1981-04-23 第94回国会 参議院 外務委員会 第5号
プラーグの春よりも北京の春の方が本物だと思います。プラーグでも春を待っていると思います。待ち切れないでいるのがポーランドだと思います。東の日本、太陽が一番早く上がってくる、光は東方よりの日本が朝寝坊をしていたんじゃ話にならない。私はいつも四時起きです、二十年来。昼間は少しぐらい居眠りが出るのはあたりまえの生理現象ですが、夜は九時には寝ちゃう。
プラーグの春よりも北京の春の方が本物だと思います。プラーグでも春を待っていると思います。待ち切れないでいるのがポーランドだと思います。東の日本、太陽が一番早く上がってくる、光は東方よりの日本が朝寝坊をしていたんじゃ話にならない。私はいつも四時起きです、二十年来。昼間は少しぐらい居眠りが出るのはあたりまえの生理現象ですが、夜は九時には寝ちゃう。
政府は、チェッコスロヴァキアとの間に租税条約を締結するため交渉を行ってまいりましたが、合意に達しましたので、本年十月プラーグにおいて署名を行いました。
一件は、わが国の現代版画の展覧会を本年の十二月八日から明年一月十五日までプラーグにおいて開催する案件でございます。それからもう一つの案件は、邦楽器によるわが国の現代音楽の公演を明年の十月のブラチスラバ音楽祭に参加する形で行う案件でございます。この二つがございます。
朝鮮三十八度線で私どもはもうまのあたり当時責任者として見ておりますし、また、一昨日のプラーグのような事件等も、日本はよかったんだという感じをおそらく大多数の日本国民は、意識すると意識せざるとにかかわらず、ほっとしていらっしゃるのではないか。日米安保体制の効果というものが平和の確保である。
そこからニューヨークに参りまして、次いでロンドン、ハンブルク、パリ、ジュネーブ、ローマ、ウィーン、プラーグ、ワルソーに参りまして、八月二十八日モスクワにおいて第二班の菅野、岡、三木三君と一緒になりまして、それから北欧のほうへ渡りまして、ヘルシンキ、ストックホルム、コペンハーゲン、それから羽田へ帰ってまいったわけでございます。
それから第四回目は、昭和九年の改正でございますが、これは直接条約の改正とは関連するものではございませんので、いわゆるプラーグ旋風――プラーグという人が参りまして、日本の著作権の状態が非常にルーズであるということで盛んにまあ取り立てをいたしたのでございますが、そういうことにかんがみまして、対応する措置のために行なわれたのでございますが、この場合の改正の内容といたしましては、録音権、すなわち文芸、学術、
○小坂国務大臣 チェコの問題と言われますが、プラーグにおいて日本の大使館を通じないで、先方の外務省を通じないで、日本の大使館があちこち通商その他の問題について動くことは困るということを言っておるわけでございます。それと同じ意味において、相互信用の建前から、先方の大使が日本の外務省を通じないでいきなり立法府にいろいろな話をされることは私は困ると思います。
それからもう一人は多ヶ谷、まだ行っておりませんが、ここ数日中に出発いたしまして、これは各国を回り、さらにプラーグに開催されておりますWHOの生ワクの会議に日本代表で出席すると、こういうことで決定いたしまして、もう準備中でございます。あのときのお話のはその範囲で大体実行いた しております。
それからなお江頭——やはりこれはヴィールス関係の責任者でございますが、たまたまWHOの方からのお話しがございまして、現在返事を待っておりますが、われわれとしては、早急にソ連を含めて、たしかプラーグの会議と思いますが、プラーグの会議に出席できるようにWHOに要請してございまして、おそらくこれは実現できるであろうという関係方面からの連絡がございます。
ところが実際問題として、プラーグあるいはモスクワには相当SASあるいはBEAその他の西欧諸国の飛行機が入ってきておる。たまたまわれわれは、それに乗る時間がなかった。
ただし在住している人でありましても、旅行した場合には、たとえばプラーグに在住している人かカールスバードという温泉場がございますが、カールスバードに行って泊った場合には二十一コルナに変るというような複雑な為替制度になっているのでございます。
プラーグにまずおいでになるそうですね。そういうことでプラーグで開かれておる世界平和会議に出席中の平野義太郎氏、これは共産党員ですが、その人あたりの協力を得て、同会議の世話で入ソの手続をとる。
それからプラーグへ行き、最近は北京に行つていらつしやいます。そのほか山本熊一さんが自転車の関係で香港からお入りになり、松本治一郎さんの場合もそうでありまして、松本治一郎さんはタイ、ビルマ、香港を旅券でもつてああいうふうに旅行をされておる。そのほか巴商事の桜井英雄氏、そのほかその一行四名くらいの方が一緒に去年行つております。
ただ唯一の例外と申しますか、これに似たような例は、今から約百年前のことでありますから、少し古くなりますが、百年前に当時のプロシヤがドイツ帝国を作らんとして、その味方にするために、当時のオーストリア、ハンガリー帝国を破りまして、そのときに作つた講和條約、一八六六年のプラーグ條約、それが戰敗国に対して非常に寛大な條件の講和條約を與えたということで世界の歴史上有名な問題であります。
またブルガリアには二千の軍事顧問、チエコにはプラーグのソ連大使館付武官を中心といたしまして数百名の軍事顧問団を派遣しておると伝えられております。
世界平和擁護委員会におきまして、曾つてプラーグのアツピールによりまして原子爆彈を絶対に使わない、若し最初にこれを使うものは戰犯としてこれを告発する、こういうような戰争を回避するところの、平和を飽くまで求めるところの大きな人民の要求によりまして署名が展開された。そうしてこれが大体現在におきまして世界で約六億のこれは署名が達成されておる。
これに対しまして、去る十月の二十日から二日間プラーグでいわゆる東欧八箇国外相会議というのが開かれまして、主としてソ連の衞星国及びソ連を含んだ東欧八箇国会議でございますが、ソ連からはモロトフ副首相が出席しておる点が特に注目される点を思います。今回の会議は、九月にニユヨークで開かれました三国外相会議の西ドイツ再武装に関連します問題が中心問題と思われておるのであります。
アメリカで放送をしたのが一番多く、その次はイタリア、南米のブエノスアイレスあるいはリオデジャネー口、フランスでパリー、ロンドン、それからプラーグ、ストックホルム、まだあると思いますが、大体そういう所で放送して参りましたが、今度の日本の民間放送でございますと、幾つできるか存じませんが、おそらく規模から行きましたら、アメリカの民間放送のような大きなものでなく、ブエノスアイレスで現在行われておるような、ああいつた
○米窪國務大臣 世界勞連は本年の初めにチエコスロヴアキヤのプラーグで大會を開いて、わが國にもオブザーバーを出してくれという勸誘があつたのであります。
第四に、世界労連の問題でありますが、この六月にプラーグにおいて大会が開かれた。これは日本にも或いはドイツにもそうでありまするが、オブザーバーとして代表者を出せという招待状が來ておるのであります。それに対して我が今日の片山内閣はいかなる援助をなしたか。全く積極的なことをなにもなしておらん。一体世界労連の意義というものはなんであるか。それは民主主義の発展を主張するところの世界労働者の團体であります。
更に然らば世界労連が本年チエツコスロバキヤのプラーグにおいて大会を開いたときに、日本の全労連にオブザーバーを送つてくれということがあつたときに、なぜ政府が骨を折らなかつたかという趣旨のお尋ねであつたと思いますが、これは片山内閣がまだできない前のことでありまして、聞くところによるというと、日本の今日の現状において、世界ともまだ正式に通信連絡交通ができない今日において、パスポートが與えられなかつたことが