2016-02-25 第190回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第1号
例えば東南アジアの、タイのプーケットであるとか、ペナンであるとかピピ島であるとか、いろいろなところがあるわけですけれども、客観的に見て、それにまさるとも劣らないような非常にすばらしいところであるかと思うんです。
例えば東南アジアの、タイのプーケットであるとか、ペナンであるとかピピ島であるとか、いろいろなところがあるわけですけれども、客観的に見て、それにまさるとも劣らないような非常にすばらしいところであるかと思うんです。
今回のホテルは二泊ともプーケットということですから、日本で一大事が起これば、丸一日以上恐らく掛かると思います。観光事業者や農業事業者との意見交換をされたということでありますが、永岡衆議院議員としては必要であっても、副大臣として私は必要とされる活動ではないと思うんです。
時間がなくなってきましたが、永岡副大臣にちょっとゴールデンウイーク中のタイ・プーケットへの訪問に関して確認をさせていただきます。 今回、衆議院においては公務ではなく政務ということでありますが、プライベートで費用は賄ったのか、それとも政党助成金等の政治資金が使われたのかどうか。それから、副大臣が使用された旅券の種類、公用旅券かどうか。
○副大臣(永岡桂子君) 津田先生御指摘のとおり、私はプーケットに参りまして、農業者の方そして観光業者の方などと意見交換もさせていただきました。 しかしながら、今国会で今、さらに、まさに審議をしております、国民皆保険のベースをこれは持続可能なものにするための保険制度の改正、これにつきまして、大変あちらの方からも御意見をいただきました。
○西村(智)委員 副大臣は、どこに行って何をしてこられたのかという私の質問には実は正確にはお答えになっていなくて、タイに行かれたときにプーケットに行かれているんですね。バンコクに一泊もせずにプーケットに飛んで、プーケットで二泊されて、そのままバンコク経由で羽田に帰ってこられたということなんですね。非常にうらやましい話ではありますけれども。
そうしたら、数千万もするフランスの機械が据えてありました、プーケット島から更に行ったところ、ほこりかぶって使ってないんですよ。いい技術でも現地の人が使えなかったら、ただの鉄の塊ですよね。それで、私なんかは到着したその日からみんな使える。 それから、バングラデシュも同じです。ボランティアから始まってビジネスが始まった。
ただ、皆さんの御努力で、九月にはマイナス二四・九%、これは実はニューヨークのテロ、タイのプーケットよりも回復のスピードは速いというふうに考えております。特に中国におかれましては、九月がマイナス一〇%台まで回復いたしております。 委員御指摘の目標の取り扱いについては、この震災後の落ち込みからの訪日外国人の回復状況を踏まえながら判断してまいりたいというふうに考えております。
鋭意交渉を行った結果、平成二十一年七月二十二日にプーケットにおいて、両国の外務大臣により、この条約の署名が行われた次第であります。 この条約は、我が国とタイとの間で、相手国の裁判所が拘禁刑を言い渡した自国民受刑者について、締約国、受刑者の同意等一定の条件を満たす場合にその本国に移送する手続等を規定するものであります。
最後に、日・タイ受刑者移送条約は、平成二十一年七月二十二日、プーケットにおいて署名されたもので、タイにおける邦人受刑者及び我が国におけるタイ人受刑者を母国に移送するための手続等について定めたものであります。
鋭意交渉を行った結果、平成二十一年七月二十二日にプーケットにおいて、両国の外務大臣により、この条約の署名が行われた次第であります。 この条約は、我が国とタイとの間で、相手国の裁判所が拘禁刑を言い渡した自国民受刑者について、締約国、受刑者の同意等一定の条件を満たす場合にその本国に移送する手続等を規定するものであります。
その後、タイのプーケット島に寄港です。 その後、九月の三日、プーケットを出発して、十一日にはペルシャ湾を航海していた。九・一一テロの後、カール・ビンソン戦闘群は作戦行動の準備を整えるためにアラビア海に展開した。
○遠山清彦君 次、また外務大臣にちょっと後でお答えいただきたいと思いますが、例のテレビ番組の件ですけれども、その前に、私、政務官時代に、これは外務大臣にも直接御報告申し上げましたけれども、一番感動した体験は、昨年の暮れですけれども、タイのプーケットに、津波被害の一周年の式典がありまして外務大臣の代理で私出席をさせていただきました。
すばらしいと思った、プーケットでお会いしてきたんですが。そのことがあるので、あえて、また外務省からJICAやそういった組織を通じてしっかり目を通していただきたいと、こういう意味で申し上げた。 次は、時間がもうなくなっちゃったので、麻生さん、もうちょっと聞きたかったんだけれども、これでこの件については終わりにします。
○赤羽委員 今のお答えからいきますと、同じような、今の昨年度比の業績という点では、今回のプーケットの日本人会の方たちの業としてはそのくらいのダメージを負っていると思いますが、国内での営業ではないということで対象にならないと。
○赤羽委員 種々のお取り組みをしていただいていることを大変感謝するわけでありますが、その中でも私思うのは、これまでプーケットというのは日本人の観光客が年間多分二十万人ぐらい行っていて、世界でも、恐らく台湾に並んで一位、二位の観光客がプーケットに行っている。
これを受けまして、三月に官民共同の調査団をプーケットに派遣いたしまして、現地の状況を把握したり、あるいは関係者からの要望の聴取などを行いまして、もうその時点で、プーケットというのは津波の被害から立ち直って安全であるという趣旨のアピールを民間あるいは国民の皆さんに対してさせていただいたということでございます。
タイのプーケットの日本人会の会長さんが来ると、いつも観光に来てもらいたいけれども、いつまでもいつまでも、日本のテレビを見ると、波がざばあっと来る、それで三宅島というとみんなガスマスクをしている、ガスマスクをしているような映像をいつまで撮っているのかと言う。
私も、この間、一月の七日に、自由民主党の災害調査団の団長として大津波のプーケットの周辺に行ってまいりました。そして、いろんな方とお話をいたしましたら、日本人会の方もおられました、向こうの方もおられましたが、やっぱり日本のNHKのような報道の仕方がこの国にあったらなと、こういうことをおっしゃる方がたくさんありました。だから、NHKはそんなに信頼を失っているわけではありません。
自衛隊、ちょうど海上自衛隊艦隊が三隻、プーケット沖に、近くにおりましたので、シンガポール沖におりましたんで、直ちにプーケットに引き返して、そして救援活動に当たったわけでありますが、一月の三日だったと思いますが、タイの国防大臣から日本の迅速な行動に感謝すると、こういうような電話が、まだ役所が開く前でございましたので私の家に掛かってきたということでございますし、それからその後、インドネシアからの要請でございますけれども
年末にはインド洋のスマトラ沖大地震・大津波災害も起きまして、私もタイのプーケット島に真っ先に飛んで駆け付けてまいりました。 私自身、今回、そうした中で福岡県の西方沖地震を岡山で迎えたわけでありますけれども、私の親戚が数多く福岡や佐賀に住んでいるということで、家族の安否を確認しようにもなかなか電話がつながらないという中で、非常にやきもきした思いをしました。
今回、スマトラのことで十二月三十一日から一月三日までプーケットに行きました。プーケットは、毎年日本の観光客が二十万人前後行っているわけですね。しかし、ここには領事館もないわけですよ。今回デンパサールが、観光地ということで、在外公館としてできる。これは、新設されるということは、僕は大変正しいことだと思うんです。
また、プーケットになぜ領事館を設置しないのかという御指摘がございました。 委員お話しをいただいたように、今回のデンパサールはそういう意識でやったわけでございます。今後、プーケットを含めて、十八年度以降、どういうところにニーズが強いのかということをまたしっかり見きわめた上で対応を決めていきたい、かように考えているところでございます。
その方は全部流されて、命からがら一日半掛けてコロンボの大使館に来たら、お金も何にも持っていない、着のみ着のままだったら、お金を出せと言われたとか、外のロビーに何時間も待たされて悔しくて涙がぽろぽろ出たとか、更に申し上げれば、プーケットのデスクに行ったら、ある行方不明者の家族の方が名前と住所と年齢をその行方不明の方のを聞かれたと。名前と住所と年齢を聞いたって遺体はそんなもの付けてないわけです。
災害発生当日ですが、現場の方では二十六日、タイ及びスリランカの各大使館は大使を本部長とする対策本部を設置して、例えばタイの大使館におきましては、同日直ちに被災地のプーケットに大使館職員を陸路及び空路で派遣をいたしまして、二十七日未明には臨時領事相談室を立ち上げたところであります。
ただ、たまたまですが、これは二月二十三日の日の夕方に、宮下一郎衆議院議員が、別に親戚ということではなかったらしいんですけれども、プーケット日本人会会長の宮下さん、山口事務局長さんほかをお連れになられました。
○赤羽委員 もう最後、御答弁は結構でございますが、きょう、実は、プーケットの日本人会の会長が日本に来ております。今国土交通省に行っていると思いますが。 プーケットに住まわれている日本人の九割が観光業に携わっている方たちであって、今回の大地震、大津波の被害によって、プーケットもやられていないところが相当あるにもかかわらず、風評被害で昨年の九八%減だというんですね。
タイ南部で御家族が被災され、亡くなった方の日記からなんですけれども、朝九時、遺骨を抱いてプーケットから、バンコクのドンムアン空港に着く。国内線の到着ゲートでは、各国の係員が、自分の国の名前を大きな声で叫びながら、被災地から帰ってくる自分の国の人たちを出迎えていた。韓国、イギリス、イタリア、ドイツ、オーストラリアなど、たくさんの国旗や国の名前を書いた紙を手にしている。しかし、日本のデスクはなかった。
○鹿取政府参考人 今申し上げましたように、二十七日の早朝には、プーケットにおきまして領事担当者が配属されまして、御家族等の御支援を二十七日から開始しております。もちろん、すべての遺体の確認、あるいは遺体の安置所に同行できたかは、そこはそういうわけにはまいらなかったと思いますけれども、館員も可能な限り同行する等、積極的に、できる限り遺体の確認あるいは捜索の活動には努力してまいったつもりでございます。
○細田国務大臣 私ども、外務省を通じて調査をいたしましたが、十二月の二十七日未明には、実は大使館員が被災地のプーケットに入って、そこに支援活動の拠点を設けてしまったわけでございます。そこで、バンコクのドンムアン国内線空港内には相談窓口を設けなかったということは事実のようでございます。