1962-08-31 第41回国会 参議院 大蔵委員会 第7号
○政府委員(安藤吉光君) 一番最初に援助物資が参りましたのは、いわゆるプレ・ガリオアの民生安定計画、それに基づいて参りましたものでございまするが、一番最初に参りましたのは一九四六年、昭和二十一年の二月の十一日付の覚書で、この覚書では二百万ポンドの小麦粉が引き渡されておりますが、それが一番最初であります。
○政府委員(安藤吉光君) 一番最初に援助物資が参りましたのは、いわゆるプレ・ガリオアの民生安定計画、それに基づいて参りましたものでございまするが、一番最初に参りましたのは一九四六年、昭和二十一年の二月の十一日付の覚書で、この覚書では二百万ポンドの小麦粉が引き渡されておりますが、それが一番最初であります。
○大矢正君 そこで、ガリオアが来る以前の、俗称プレ・ガリオアといわれておりますが、このガリオア以前の日本に対する援助と目されるのは一体どういうものがあったのかということをお尋ねしたいと思います。
○政府委員(安藤吉光君) 参りましたのは、一九四六年度軍事予算法に基づいてこのプレ・ガリオアというのが来たのでございますが、その内容は食糧、衣料、薬品、その他の物資でございました。
昭和二十年度から数量、品目、金額が出て、二十一年も二十二年も同様に出ておりますが、そこで、それではプレ・ガリオアというのは、昭和二十年、二十一年、二十二年ごろの、いわゆるガリオア・エロアと称されるものの以前は、全部プレ・ガリオアという形で入ってきたわけですか。
ただ、そのガリオアを規定いたしました陸軍の一九四七年陸軍軍事予算法、それができます前わずかの間プレ・ガリオアというものがございます。これはやはり当時の米国の陸軍予算によりまして民間供給という項目がございまして、それから出ております。それから、いわゆる俗にエロアということがいわれております。
その他、その前に来ましたプレ・ガリオアにつきましてもそういうことが明記されておりますし、他の援助物資についても同様でございます。
ところが日本の方は、御存じの通りずっと終戦以来政府は、統一政権と申しますか、一本でございまして、そうして前国会でも申し上げましたけれども、この政府がアメリカから援助をもらいますときには、プレ・ガリオア時代を含めまして、支払い条件及び経理については後日決定するということを書きましたスキャッピンによりまして、こういう物資がきておるわけであります。
○木村禧八郎君 そのプレ・ガリオアについても債務と心得るという、そういうことになっておったのですか。
そのときはまだガリオアという字がございませんでしたから、プレ・ガリオア、すなわちガリオア以前、前ガリオア時代でございます。それを便宜プレ・ガリオアと呼んでおるわけでございます。
○政府委員(安藤吉光君) 先ほど条約局長の触れましたスキャッピン一八四四、これはガリオア・エロアを一般に抱括しているものでございますが、そのほかにプレ・ガリオア時代にも、各対日援助物資が入ってきますたびにスキャッピンがございます。その他軍払い下げ物資あるいはその他余剰報奨物資に関してもございます。
それから、その他にプレ・ガリオアと申しまして、アメリカ歳出予算の上では、いわゆる占領そのものにつきまして、軍事予算そのものから出ていきましたプレ・ガリオアというのがあります。したがって、このプレ・ガリオアとカッコの中にあります余剰物資と合わせまして、「他のすべての経済援助」という表現でやったわけでございます。これだけは形式的ないわゆるガリオア・エロアから外に出る。
○国務大臣(小坂善太郎君) このガリオアの問題について解決を要する問題だということは、これは占領の直後に、まだガリオアができる前に、プレ・ガリオアというのがございましたが、そのときからスキャッピンで支払い方法や受け入れ方法は後日決定するということになっておりまして、政府はそれを承知で受領しておりますので、今日のような解決はいつかはしなけりゃならぬ、かように考えておるのであります。
しかし、日本との関係におきましては、たとえばプレ・ガリオアが参りますときには、そのつどスキャッピンに、支払い方法等はあとで決定する、あるいはガリオアにつきましては明らかにスキャッピン一八四四に、一九四六年の七月三十九日のスキャッピンに、「支払い方法及び清算については後日決定する」ということがうたわれております。その他のものも同じくでございます。
これについては、資料で申し上げておるように、プレ・ガリオアの点もそうですし、ガリオアの点もそうですし、QM、SIMについても同様であるわけでございます。アメリカ側がこれをどういう意図で出したかということでございますが、これはとにかく日本に対するこの援助は、まず第一に非軍事的輸入である。
ドイツの場合、ガリオア、プレ・ガリオアの時代に十五億三千万ドルですか、ECAができましてから十五億二千万ドル、合計三十億ドルでございますね、これを三分の一にして十億ドル返したということで、この基礎になりまする法規が違っていたということはありますが、援助の性質、したがってその返金の方法、こういうものは大体似たような形になっておるわけであります。
その資料の中にプレ・ガリオアとガリオアがあります。そして、ガリオアの中にプロジェクト一一二と一二二と一四二と一六二、明細にございます。
昭和二十年、昭和二十一年は、これはプレ・ガリオアと呼ばれていた時代、ガリオア以前と呼ばれていた時代、これについては仕訳はなかなか困難だ、金額は書いてない。それでは何でやったかと聞いたら、昭和二十二年度、一九四七年度のアメリカ側の決算資料に基づいて、その総額を数量で割ったものを推定金額として日本の通産省がはじいた。それを昭和二十年、二十一年に用いているのです。だから、これは全く推定金額なんです。
しかしそれにガリオアによって受けた十五億三千万ドル、それからプレ・ガリオアによって受けた三億ドルを合わして三十三億何がしになっておりますが、その場合に必要経費その他ユーゴヘの転送分を除いて、それを一括して三分の二切り捨てておるのであります。すなわちガリオアにおける問題の扱いも、ECA法による問題の扱いも同様に扱っておるということで御了解を願えると思います。
今回通産省が算定いたしました援助総額は、総額におきまして十七億九千五百万ドル、この内訳はガリオア、プレ・ガリオア、エロアを含んだ一本のものに勘定しております。ドイツはいろいろ分けておりますが、私どもは一本にした方が有利である、こういう考え方で一本にしております。これが十七億一千六百万ドル、端数は略します。
この中にはもちろんプレ・ガリオア、ガリオア、余剰報奨物資、米軍払い下げ物資、いろいろあるわけで、われわれの方としては、この示されたことだけでそうでございますかと言うのもいかがかと思いまして、占領軍当局が残置いたしました資料について一つ一つ当たって参ったわけでございます。
このうちガリオアは千三百万ドルにすぎませんが、その他陸軍救済計画、このうちプレ・ガリオアに相当するものが四億ドルあるのでございます。
それから西独の方はあまりすっきりしておりまして、これも言いにくいのですけれども、そういう協定がはっきりしておりましたので、西独の場合はプレ・ガリオア、ガリオア、それからECAができましてからのECAの援助、それから若干の行政費等の控除分もございますけれども、これは全部アメリカの決算のベースでもって、西独は何ら文句を言わないで、先方に出ている決算数字そのままをすっぽりと処理しておるのでございます。
二十九年のガリオア援助額は、アメリカ側の提出資料によると、ガリオアは十八億五百万ドル、プレ・ガリオアは一億二千九百万ドル、それから軍の物資といいますか、これが六千万ドル、合計十九億九千四百万ドル。余剰報奨物資が三千九百万ドルで総計二十億三千三百万ドルであったといわれている。二十九年のときは大体そうですが。
○小坂国務大臣 今度は日本側として、この問題を解決しよう、こういう希望を述べて提案をいたしましたので、私どもは従来のいきさつというものにこだわらずに、従来のわれわれの検討いたしました資料に基づいて交渉に入る、しかもガリオア、プレ・ガリオアあるいは余剰報奨物資等といろいろな分け方をしないで、一本の形でこれを考える、こういうふうに交渉の妥結方法も考えたらどうか、かような気持でおります。
プレ・ガリオア、ガリオア、エロア、米軍払い下げ物資及び余剰報償物資、こういうふうに分かれておるわけでありますが、そこでこのレシートあるいは先方のスキャッピン、そういうものがいろいろあるわけでありまして、何分にも占領下でございますので、その資料等についていろいろ疑義があるものも実はあるのであります。しかもそれを受けた日本側は政府として受けておるのであります。