2021-06-10 第204回国会 参議院 厚生労働委員会 第24号
私は、この二〇一五年に野田聖子さんがいろいろヘレンを見て、二〇一六年に法律の改正をしたんですね。この改正で医療的ケアという言葉を初めて法律用語として入れて、それに基づいて、次の年から、三年ごとの改正の福祉報酬費の改定作業に入ったんです。 私は、これでほぼ終わったなと、これで福祉報酬費の改定が大幅に改善されるだろうというふうに甘く見ていました。
私は、この二〇一五年に野田聖子さんがいろいろヘレンを見て、二〇一六年に法律の改正をしたんですね。この改正で医療的ケアという言葉を初めて法律用語として入れて、それに基づいて、次の年から、三年ごとの改正の福祉報酬費の改定作業に入ったんです。 私は、これでほぼ終わったなと、これで福祉報酬費の改定が大幅に改善されるだろうというふうに甘く見ていました。
だからこそ、あのヘレンで預かっても経営ができなかったんです。 そこで私たちは、大島分類に代わるこの医療的ケア児対応するスコアを作ろうと、前田先生という小児科のお医者さんが物すごく熱心に取り組んでくれました。その障害児のケアについて、一日中、いや、一週間ぐらいかな、ずっとビデオを回し続けて、どのぐらいケアに時間が掛かるのかということを算定し、それをスコア化していったんです。
この法案、作るのに約六年ぐらい、足掛け六年ぐらい携わってきたのですけれども、一番最初は、二〇一五年の二月に障害者支援をする保育園のヘレンというところを視察をいたしました。そこで聞いたことは、この医療的ケア児と言われている障害者のための保育園というのは全国でたった一か所しかないと。しかも、その保育園も、医療的ケア児を預かると経営上はマイナスになるということを知りました。
今、国連機関で幹部を占めている方々の背景見てみますと、例えば今の国連事務総長はポルトガルの首相でしたし、それから前のUNDPの総裁というのはヘレン・クラークといってニュージーランドの首相を三期務めているんですね。
例えば、公益財団法人日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団が作成した「ホスピス緩和ケア白書二〇一七」によると、イギリスでは、世界初の子供ホスピス、ヘレンハウスが設立され、四十以上の施設が活動している、ドイツでは、ヨーロッパ初の子供ホスピスであるバルタザールが設立され、十施設が活動しているとのことであり、国によってその創設時期や活動状況などが様々であると認識しております。
大臣も皆さんも御承知だと思いますが、社会福祉活動家のヘレン・ケラー女史、多くの皆さんが御存じだと思いますけれども、ヘレン・ケラー女史は二歳のときに高熱を伴う髄膜炎に罹患をし、聴力、視力、言葉を失いました。映画「奇跡の人」で有名になっておると思います。サリバン先生の教育支援、両親の経済的支援を受けて、ヘレン・ケラー女史はその能力を発揮し、社会に影響を与える活動家となりました。
○中島委員 時間ですので終わりますが、母は、昭和三十年、ヘレン・ケラー女史が最後に来日されたときに、日比谷公会堂でその二人の盲聾児を連れてお会いしに行きました。そのときにヘレン・ケラー女史が日本語でありがとうと言ったことに大変感銘を受けたと。そして、その二人の盲聾児も、今寮に入っていて、支援は受けていながらも、軽作業に携わっておると。
一つは、この例えば保健所なんかは、今まで三重苦、まあ二重苦と、ヘレン・ケラーみたくなっていまして、なぜかというと、片っ方では相談窓口から疲弊している。と同時に、この今クラスターをどうやって抑えて、いわゆるこれには物すごいエネルギーが、この相談窓口とクラスターのあれでもう保健所関係の人はもう疲弊しています、自治体の人も。
恐らく先天性の盲聾者、つまり、ヘレン・ケラーよりハンディが大きいわけですね。生まれながらにして目が見えない、耳が聞こえないわけです。しかしながら、奇跡的に言語の概念を習得し、そして、より質の高い教育を受けるべく、生まれ故郷の岐阜から出てきて出会ったのが大学時代であったわけであります。
それから、次が、ヘレン・ケラーさんも理解しやすい災害情報ということでございます。 今回、視覚障害のある方、それから聴覚障害のある方、一人も大きな、例えば死亡事故に至るとか、そういうことがなくて済みました。改めてどういうふうにして連絡したのかということを確認させていただきましたのが、この流れ図のとおりでございます。
社会福祉活動家のヘレン・ケラー女史は、二歳のときに高熱に伴う髄膜炎に罹患し、聴力、視力、言葉を失いました。サリバン先生の教育支援、家族の生活、経済的支援を受けて、その能力を発揮し、社会に影響を与える活動家となりました。 ヘレン・ケラー女史と同様の全盲聾児に対する教育体制を整え、昭和二十年代後半、日本で初めて盲聾教育を実践したのが山梨県立盲学校です。
皇族の方も泊まられたり、ヘレン・ケラーやチャップリンなどが泊まられた大変由緒あるホテルでございますが、そのときに文化財の法律がちょうど一緒に紹介をされていたわけでございまして、ああ、これと関連するんだなという、そういうような法律を今こうやって質疑をさせていただいているということに大変感謝をさせていただきます。
こういった、特に先天性の場合というのは、非常に有名なケースとしてはヘレン・ケラーがありますけれども、自然と目とか耳から入ってくる情報というのは物すごいものがあるらしくて、一切それが入ってこないとなると、例えば、時間の感覚とか時間という観念とか、とにかく物の概念を認識できるようになって、それに例えば名前があるとか、そういったことを一つ一つどうやって身に付けていくかということで、非常に教育に専門的な対応
視覚と聴覚の両方に障害がある場合のことを盲聾といいまして、誰もが知っている方を挙げればヘレン・ケラーがそうであります。日本でも盲聾者として初めて東京大学教授になられた福島智さんという方がいらっしゃいますけれども、本当に光も音もないという世界に生きるというのは大変な困難を伴うことだというふうに想像いたします。
そんな医療的ケア児のために、日本で初めて医療的ケア児を専門的に長時間預かれる保育施設、障害児保育園ヘレンというものを立ち上げて、今、三園運営しているんですけれども、非常に厳しい状況でやっております。なぜならば、医療的ケア児を預かるといったときに、何ら公的補助というものがないからなんですね。
HPVワクチンについて平成二十六年二月二十六日に反対派と推進派の双方の専門家を招いて開催された子宮頸がん予防ワクチンに関する意見交換会に関して、事務局である厚生労働省と参加者の一人でありますヘレン・ペトシウス・ハリス氏などとの電子メールのやりとりを薬害オンブズパースン会議が問題視した、そういうものだというふうに承知をしております。
発表者は三人なのに、そのほかに、有識者の中にヘレン・ペトウシス・ハリス氏、ニュージーランドのオークランド大学のワクチン部長をビデオ会議という形で参加をさせて、いきなり、このシン・ハン・リー氏の、たった十分ですよ、呼んでおきながら十分発表させたら、直ちにこのヘレンさんに、座長が指名して反論せよと言っているんですね。ちゃんと用意周到にスライドを出してきて、報告をとうとうと始めるわけです。
質問書の中には、今回の意見交換会に当たって、反論を用意するために、WHOのGACVS委員長と厚労省の課長補佐が連絡をとり合って、ヘレン氏にビデオ参加させたなど、水面下でやりとりをしていたことを告発しており、また、その証拠として、ニュージーランドの情報公開で得たメールも添付をしてあります。 一部紹介します。
最後に、余談ですけれども、ヘレン・ミアーズという人が書いた「アメリカの鏡・日本」という本があります。物すごく厚い本です。そこに気になることが二つ書いてあるんです。 一つは、これを書いた人は、昭和二十八年の、労働問題に関係した、占領軍というか、人ですが、ヘレン・ミアーズというんですが、第一、占領の目的は、日本経済をぐちゃぐちゃにたたいてほっておけ、こう書いているんです、本の中に。
そして連れていかれたのが、フローレンスというNPOを経営している駒崎弘樹君がやっているヘレンという施設でありました。そこで会ったのがこの子なんです。 全国でたった一つですよ、こういう子供を預かってくれる施設は。そして、少し大きくなりましたので、ヘレンでも扱いに困って、普通の保育所に行ってくださいと言われたそうであります。
例えば、ヘレン・ケラーという方がおられて、二歳のときに高熱から髄膜炎を併発して、聴覚、視覚、言語を失ったわけです。しかし、そこにサリバン先生という教育支援をする方がいて、さらには、御家庭も若干余裕があったのか、経済的支援もできた、その支援があったからこそ、ヘレン・ケラーは、将来、社会に貢献できるチャンスを得て、そして実際に社会に貢献したわけです。
ヘレン・ケラーから盲聾教育、盲聾障害のあり方ということなんですが、実は三月に、山梨県立盲学校で、梅津先生という方の息子さんが講演に来られてお話を聞いたんです。 そして、調べてみたら、昭和二十三年に盲聾教育を日本で初めてやったのが山梨県立盲学校だと。そこに勤務していたのが私の母だったんですね。まさに三人の全盲聾の子供たちの世話をさせていただいたと。
では、残り時間は、オーストラリアの御出身でいらっしゃいます医学博士、ヘレン・カルディコット博士について少しお話をさせてください。 ヘレン・カルディコット医学博士は、オーストラリア・メルボルンでお生まれになり、ハーバード大学の小児科でも教鞭をとり、二万三千人の医師を擁する社会的責任を果たす医師団の創立の会長となりました。
それから、女性の活躍と今盛んに言っておりますけれども、ヘレン・ケラーやアニー・サリバンやマザー・テレサ、そしてキュリー夫人とか向井千秋さんとか、あるいは、国連の平和大使のもったいないのマータイさんなんかも載っておりました。エリザベス・サンダース・ホーム、戦後千人の子供をお育てになられた澤田美喜さんのエピソードなども載っておりました。
私は、むしろ、もちろん戦後生まれでございますし、占領下での暮らしは直接は体験しておらない世代でございますが、例えば、改めて年表を見ると、占領下においても、ヘレン・ケラーが来日をして国民が大歓迎したとか、あるいは湯川博士がノーベル賞を受賞されたり、水泳では古橋広之進選手が次々と世界記録を樹立されていったり、あるいは力道山が活躍をされたり、こういう、占領下においても日本人が懸命に生き抜いていた。
昨日、そこのヘレン・エバンスさんという事務局次長とお会いしたんですが、発展途上国に支援をして、新しいB型肝炎のワクチンを初め新しい予防接種も発展途上国に支援をしようとされている。結局、日本が発展途上国よりもワクチン行政が逆におくれてしまうというようなことも起きかねないような状況であります。
本日は、ヘレン・クラーク国際連合開発計画総裁の御出席を賜り、国際連合開発計画と我が国の援助政策に関する件についてお話をお伺いしたいと存じます。 参議院政府開発援助等に関する特別委員長の岩永浩美でございます。 委員会を代表いたしまして一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、参議院政府開発援助等に関する特別委員会にようこそお越しくださいました。
山本 順三君 渡辺 秀央君 谷合 正明君 事務局側 常任委員会専門 員 堀田 光明君 常任委員会専門 員 諸星 輝道君 参考人 国際連合開発計 画(UNDP) 総裁 ヘレン・クラ
政府開発援助等に関する調査のため、本日の委員会にヘレン・クラーク国際連合開発計画総裁の御出席を賜り、御意見をお伺いしたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕