する松本烝治大臣と話をする。そのとき渡されたのがマッカーサー・メモです。 一院制でした。衆議院と呼ぶかどうかは別として、一院制だったんです。
日本国憲法草案作成に参画し、男女平等の文言を加えた女性、ベアテ・シロタ・ゴードン女史の自伝「一九四五年のクリスマス」にも、日本国憲法はGHQ民政局が書き、日本政府がこの憲法を受け入れないときは、言葉でおどすだけでなく力を用いてもよいという権限をホイットニー准将はマッカーサー元帥から与えられていたと明確に書かれていますが、たとえマッカーサーからの押しつけ憲法であったとしても、六十年もの間、我が国国民の
しかし、それはマッカーサー元帥もホイットニー准将もあるいはケーディス大佐も同様に、一週間でまずまずのでき栄えの憲法ができた、こう思っていたのではないかと思います。 たとえ民間人もいたとはいえ、軍人を中心とする少数の人々の手で、しかも一週間でまとめられた憲法を六十年近い間見直すことがなかったというのは世界的にも珍しく、余り名誉なこととは言えないように存じます。
その草案をホイットニー准将が日本側に手交するに当たりまして、日本側がつくったものとして公表しろと命じているわけでございます。同時に、日本側からは、どうしても改正を許されないのは何箇条かと聞いているのに対しまして、全部だと答えているわけであります。ただ、理解を容易にするために、てにをはの部類の中では許されるものがあるだろうと答えておるわけでございます。
最後の点ですけれども、ホイットニー准将が言ったと伝えられているところによると、もしこの草案が日本側によって拒否されたのであれば、マッカーサーは国民、人民に直接働きかけて支持を得ようとするというふうに言ったということであります。率直に言ってどこまで本気だったかはわかりませんが。
そして、一カ月そこで勤めたころ、二月四日の朝十時に民政局長ホイットニー准将が私たちを呼んで、次のことを発表しました。あなたたちはきょうから憲法草案制定会議のメンバーになりました、これは極秘です、あなたたちはマッカーサー元帥の命令で新しい日本の憲法の草案をつくるのが任務です。これを聞いたのは二十人ぐらいでした。みんな随分びっくりしました。
ホイットニー准将とそのことを話して、ホイットニー准将と相談して、そしてその後はそれを全部カットしちゃったんです。でも、すぐ決めることではなかったんです。だから、何かそのことはあの人たちの心に入ったみたいです。 しかし、今度運営委員会と日本政府との最後の会議には、日本側が、これはこういう権利は日本に合わない、文化に合わない、全部そういうことを言いました。
それをGHQの民政局の次長であったケーディス大佐が、自衛戦争までも否定するというのは例を見ないことであるというので、ケーディスの判断でこれを削り、ケーディスはさらにホイットニー准将という上にも上げて了承をとっているわけでございまして、朝鮮戦争までいきませんで、マッカーサーが最初にマッカーサーノートを出した直後に、自衛戦争まで否定するのは幾ら何でも無理だというので、GHQの中で早い段階でそれは修正されているということでございます
一つの例をとって申し上げますと、昭和二十一年二月に、マッカーサーはホイットニー准将に命じまして、三原則を示して、日本国の憲法を部下に作成を求めたわけでございました。その中には、主権の発動である戦争は放棄する、国際紛争解決のための手段としての戦争も、自国の安全を守るためのそれをも放棄するとうたわれているわけであります。
その注射の結果非常によくなりまして、だんだんよくなってはおりましたけれども、一月二日にはまだ病気が重い、それで病床にずっとあったのですから、ほかの人は絶対に面会謝絶、だからホイットニー准将のお話は記憶違いだろうと思います。
あなたは現行日本国憲法がマッカーサーの草案をほとんど九〇%翻訳してできておるということはお認めになると思うが、それとともにマッカーサーがホイットニー准将に憲法制定の基本原則として与えた、天皇及び軍備、それから貴族制度等に関する基本原則、これらのものはこの中に完全に順守されておる。そうしてマッカーサー草案のほとんど全部がこの中に入っておるということはお認めになると思うのです。
そこでいわゆるマッカーサー・ノートを発し、ホイットニー准将をしてその率いる政治局員を総動員し、昭和二十一年二月一日より、わずか十日間にして憲法草案の作成を完了し、二月十三日には、この草案を松本国務大臣に手渡しをしているのであります。
○議長(佐藤尚武君) 私から議院運営委員会に御報告を申上げたいと思うのでありますが、それは今皆さん方に書類をお配りした筈でありますが、過日ホイットニー准将から私へ宛てて手紙をよこしました。そうして南カロライナ州における渡米議員団に対する決議文を廻して参つたのであります。