1976-10-29 第78回国会 参議院 科学技術振興対策特別委員会 第4号
それからイタリアのローマ大学のアマルディ博士、原子力のこれも先達、ドイツのハイゼンベルグ、デンマークのニールスボアー、それからフランスの当時の原子力委員長のペラン博士、こういう人たちをことごとく日本へお招きして、そうして日本の新たなる平和利用の面に対するいろいろの示唆を受けた。議会も民間の産業会議もそのときにできて、非常にピッチが上がった。
それからイタリアのローマ大学のアマルディ博士、原子力のこれも先達、ドイツのハイゼンベルグ、デンマークのニールスボアー、それからフランスの当時の原子力委員長のペラン博士、こういう人たちをことごとく日本へお招きして、そうして日本の新たなる平和利用の面に対するいろいろの示唆を受けた。議会も民間の産業会議もそのときにできて、非常にピッチが上がった。
くというようなことは心配しておらないのでありますが、丁度そのいい例といたしまして今回ヨーロッパの合同原子核研究所が中立国であるスイスに、御存じでございましようが作られて、その作られる内容も、先般国際理論物理学会に出席して来られました、この研究所の先ず設立並びに構想を殆んど中心となつてやつておられるところのイタリーのアマルデイ博士、それからこれにやつぱり同じような重要な位置で参画しておられるフランスのペラン博士