1996-04-23 第136回国会 参議院 予算委員会 第12号
フルブライト留学制度の創始者であるフルブライトさんが去年の二月に亡くなりました。この第二次世界大戦後に創設された制度は、あの当時非常に外貨の乏しかったころ、向学心に燃えた留学を希望する若者にとっては大きな福音であったわけであります。その後四十年余りたつ今日まで両国の留学交流で大きな成果を上げている。
フルブライト留学制度の創始者であるフルブライトさんが去年の二月に亡くなりました。この第二次世界大戦後に創設された制度は、あの当時非常に外貨の乏しかったころ、向学心に燃えた留学を希望する若者にとっては大きな福音であったわけであります。その後四十年余りたつ今日まで両国の留学交流で大きな成果を上げている。
君は、食糧課長、農務課長として、戦時食糧統制からの転換、食糧増産に果敢に取り組まれましたが、昭和二十六年六月から一年間、ガリオア資金留学制度、後のフルブライト留学制度でアメリカ・シカゴ大学に留学し、国際政治学界の第一人者ハンス・モーゲンソー教授のもとで研さんを積まれました。帰国後、三高時代の恩師鈴木成高教授とともに、モーゲンソー教授の「世界政治と国家理性」を翻訳出版されました。
まず文化交流というものの位置づけと申しますか、その基本的な考え方ということで、特に最初に大臣の御所見をお願いをしたいと思うわけですが、大臣も御承知のとおり、第二次大戦後、フルブライト留学制度というものがアメリカでできまして、それでわが国からこの制度によってアメリカへ留学した人が非常にたくさんあるわけであります。