2017-05-15 第193回国会 参議院 決算委員会 第8号
これからアメリカも今方向が少し変わり、中国も、そういう中にピンポン外交というのがありましたが、かつて、そういう外国が動いたときに日本がそれから慌てて動くのではなくて、日本独自の外交をしっかり持っていく必要があると思います。 その点について率直な意見をお聞かせください。
これからアメリカも今方向が少し変わり、中国も、そういう中にピンポン外交というのがありましたが、かつて、そういう外国が動いたときに日本がそれから慌てて動くのではなくて、日本独自の外交をしっかり持っていく必要があると思います。 その点について率直な意見をお聞かせください。
そのような交流、今、政治がなかなか動けない状況の中に、かつてピンポン外交も、御存じのとおりだと思いますが、人と人の交流が高まっていけば自然と皆さん理解が深まっていくのかなと。 これだけ中国、銀座もこの間行きましたら、わあっと、皆さんがいると必ず、私が手を振ると、わあ猪木と言ってくれるんですが、元気ですかと言ったら誰も反応しないんです。何でだろうと思ったら中国人でした。
かつて中国との間ではピンポン外交なんということを言われました。北朝鮮との間でもやはり、平山郁夫さんが文化の面で貢献しておられますし、またスポーツなんかもサッカーの交流とか、あるいは学者の交流とか実業界の人たちの交流とか、そして政治家の交流、こういうあらゆるレベルの交流ということが必要だと思うんです。
別に、その中で、万国博覧会、愛知万博が間もなく、もうあと十日ほどで開会でございますけれども、百二十五の国等が参加をいたしますが、何もそれを政治に利用するつもりは毛頭ございませんけれども、御趣旨としては私も全く同感でございまして、例えて言うならば、ピンポン外交みたいなのが昔ございましたけれども、広い意味の、ぎすぎすした形式張った意味ではない、ふわっとした形で、百二十五の代表がそれぞれ来られたときに、それぞれの
それは、日中関係の改善に貢献しただけでなく、ピンポン外交と言われますように、歴史的な米中和解にも大きく貢献しました。言うならばそれは、一九四〇年代の後半に占領軍から与えられた平和主義の憲法に、日本の社会、日本の市民がみずから新しい命を吹き込んだことであります。実質的には憲法改正に匹敵する大きな事業であったと思います。
ところが、それはそれとして、ぶつけ合ったのでは、役所としてはそれを言わざるを得ない、それがあったのでは進まないという、先ほどどなたかがおっしゃっていた大義名分というか建前、そして誇り高き国家像を持っている北側の人と話し合う、そういうときに、かつての中国のピンポン外交であるように、建前同士ではぶつかったところをどうやって本音の部分で接触するかということがまさに今度の村山訪朝団の問題だろうと思います。
特にスポーツというのは、政治的な外交以外にも、名古屋でも、ピンポン外交というのが昔中国でありましたけれども、スポーツでも外交はできると思います。スポーツでも外交がこじれる場合があるのではないか。
特に、名古屋でしたら、昔ピンポン外交ということで中国と外交をいたしまして、スポーツを通じた外交が成立をしておりますので、その辺のことに関しましても、やはりスポーツというのは重要視されるべきじゃないかというように私は思っております。
かつて日中が国交不正常なときに、ピンポン外交などと言われたこともあります。あるいはその他スポーツの分野での交流が行われる、それによって人間の交流が行われる。やはり何といっても国と国とのつき合いというものは人と人とのつき合いに始まるわけでございます。 今回猪木議員がスポーツ交流という形で訪朝されることは私は非常に大きな意味がある。
古くは日米国交回復のピンポン外交、米ソ雪解け時の宇宙における学術交流など、総理も御承知のとおり、多くの実績がございます。しかしながら、我が国の国立大学が招聘している外国人教授は、例えばノーベル賞クラスの外国人を招聘する制度では、昭和六十三年十二人、平成元年九人、平成二年六人、三年九人、四年十人、さらに地域別に見ますと、アジアは中国だけでございます。
あるいは現在世界の卓球選手権大会を前に朝鮮の南北統一チームが初めて参加して感激的な練習をやっていますが、こういうピンポン外交を見てもスポーツ、学術、文化の交流というものは大きい意義があると思いますが、文部大臣はこういうことの促進についてどういうお考えをお持ちか、お聞かせいただきたいと思います。
○猪木寛至君 そこで、いろいろの問題がある中で、スポーツの交流なら例えば日中の場合にはピンポン外交から交流が始まったわけですが、そういう中でスポーツ交流都市ということを私はちょっと提唱したんですが、これについては問題があるんでしょうか、どうでしょうか。
それは後ほど触れる朝鮮民主主義人民共和国に対する制裁措置の問題であるとか、あるいはピンポン外交でおいでになった者に対するいろいろな措置の問題である等を含めまして、適時適切に我々の期待にもこたえてきたという点については敬意を表しておる一人であります。
○小川仁一君 私、今、昭和四十六年の名古屋における世界卓球選手権大会、そしてそれが一つのピンポン外交として評価されて、米中の和平、ひいては日中の和平という状態があったということを思い出しているわけです。今回もそういうことが念頭になかったとは言い切れないと思いますが、事志と違った方向をとってしまう、こういう結果になりそうな感じでございます。
ピンポン外交じゃありませんけれどもスポーツも民際外交でありますね。そういう点では青少年の問題やら医療、老後の生きがい問題を含めて、私はそういう点でもうスポーツ省があってもいいな、こういうふうに私なりに信じている一人でありますので、これからも繰り返し繰り返しそういうことは申し上げてまいりたいと思いますので、大臣の方もぜひそんなことを含めてより格段の御協力をお願い申し上げたいと思います。
私がこういう話をしますと、ある人がこれは中国のピンポン外交というようなもので、これはシルク外交じゃないかと言う人さえあるのでありますが、結構なことだと。
中国の場合もピンポン外交なんというようなことが言われたわけなんですが、今回、北の方から提案して、統一チームを南北でつくってこの選手権大会に臨もうではないかということに対して、南側もこれに応じた。
それで、たとえば、日中国交回復の時点において言いましても、ピンポン外交というドラスチックな国際情勢の変化に引きずられた形で急いでやらざるを得なかったということで、国連の中におきましても、日本がさまざまなところで中国の国連加盟だとか、カンボジアのロン・ノル政権の支持の問題に関してもさまざまなところで——私が言うに及びません、言う必要はないのですが、目先の、つまり自分が、日本が当面関係しているところのバイラテラル
そういうことからいたしますと、今回の朝鮮民主主義人民共和国に対してのピンポン外交の行き方も、米中間の接近の第二の場所というものがここでまた展開されつつあるのではないかという受けとめ方をする向きがあるわけでございます。しかし、いずれにいたしましても、かなりアメリカ側がこの問題に対して積極的に動いているということだけは、もう現実の問題として認めざるを得ない。
○園田国務大臣 ピンポンをやるグループが向こうへ行くということに政治的な意味は全然ない、単なるピンポンであってピンポン外交ではない、こういう説明を受けております。
そういうことからすると、最近特に伝えられるのは、いわゆるピンポン外交、アメリカから朝鮮民主主義人民共和国に対して選手を送るというピンポン外交の問題が伝えられてきております。米中間においてもピンポン外交で始まった。
その時点というのは、つまりピンポン外交が始まって、米中の間に接近のきざしが出てきている時期、そういう中できわめて政治的な判断からそれをやって、アメリカ系企業も先ほどから名前が出ているような企業がみんなやっていたわけですけれども、手を引いているんですね。こういう配慮があるわけです、アメリカの側で。そういうことも考えてみると、今回の日本政府のやり方というのは全くわからない。