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10件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2014-10-15 第187回国会 衆議院 外務委員会 第2号

資料三に、「ベトナム外交の戦略と手段」ということで、あっちこっちの資料から引っ張って、まとめていきました。  一つ一つちょっと読んでみますと、一番は、ベトナム外交は押したり、引いたり、おどしたり、融通無碍の超現実的主義。それから三番に行きまして、ベトナム軍及びベトナム人持久力精神力の強さ、戦術の巧みさ。

宮沢隆仁

1973-05-30 第71回国会 衆議院 外務委員会 第18号

いずれにしても、対ベトナム外交というものは、パリ協定が締結をされた今日の段階で、いままでの日本政府日本外務省がとってきたそのことをそのまま伸ばしていこうということであれば、これは間違いが起こってくると思うのです。したがって、これはパリ協定を順守するということであるわけですから、ことばだけではなくて、実際にもそれをやっていかなければならぬ。

金子満広

1973-05-30 第71回国会 衆議院 外務委員会 第18号

そこで、次に対ベトナム外交についての政府の基本的な考え方を伺いたいわけですが、大平外務大臣は、ベトナム民主共和国との国交の正常化ということについては打診を続けているということを言われました。そこでまず政府として対ベトナム外交についてどういう基本的な考え方で臨まれるのか、また臨まれているのか。特にパリ協定が締結された以後の今日の状態の中でそのことを最初に承っておきたいと思うのです。

金子満広

1972-05-12 第68回国会 参議院 本会議 第14号

次に、政府の対ベトナム外交方針を伺います。  福田外務大臣は、さきにベトナム民主共和国外務省担当課長を非公式に派遣したことをもって、あたかもベトナム民主共和国との接近をはかっているかのごとく宣伝されました。しかし、私がベトナム民主共和国を訪れたとき、その政府責任者は「日本国民の私たちに対する支援に感謝します。しかし、佐藤内閣は敵です」と明快に述べていたのを、いまもはっきりと記憶しています。

田英夫

1959-11-24 第33回国会 衆議院 外務委員会 第14号

そういうわけでありますから、サンフンシスコ講和条約において日本国が承認をしたときの条件と、一九五四年におけるこのジュネーブ協定のときにおける変革、そのことを考えて対ベトナム外交方針というものを立てるにあらざれば、これは現実に遊離したというか、現実を無視した扱い方と断ぜざるを得ない。この点いかがでありますか。

春日一幸

1959-11-16 第33回国会 衆議院 外務委員会 第8号

コーチシナ植民地地位から解放された一九四九年三月八日のフランスベトナム協定成立以後は、コーチシナを含めてベトナム独立国となり、従って自分はそれ以来ベトナム人になったわけである、問題の桑港会議には自分は——ちょっとフランス語ですからなんですが、ナショナリテ・ベトナミエヌベトナム国籍と記載したベトナム外交旅券を持って出席した。」こういう返事でございます。

藤山愛一郎

1959-11-16 第33回国会 衆議院 外務委員会 第8号

それから、大使館員がフー氏の自宅を訪れて確かめたところ、「コーチシナ植民地地位から解放された一九四九年三月八日のフランスベトナム協定成立以後は、コーチシナを含めてベトナム独立国となり、従って自分はそれ以来ベトナム人になったわけである、問題の桑港会議には自分ナショナリテ・ベトナミエヌベトナム国籍と記載したベトナム外交旅券をもって出席した。」こういうことです。

藤山愛一郎

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