1965-04-23 第48回国会 衆議院 外務委員会 第17号
よく、南ベトナムのことを言うのに、ベトナム人がベンハイ川からカマウまでということばを使いたがりますが、大体そこを全部見てきたわけです。当時台風でジェーンというのとアイリスというのと二人魔女があばれまして、幹線道路と鉄道が破壊されて、バスも行けなくなったので、中部地帯は行けなかったのですけれども、あと行けるところは一応行ってきたわけです。
よく、南ベトナムのことを言うのに、ベトナム人がベンハイ川からカマウまでということばを使いたがりますが、大体そこを全部見てきたわけです。当時台風でジェーンというのとアイリスというのと二人魔女があばれまして、幹線道路と鉄道が破壊されて、バスも行けなくなったので、中部地帯は行けなかったのですけれども、あと行けるところは一応行ってきたわけです。
いわゆる分割して統治するということが続けられてきたのですが、そのときにも、ベトナムは一つであるということで、有名なベトナムの古典的な叙事詩、いろいろありますが、そういうようなものも、全部南北を通じて、先ほど開高さんはあそこのベンハイ川からカマウまでということを言われたのですが、全部合わせますと、ランソンからカマウまでということがベトナムの人の間でよく言われるのです。