1972-05-12 第68回国会 参議院 本会議 第14号
さらに、沖繩県民は復帰を三日後に控えて、いま連日、アメリカ空軍機のベトナム発進の爆音にさらされています。沖繩県民は復帰後もこの状態が続くであろうことに、抗議と不安を抱いていることは言うまでもありません。このような状態では復帰を祝うどころではないはずであります。
さらに、沖繩県民は復帰を三日後に控えて、いま連日、アメリカ空軍機のベトナム発進の爆音にさらされています。沖繩県民は復帰後もこの状態が続くであろうことに、抗議と不安を抱いていることは言うまでもありません。このような状態では復帰を祝うどころではないはずであります。
というのは、ここに私は明確に、佐藤総理、これは四十五年十二月十五日、参議院の予算委員会で、「返還後は核兵器の持ち込みは認めない、」「沖繩からのベトナム発進は認めない。」「B52の常駐は認めない。第三国のベトナム等——たとえばベトナム等の軍人の沖繩での訓練は認めない」、これは総理大臣に私が確認した問題です。これを「再確認してよろしゅうございますか。」佐藤首相、「そのとおりでございます。」
○羽生三七君 いまの中には、よろしゅうございますか、核兵器やB52の発進以外に、沖繩からのベトナム発進も入っておるから、それも認められたわけですね。絶対そういうことはないということ、これはけっこうだと思います。そうあるべきだと確信をいたします。 そこで明年四、五月に、あるいは夏までに調印されるとすれば、すでに日米間で相当話が煮詰まっていなければならぬと思います。
次は沖繩からのベトナム発進は認めない。返還後ですよ。B52の常駐は認めない。第三国のベトナム等——たとえばベトナム等の軍人の沖繩での訓練は認めないと言われたこれまでの政府答弁は、そのまま再確認してよろしゅうございますか。これは外相の答弁はしょっちゅう外務委員会で承っておりますから、総理から再確認をしていただきたい。
少なくとも一九七二年に返還が実現したとしても、沖繩基地からのベトナム発進が随意に行なわれることは、すでに明らかであります。 アメリカ側は、今回のカンボジア侵攻をきわめて限定された地域、限定された期間内に限るといたしておりますが、いわゆる聖域をつぶすことによってベトナム戦争の早期終結を可能とする判断には、きわめて強い疑問を抱かざるを得ないのであります。
特に、昨年秋の日米共同声明において、沖繩よりのベトナム発進について、極東の範囲が従来の政府言明から大きく逸脱して、ベトナムを含めた広範囲なものとなり、アジアにおける日米共同作戦がもたらす危険をますます増大しております。自衛権の本質と自衛権の行使の地域的範囲の限度にも明らかな歯どめがなく、国際的な不安を招くことは当然であり、政府は、この点について明確にすべきものと考えるのであります。
しかるに、一九七二年、沖繩返還予定時までにベトナム戦争が終結をしていないときに、沖繩基地からのベトナム発進については再協議することになっております。ベトナムのソンミ村の虐殺は、戦争の残虐をまざまざと見せるとともに、かかる残虐なベトナム戦争に協力する体制を強化しようとしているのはきわめて許しがたいことであります。 ここで、総理にお尋ねをしたい。