2015-03-04 第189回国会 参議院 憲法審査会 第2号
それを書くことによって、実はその六十一ページから六十二ページにかけて、美智子皇后が指摘されたいわゆる五日市憲法や近代立憲主義の熱い思い、そして何よりもベアテ・シロタ・ゴードンさんへのメンションを誕生日のこの挨拶の中でされておりまして、この中にも見られるように、共産主義でも何でもなく、リベラルなアメリカの女性の考え方というのが日本国憲法の中にも入っているということがここで主張をされているわけでございます
それを書くことによって、実はその六十一ページから六十二ページにかけて、美智子皇后が指摘されたいわゆる五日市憲法や近代立憲主義の熱い思い、そして何よりもベアテ・シロタ・ゴードンさんへのメンションを誕生日のこの挨拶の中でされておりまして、この中にも見られるように、共産主義でも何でもなく、リベラルなアメリカの女性の考え方というのが日本国憲法の中にも入っているということがここで主張をされているわけでございます
当時GHQのメンバーとして活躍をされた、御存命であったベアテ・シロタ・ゴードンさん、プールさんも来て、この憲法調査会で発言をしてくださいました。御存じ、日本の中においても、憲法研究会を始めとして多くの皆さんが憲法改正案を出されたこともそのとおりです。
その理由はなぜかといいますと、ベアテ・シロタ先生、婦人の権利の擁護の運動のために全精力を使っておられた。そして、社会党の土井先生も、ずっとシロタさんと一緒に女性の権利を保護するということでおっしゃっていた。 あの当時、実は憲法を何とかせないかぬという人たちで考えたんですが、一回、マッカーサー司令部で本当に憲法を書いた人が証言するかどうかということが起こったんです。
岡山で、私はベアテ・シロタ・ゴードン女史の講演も聴いたことがございまして、本日はそのとき買わせていただきましたスカーフもしてまいりました。 前回の審査会で各委員の発言をお伺いし、また先ほど、本日も西田委員の発言をお伺いいたしまして、実はとても驚いたわけであります。
GHQの方を二人お呼びして、ベアテ・シロタ・ゴードンさんともう一人の方をお呼びして、当時の立法過程を私たち参議院憲法調査会の下で学びました。押し付け憲法論だという意見は、その後、この憲法調査会の中からかなり消えたと思っております。
私は、早速、同年十一月に憲政記念館で憲法五十周年記念フォーラムを開催し、GHQが作成をした日本国憲法草案の起草に携わったと言われるベアテ・シロタ・ゴードンさんやミルトン・エスマンさん、リチャード・プールさんなど五人の生存者の方々をお呼びして、この経緯についてお話をいただきました。 当日は、中曽根元総理を初め多くの先生方が参加をされて、激しい議論が行われたことを記憶しております。
日本国憲法草案作成に参画し、男女平等の文言を加えた女性、ベアテ・シロタ・ゴードン女史の自伝「一九四五年のクリスマス」にも、日本国憲法はGHQ民政局が書き、日本政府がこの憲法を受け入れないときは、言葉でおどすだけでなく力を用いてもよいという権限をホイットニー准将はマッカーサー元帥から与えられていたと明確に書かれていますが、たとえマッカーサーからの押しつけ憲法であったとしても、六十年もの間、我が国国民の
当時の現行憲法の制定過程を見てみますと、この条文はベアテ・シロタという女性が、この条文だけではなく社会権に関して担当したわけでありますけれども、当時、彼女は、農村の子供たちは子守やでっち奉公などで忙しく、学校にも十分に行っていないと嘆いていたと言われております。
当時、憲法起草に加わったベアテ・シロタさん、この参議院の憲法調査会においてもこう証言しておられます。「多分その一週間でつくった憲法はいい憲法だと思います。」。しかし、それはマッカーサー元帥もホイットニー准将もあるいはケーディス大佐も同様に、一週間でまずまずのでき栄えの憲法ができた、こう思っていたのではないかと思います。
当調査会で二〇〇〇年に、GHQのマッカーサー草案を作成に携わったベアテ・シロタ・ゴードンさんとリチャード・プールさんを参考人としてお呼びして、日本国憲法制定経過についてお聞きしました。お話は感動的で、短期間にいい加減なものをつくったなどという心ない誹謗は完全に吹き飛ぶような内容でした。他の憲法も参考にしたし、一番いい点を憲法に入れた、世界じゅうのいろんな考え方が入っている。
加えて、どのようにして憲法がつくられたのかということでございますが、詳細は、当時草案作成にかかわりましたGHQのメンバーの一人でありましたベアテ・シロタ・ゴードンさんの著書「一九四五年のクリスマス」に記されておりますが、貧困や不平等や戦争のない平和な国づくり、世界づくりへ熱い思いを込め、寝食を忘れた努力のもと、世界に誇る人権と平和の憲法が誕生したことでございます。
言葉の書き方は例はたくさんありますので、そういうものを受けてやったらいいし、実は日本国憲法の第二十四条のベアテ・シロタさんが書いた原案には、家族生活は尊重されるという規定があったんですね。ですから、そういう問題でもあると私は思っております。
当時憲法草案に参画して、昨年参議院の調査会に招かれたベアテ・シロタ・ゴードンさんの陳述によれば、草案の段階で男女平等の条項に対して日本政府側は猛反対したそうです。こういう女性の権利は全然日本の国には合わないと言って。 したがって、私たちには、この憲法によるのほか人としての尊厳を得る道はなかったのでございます。この憲法を否定することなど思いもよらないことです。
ややこのことの周辺になりますけれども、憲法二十五条を制定するについて参議院の方で調査をなさった、そのときに招聘をなさったGHQ関係の人の一人としてベアテ・シロタ・ゴードンさんがおられますけれども、こういう人々の活動を見ますと、本当に広く、例えばワイマール憲法まで調べて日本国憲法の制定のための努力をしている。
GHQは、さっきもちょっと申しましたけれども、日本国民の明治憲法制定時の憲法制定の努力、あるいはその当時のさまざまな、それこそ各国の憲法の参照、これらをいたしまして、そして、とりわけて、先ほど申したベアテ・シロタ・ゴードンさんなどは、女性の地位の向上への情熱を非常に強く持ちまして立派な憲法をつくっていったわけです。
先日、参議院の憲法調査会に参考人としておいでいただいたベアテ・シロタ・ゴードンさんのGHQ草案を起草するときの活躍を聞いておりましたが、日本国憲法と以前の神の国思想の大日本帝国憲法の一番大きな違いがこの二十四条というところにあるんであろうと思います。
また、前回参考人としてベアテ・シロタ・ゴードンさん、その草案の中で人権の部分、特に女性の人権を書かれた方をお呼びしてその当時のことをお聞きしたんですが、そのドラマの中で、人権のところで、実は多分これ十四条に関係するんだと思うんですが、自然人というふうなことも出ましたけれども、「法の下に平等であつて、」というところに「人種、信条、性別、」という、私たち女性にとっては、これでもって戦後私たちがどれだけ地位
○参考人(ベアテ・シロタ・ゴードン君) 私は素人と言いましたね。しかし、文化交流を四十年の間いたしましたので、芝居については私は本当に専門家です。だから、「真珠の首飾り」は本当に推薦できます、本当にすごいいい芝居ですので。そして、女優二人私の役割をやっているんです。一人は若いベアテ、一人は年とったベアテ、その二人が出ますから、どうぞ見てください。
ケーディスに二日間インタビューしたと申しましたが、その民政局の部下の中で一番若かったのがベアテ・シロタさんでありまして、アメリカでカレッジを出たばかりのところで戻ってきたので、二十三歳ではなかったかと思います。戦前、音楽家であったお父さんは、滝廉太郎なんかの知遇を得て、日本で音楽を教えるというふうな機会を得て、その娘であったベアテさんは、戦前の日本で生活したわけですね。
ベアテ・シロタ・ゴードンさんが五月二日に来てくださいますが、彼女に来てほしいとアメリカ・ニューヨーク総領事からベアテさんに電話があったのは三月の末です。だれの判断でこのようなことがあったのかというふうに思います。 きちっとこの調査会あるいは運営委員会で議論をされた結果、彼女にきちっと招請をするならわかります。
それは、日本の憲法に男女同権を織り込んだ人として知られるベアテ・ゴードンさんの自伝にも登場するお方ですが、GHQの女性課長でウィードという中尉が当時地方を回って女性参政権についての意義を強調して歩いた。その中身というのは、「婦人の解放は、マッカーサーが銀のお盆に載せて日本人に贈ったものではありません。
今のことで申しますと、ベアテ・シロタさんというのは、GHQの中で人権条項をつくった三人のうちの一人で、当時二十一、二歳の若い女性であります。 一つは、彼女は日本の女性の人権状況を何によって知ったのかということですが、多分その御本の中にも、いろいろなところに最近お書きですが、彼女は小さいころ、お父様が東京芸大の教授であったということもあって、日本にいらっしゃいます。
そして、このベアテ・シロタ・ゴードンさんは、女性の仕事を持つ権利ですとか、母性保護の問題ですとか、非嫡出子に対する差別の禁止、今私たち女性が大いに課題としているような点を、既に四五年の時点で非常に綿密に書いておられます。 それから、憲法制定議会でも、加藤シヅエ議員が、寡婦の生活権というような、さまざまな女性の人権、権利について大きな内容と広さの展開をされております。