1981-02-26 第94回国会 衆議院 農林水産委員会 第2号
ただ、昭和五十四年にブラジル銀行の在日支店に対しまして、いわゆる金融機関に対する貸し付けということで貸し付けを行いまして、これがブラジル国内の農業開発に非常に役立ったというケースのあることは私も承知をしております。 しかし農協系統金融は、御案内のように組合員あるいは所属団体のための金融業務というのが主力でございまして、本来の業務はこのような業務に限定されておるわけでございます。
ただ、昭和五十四年にブラジル銀行の在日支店に対しまして、いわゆる金融機関に対する貸し付けということで貸し付けを行いまして、これがブラジル国内の農業開発に非常に役立ったというケースのあることは私も承知をしております。 しかし農協系統金融は、御案内のように組合員あるいは所属団体のための金融業務というのが主力でございまして、本来の業務はこのような業務に限定されておるわけでございます。
地権があればそれを抵当にブラジル銀行あるいはアマゾナス銀行でも貸してくれるのでありますが、事業団が地権をくれていない。はなはだしきはアルゼンチンのガルアベーのごときは、六十数カ所行っているのに、いまだに地権がはっきりもらえない。きょうはブラジルに限りますけれども、ほかの国にもあるのです。そういうことを一体だれを信用して行ったらいいかということになる。
また、現地の金融機関に、先ほど申し上げましたブラジル銀行等におきましても、あるいはそのほか農業協同組合なんかに金を貸してくれる特殊の金融機関がございますが、こういったところでも仮地権あるいは土地を使う権利がある、こういう証明書によりまして、先方では適当な金融をやってくれる状態でございます。現実に土地の所有権そのものを持っていなければ金融の道がない、こういうことではないわけでございます。
○太田参考人 ただいま説明を申し落としましたが、現地の金融機関で農業金融をやっておりますところはブラジル銀行でございます。これは大体九分くらいの金利で貸し出しをいたしております。土地、それからその他の施設、こういった長期資金もある程度貸しております。しかし大部分は、どちらかといえば短期資金のほうに重点が置かれておるように聞いております。
ブラジルにおきます旧正金銀行が九十五万ドルの預金をブラジル銀行にいたしておったのでありまして、これは戦争に際しまして敵産管理にもならずに、旧正金におきましては、債権を確保するために九十五万ドルの米ドル預金に対して残高証明をもらって、その債権は確実に日本のものということになっておったわけであります。
ところが、日系だけを相手にしようと思ったら、ブラジル銀行の幹部に聞いてみたところが、いやブラジル人が非常に預金してくれる。この機会にオリンピックや日本の景色を見るだけでなく、日本はすばらしく発展したということだから、そこから何か学び取って来なければならない。こういう一つの関心を持って、来年は想像以上に大量のブラジルの人たちがやってくる。
大蔵省とあなたがその話をされて、こういう焦げつき債権をそっくり現地のクルゼイロで受け取る、現地のブラジル銀行でもいいし、日本の為替銀行でもいいからそこに預ける、それをファンドにして、新移民の為替差損は補てんできぬにしても、営農資金や中小商工業関係の資金等にそれを貸すような方法はできないものか。
ブラジルの場合、現地通貨で借りる場合には、為替の期限がございますから、ブラジル銀行からいわゆるスワップと申しまして、ドルを積み立てて、それに相当するクルゼーロを借りてこれを貸すということにしているわけでございます。しかし、ドルで借りることもできるようになっているのですが、この点移住者にドル融資ということは非常に負担が重い場合もございます。
ところが、御承知のように、ブラジル銀行にしましても、アルゼンチン銀行にしましても、やはりいろいろ担保とか保証とかいうことがあって、こちらで思うほどの金が借りられぬわけです。そこで、最初にあなたにお尋ねをした焦げつき債権の問題に返るわけです。返還ができると言う。
海外在住の日本人は、それを特別会計であるとかいうようなこととはあまり関係なく、現にブラジルやアルゼンチンに相当金の貸越しがあるじゃないか、それを担保にしてブラジル銀行やアルゼンチン銀行に貸すような方法はないものかということを言っている。東京へ帰って聞いてみますと、いや、為替局ではいかぬ、主計局ではいかぬ、理財局ではいかぬということになって、何のことはない、消えてしまう。
昨年インフレのためにかなりに運転資金が不足いたしまして、この豊和工業はブラジル銀行、ブラジル政府のブラジル銀行から相当多額の融資を受けたのでりますが、日本側からも若干融資をせぬと、ブラジルにも工合悪いし、自分の方としても急場の必要上ぜひということで、融資したのでございますが、その後この仕事は非常に順調にいきまして、実はできた機械が間に合わないくらいに売れているというふうに聞いております。
また選考せられました移民のうちに、労働に適しない家族が混入いたしておりまして、当初の激しい肉体労働に耐え得ずして、ごく少数でありますが逃亡いたしましたり、あるいはしょっちゅう不満を述べるということで、なかなかうまくいかなかったのは、特に当初において事実でございますが、その後松原氏がブラジル銀行から約二千コントスの融資を得まして、それで一応息を吹き返したことになりました。
またリオの支店のクルゼイロ勘定が――向うの現地の金の勘定にありますものが、ブラジル銀行に対する預金として三千百八十五万四千クルゼイロ、それに手持ちの公債が百八万六千九百クルゼイロということになつておりますし、それから賠償基金勘定、これは向うが取立ててとりまとめたものでありますが、これが一九四一年の下半期から一九四四年の下半期の純益金として、百十三万四千四百六十八クルゼイロというものが残つております。
売られましたが、その金はブラジル銀行に保管されておるわけです。売られない土地はそのままに残つていて、今これを売ることもできない、動かすこともできない、そのままにしておかなくちやならない。そして今度新しい法令が出ますと、返してくれるわけです。ですから、ここで新しい法令が出たら、日本のものは不在地主のものも全部返つて来る。