1969-06-13 第61回国会 衆議院 外務委員会 第24号
そこで、お尋ねしますが、第一点がその問題、それから第二点は、沖繩返還後またはベトナム解決後の極東情勢に対する判断、それに伴う日本の外交路線、その二点にしぼってお尋ねをいたしたいと思います。 最初に、いまの安保諸条約の運用を適正に行なうことによって、沖繩の基地における米軍の果たしておる軍事的効用を阻害することのない方法が考えられるのではないかとあなたは物語っておられたわけだ。
そこで、お尋ねしますが、第一点がその問題、それから第二点は、沖繩返還後またはベトナム解決後の極東情勢に対する判断、それに伴う日本の外交路線、その二点にしぼってお尋ねをいたしたいと思います。 最初に、いまの安保諸条約の運用を適正に行なうことによって、沖繩の基地における米軍の果たしておる軍事的効用を阻害することのない方法が考えられるのではないかとあなたは物語っておられたわけだ。
日本は、パリ会談でベトナム解決方式がきまったとき、その実施を監視監督するための国際機構に参加することができる、私はこのことを滞日中に日本政府に伝えるつもりだ。また南ベトナム政府は、日本がポストベトナムの復興開発計画に積極的に参加することを強く希望しておる、こういうことを言われた。これは将来の話でありますけれども、一応問題が具体的に出されておるし、保利長官も見解を出されておるのです。
そのほか、国連の改組問題、ベトナム解決後のアジアにおける米軍事力、沖縄返還の具体的スケジュール、南ベトナムに対する日本の援助の内容及び医療援助について、在韓国連軍及び国連軍の地位に関する協定など、広範にわたる質疑が行なわれ、それぞれ外相代理及び政府委員より詳細な答弁がありました。
そういうことになりますと、いまの情勢の中では、北ベトナム政府はもとよりでありますが、南の人民解放戦線のオーソリティ、それからもう一つは、あっせん者としては中国を加えることが、私はベトナム解決並びに今後のアジアの平和を確保するために望ましいことではないかと思う。
そうなりますと、アメリカがこれによって包括的にアメリカの敗北を認めてのベトナム解決の政治的条件というものが、例の十項目かありましたが、ああいうものではお話にならぬけれども、従来よりは一歩前進であるということを認めざるを得ない。
これはわれわれ再再言ったように、ベトナム解決はすでにもう済んでおるのだ、それは一九五四年のジュネーブ協定である、アメリカがその線につくべきである。当時は共同署名国ではありませんが、単独声明を出しまして、これを支持しておるわけですから、いわば締約国と同列なんですね。それをあえて破っておったところに問題があった。
去る七月二十七日、某新聞の報道によれば、コスイギン首相は、三木外相との会談の席上で、もし条件さえ整えば、中国と絶縁してもベトナム解決に踏み切ってもよいとの意思表示があったやに伝えております。 従来、われわれの常識的見解では、中国を除外してベトナム問題の解決はあり得ないというのが、本日までの一般的観察でありました。
したがって、ウ・タント国連事務総長が見えられたときには、どうかほんとうにアジアの一国として、熱情を傾けてベトナム解決のために十分な話し合いをしていただきたい。これはもう特にお願いをいたします。
当委員会でもよろしいし、世間に向かって新聞発表でもいいですから、われわれのベトナム解決の方法はこのとおり、この中にはマンスフィールドの意見もあるでしょう。いろんなその後、最近の、もっと具体的に言えば、予算委員会でやったあとの情勢の変化も組み入れた、アメリカにも聞こえるように、北ベトナムにも、ベトコンにも、グェン・カオ・キにも、聞こえるようなひとつ案をぜひつくって御被露願いたいと思います。
○森元治郎君 訓令は、ベトナム解決の糸口を見つけてこい、どこへ行って見つけてくるかは特使が見つけてくるのだ、受けるほうも、承知しましたということで出ていったのですか。どっかへ行って拾ってこい。そうじゃなくて、大臣も総理もお会いして、とくと訓令を授けて、どの辺の国を回れ、会ったらこういうことを言え、そういうことは当然あったわけですね。
○向井長年君 特に、昨日の夕刊に出ておりますけれども、このベトナム解決に対して、国連の事務総長であるウ・タント氏から、新しい平和解決へのいわゆる提案がなされております。これに対しまして、わが国はアジアの一員とし、あるいはまた国連加盟国として、これを積極的に支持すべきである、こういうようにわれわれ考えるわけでありますが、総理の見解をまずお聞きしたいと思います。