2001-11-29 第153回国会 衆議院 憲法調査会 第4号
どうも私はペルーのテロ事件といったものと縁があるのか、着任一日目にしてペルー軍による軍事突入が起こりました。日本人人質の死者はゼロでしたが、ペルー人人質が一名、ペルー軍兵士が二名死亡し、公邸占拠グループ十四名も突入の際の爆破で死亡したというふうに報じられました。
どうも私はペルーのテロ事件といったものと縁があるのか、着任一日目にしてペルー軍による軍事突入が起こりました。日本人人質の死者はゼロでしたが、ペルー人人質が一名、ペルー軍兵士が二名死亡し、公邸占拠グループ十四名も突入の際の爆破で死亡したというふうに報じられました。
その解決は、フジモリ・ペルー大統領のリーダーシップによって、ペルー軍の特殊部隊が入念な作戦を立てて、一挙に突入をして解決を図る。数名の死亡者が出ましたけれども、ほとんどの人質は無事救出をされた。
犯人はペルー軍兵士ということで数名の兵士が検挙されて、多分裁判に付されているんだろうと思います。日本の裁判は若干長い、時間がかかることで有名ですけれども、海外の場合にはそんなことはないので、迅速な裁判が実現されていると。
早いもので、ペルー日本大使館公邸占拠事件がペルー軍特殊部隊の救出作戦によって解決を見てから一年がたとうとしています。この不幸な事件に対する第一義的な責任は、駐在大使館の安全を保障すべきペルー政府にあります。しかし、それと同時に、テロ多発国家において余りにも無防備にパーティーを開催した日本大使館、すなわち日本政府としてもその責任の一端を負うべきことは言うまでもありません。
そして、それを受けて記者の諸君からまた御質問がありましたので、私がペルー政府に毅然たる抗議を行うべきであったとの御批判をいただいているが、本件については、軍人の関与がペルー軍により確認された後の十二月二十七日以降、数度にわたり現地の小西大使を通じ、事件の真相の究明や事件に関与した者への適正な処罰を申し入れている。
四月二十三日にはシプリアニ大司教が、死亡した最高裁判事、二人のペルー軍兵士、そして我々も同じ人間であるということも言っていますし、また、国際赤十字のミニング代表が、トゥパク・アマルも同じ人間であるということを言っています。また、解放されました当地のムニャンテさんというのですか、農業大臣も、実際に撃たなかったということも言っております。
各紙の報道を読みますと、複数の人質の証言で、大使公邸に突入し武力制圧を行ったペルー軍部隊は、投降の意をあらわしたゲリラがいた、それから武力制圧が終わった後にも何人かのゲリラが生存していたと伝えられています。しかし、ペルー政府の発表ではゲリラ側に生存者はいなかった。投降または拘束されたゲリラは軍によって処刑、射殺されたと考えられるのですが、事実関係はいかがでしょうか。
天皇誕生日の祝賀のため大勢の方々をお招きし、かかる事件を引き起こしましたこと、また結果として人質の中から一名、救出に当たっていただいたペルー軍の中から二名の殉職者を出しましたこと、まことに申しわけなく、心から哀悼の意を表したいと存じます。すべての方々に対し、政府の最高責任者として、この場をかりて改めておわびを申し上げます。
○国務大臣(梶山静六君) 一昨日早朝、ペルー軍特殊部隊による在ペルー日本大使公邸人質救出作戦が実行され、日本人人質二十四名を含む七十一名の人質が救出をされました。 フジモリ大統領を初めとするペルー政府関係者には、テロに屈することなく、すべての人質を安全に救出するために周到に準備され、大部分の人質を無事救出いただきました。
このような中で、先生が今御指摘のとおり、日本時間で二十三日の午前五時二十三分、ペルー軍特殊部隊が救出作戦を敢行いたしまして、その結果、人質七十二名のうち七十一名が無事に救出されたわけでございます。 外務省といたしましては、第一に、この救出作戦におきまして、人質となっておりましたペルーの最高裁の管理局長及びペルー軍関係者二名、計三名の犠牲者が出たことに対して深い哀悼の意を表したいと思います。
○内閣総理大臣(橋本龍太郎君) 昨年末以来、我が国にとっての大きな懸案でありました在ペルー大使公邸占拠事件については、日本時間二十三日午前五時二十三分、ペルー軍特殊部隊がMRTAの占拠する大使公邸への救出作戦を実行し、この結果、七十一名の人質が無事救出されました。その中には、日本人人質二十四名全員が含まれております。