2014-10-15 第187回国会 衆議院 外務委員会 第2号
資料三に、「ベトナム外交の戦略と手段」ということで、あっちこっちの資料から引っ張って、まとめていきました。 一つ一つちょっと読んでみますと、一番は、ベトナム外交は押したり、引いたり、おどしたり、融通無碍の超現実的主義。それから三番に行きまして、ベトナム軍及びベトナム人の持久力と精神力の強さ、戦術の巧みさ。
資料三に、「ベトナム外交の戦略と手段」ということで、あっちこっちの資料から引っ張って、まとめていきました。 一つ一つちょっと読んでみますと、一番は、ベトナム外交は押したり、引いたり、おどしたり、融通無碍の超現実的主義。それから三番に行きまして、ベトナム軍及びベトナム人の持久力と精神力の強さ、戦術の巧みさ。
また、共同声明では、ベトナムのソ連基地提供について懸念を表明しておられますが、すでにソ連・ベトナム外交当局と日本外務省との接触において、カムラン湾におけるソ連海軍の所在というものは明らかでありますし、その影響というものは軽視できないものであります。
この内容は、今度ホーチミン市、サイゴンにある大使館とハノイにある大使館を統合してハノイに置くという内容でありますが、これを契機にして日本政府の対ベトナム外交政策の基本姿勢、これについて一言お伺いしたいと思います。
○受田委員 邦人の生命、身体、財産の保護の重責に任じておるという人見大使を中心の在南越ベトナム外交官たちは、こうした日本の経済援助の対象になり、また、そこに勤めておるお医者さんとか大学の先生とか、こちらの関係の方々に対して、どういう手を打っておられるでしょう。
いずれにしても、対ベトナム外交というものは、パリ協定が締結をされた今日の段階で、いままでの日本政府、日本の外務省がとってきたそのことをそのまま伸ばしていこうということであれば、これは間違いが起こってくると思うのです。したがって、これはパリ協定を順守するということであるわけですから、ことばだけではなくて、実際にもそれをやっていかなければならぬ。
そこで、次に対ベトナム外交についての政府の基本的な考え方を伺いたいわけですが、大平外務大臣は、ベトナム民主共和国との国交の正常化ということについては打診を続けているということを言われました。そこでまず政府として対ベトナム外交についてどういう基本的な考え方で臨まれるのか、また臨まれているのか。特にパリ協定が締結された以後の今日の状態の中でそのことを最初に承っておきたいと思うのです。
やはり外交というのは、中国の人、特にベトナムの人の立場になってものを考えた場合にどうなるかということをお考えになるのが非常に大切だと思うんですけれども、この三宅課長を派遣されたというような、そういう意味のベトナム外交をこれからもおやりになるつもりがあるのかどうか、いかがですか。
次に、政府の対ベトナム外交の方針を伺います。 福田外務大臣は、さきにベトナム民主共和国に外務省の担当課長を非公式に派遣したことをもって、あたかもベトナム民主共和国との接近をはかっているかのごとく宣伝されました。しかし、私がベトナム民主共和国を訪れたとき、その政府責任者は「日本国民の私たちに対する支援に感謝します。しかし、佐藤内閣は敵です」と明快に述べていたのを、いまもはっきりと記憶しています。
また、ベトナム外交につきましては、お尋ねのありましたように、ただいま安保理事会におきまして、この問題が積極的に取り扱われておる。今後の成り行きによりまして、この和平ができるかどうかという問題だと思います。
そういうわけでありますから、サンフンシスコ講和条約において日本国が承認をしたときの条件と、一九五四年におけるこのジュネーブ協定のときにおける変革、そのことを考えて対ベトナム外交方針というものを立てるにあらざれば、これは現実に遊離したというか、現実を無視した扱い方と断ぜざるを得ない。この点いかがでありますか。
「コーチシナが植民地の地位から解放された一九四九年三月八日のフランス・ベトナム協定成立以後は、コーチシナを含めてベトナムは独立国となり、従って自分はそれ以来ベトナム人になったわけである、問題の桑港会議には自分は——ちょっとフランス語ですからなんですが、ナショナリテ・ベトナミエヌ、ベトナム国籍と記載したベトナム外交旅券を持って出席した。」こういう返事でございます。
それから、大使館員がフー氏の自宅を訪れて確かめたところ、「コーチシナが植民地の地位から解放された一九四九年三月八日のフランス・ベトナム協定成立以後は、コーチシナを含めてベトナムは独立国となり、従って自分はそれ以来ベトナム人になったわけである、問題の桑港会議には自分はナショナリテ・ベトナミエヌ、ベトナム国籍と記載したベトナム外交旅券をもって出席した。」こういうことです。