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8件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1969-06-13 第61回国会 衆議院 外務委員会 第24号

そこで、お尋ねしますが、第一点がその問題、それから第二点は、沖繩返還後またはベトナム解決後の極東情勢に対する判断、それに伴う日本外交路線、その二点にしぼってお尋ねをいたしたいと思います。  最初に、いまの安保諸条約の運用を適正に行なうことによって、沖繩の基地における米軍の果たしておる軍事的効用を阻害することのない方法が考えられるのではないかとあなたは物語っておられたわけだ。

穗積七郎

1969-06-12 第61回国会 衆議院 内閣委員会 第30号

日本は、パリ会談ベトナム解決方式がきまったとき、その実施を監視監督するための国際機構に参加することができる、私はこのことを滞日中に日本政府に伝えるつもりだ。また南ベトナム政府は、日本がポストベトナム復興開発計画に積極的に参加することを強く希望しておる、こういうことを言われた。これは将来の話でありますけれども、一応問題が具体的に出されておるし、保利長官見解を出されておるのです。

楢崎弥之助

1968-04-12 第58回国会 参議院 予算委員会 第18号

そのほか、国連の改組問題、ベトナム解決後のアジアにおける米軍事力沖縄返還具体的スケジュール南ベトナムに対する日本援助の内容及び医療援助について、在韓国連軍及び国連軍の地位に関する協定など、広範にわたる質疑が行なわれ、それぞれ外相代理及び政府委員より詳細な答弁がありました。  

近藤英一郎

1968-04-01 第58回国会 衆議院 外務委員会 第7号

これはわれわれ再再言ったように、ベトナム解決はすでにもう済んでおるのだ、それは一九五四年のジュネーブ協定である、アメリカがその線につくべきである。当時は共同署名国ではありませんが、単独声明を出しまして、これを支持しておるわけですから、いわば締約国と同列なんですね。それをあえて破っておったところに問題があった。

穗積七郎

1967-07-31 第56回国会 衆議院 本会議 第4号

去る七月二十七日、某新聞の報道によれば、コスイギン首相は、三木外相との会談の席上で、もし条件さえ整えば、中国と絶縁してもベトナム解決に踏み切ってもよいとの意思表示があったやに伝えております。  従来、われわれの常識的見解では、中国を除外してベトナム問題の解決はあり得ないというのが、本日までの一般的観察でありました。

春日一幸

1966-04-21 第51回国会 参議院 外務委員会 第8号

委員会でもよろしいし、世間に向かって新聞発表でもいいですから、われわれのベトナム解決方法はこのとおり、この中にはマンスフィールドの意見もあるでしょう。いろんなその後、最近の、もっと具体的に言えば、予算委員会でやったあとの情勢の変化も組み入れた、アメリカにも聞こえるように、北ベトナムにも、ベトコンにも、グェン・カオ・キにも、聞こえるようなひとつ案をぜひつくって御被露願いたいと思います。

森元治郎

1966-04-21 第51回国会 参議院 外務委員会 第8号

森元治郎君 訓令は、ベトナム解決の糸口を見つけてこい、どこへ行って見つけてくるかは特使が見つけてくるのだ、受けるほうも、承知しましたということで出ていったのですか。どっかへ行って拾ってこい。そうじゃなくて、大臣も総理もお会いして、とくと訓令を授けて、どの辺の国を回れ、会ったらこういうことを言え、そういうことは当然あったわけですね。

森元治郎

1965-03-10 第48回国会 参議院 予算委員会 第8号

向井長年君 特に、昨日の夕刊に出ておりますけれども、このベトナム解決に対して、国連事務総長であるウ・タント氏から、新しい平和解決へのいわゆる提案がなされております。これに対しまして、わが国はアジアの一員とし、あるいはまた国連加盟国として、これを積極的に支持すべきである、こういうようにわれわれ考えるわけでありますが、総理見解をまずお聞きしたいと思います。

向井長年

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