1966-05-27 第51回国会 衆議院 外務委員会 第18号
○星政府委員 先般来やっておりますアジア公舘長会議に出席いたしましたビルマ大使にお聞きいたしますと、やはりビルマは国連及びコロンボプラン以外の会議には出ないというふうなことを言っておるということでございますので、そういう事情は国内の事情によるのではないかというふうに考えております。
○星政府委員 先般来やっておりますアジア公舘長会議に出席いたしましたビルマ大使にお聞きいたしますと、やはりビルマは国連及びコロンボプラン以外の会議には出ないというふうなことを言っておるということでございますので、そういう事情は国内の事情によるのではないかというふうに考えております。
自来、賠償の再検討に関する問題は、両国間における重要な懸案となっておりましたが、昭和三十八年一月東京において、本大臣とアウン・ジィ前ビルマ連邦貿易工業大臣との間で交渉が行なわれました結果、同月二十五日原則的な合意に到達し、この合意に基づき引き続き両政府間で行なわれた正式協定作成交渉の結果意見の一致を見るに至り、三月二十九日ラングーンにおいて、日本側は飯塚外務政務次官及び小田部駐ビルマ大使、ビルマ側は
自来、賠償の再検討に関する問題は、両国間における重要なる懸案となっておりましたが、昭和三十八年一月東京において、本大臣とアウン・ジィ前ビルマ連邦貿易工業大臣との間で交渉が行なわれました結果、同月二十五日原則的な合意に到達し、この合意に基づき、引き続き両政府間で行なわれた正式協定作成交渉の結果意見の一致を見るに至り、三月二十九日ラングーンにおいて、日本側は飯塚外務政務次官及び小田部駐ビルマ大使、ビルマ
○谷口委員 あなたが知らないとおっしゃれば私は言いますけれども、これはこの前箱根で行なわれました日米文化教育合同会議ですか、それの推進者といわれ、またフォード財団の政策担当の責任者になっておった方で、現在ビルマ大使になっているジョン・スコット・エバートンという博士です。エバートンさんを文部省は御承知ですか。
政府としては、この機会に、ビルマから賠償再検討を申し入れられている件に関し十分話し合われることを希望いたすのでありますが、昨年四月、在京ビルマ大使から申し入れがあってから今日まで、対ビルマ賠償再検討の問題についての経緯をこの機会に明らかにしてもらいたい。
しかし、こういうことがありますれば、現地の大使としては、一応在東京のビルマ大使がわれわれに説明すると同時に、われわれとしてもビルマ政府の意向を在ビルマ日本大使を通じて聴取しますことは必要なことでありますから、その範囲内においては、あるいはやったかもしれませんけれども、時に何か慰撫をするためにミッションを出した、あるいは何かそういうことをやったということはございません。
○松本(七)委員 そこでこれの今後の影響ですが、この前からビルマのいわゆる再検討条項に基く要求はないだろうという答弁が外務大臣からなされたのですが、私どもビルマの動きを察知するところでは、どうも必ずしもそう楽観できないのではないか、ビルマ大使の言っておること、その他を、おそらく非公式には外務大臣にもある程度のことは言っておるだろうと思いますが、私も今晩またビルマ大使に大使館で会うことになっておりますが
○藤山国務大臣 ビルマ大使は、先般帰国されました。その帰国されます前に私をたずねてこられまして、インドネシア賠償の経緯についてお話がありまして、私どももその経緯についてこれを説明すると同時に、ビルマとインドネシアと別段差別的な待遇もしておらぬし、またわれわれとしては適当な方法で結論がついておるのだという説明をいたしたわけであります。
今般ビルマ政府は、ビルマ米二十トンを北海道の凶作に対する見舞として寄贈することとなり、近く本邦向け発送する旨太田駐ビルマ大使を通じて申し越しがありました。 右に対し、政府は直ちに、ビルマ政府に対し深甚な謝意を表明するとともに、右受領に必要な手配を行いました。
○国務大臣(岸信介君) 今般ビルマ政府がビルマ米二十トンを北海道の凶作に対する見舞いとして寄贈することとなり、近くわが国へ向けて発送する旨を太田駐ビルマ大使を通じて申し越しがありました。 右に対しまして、政府は直ちに、ビルマ政府に対し深甚な謝意を表明するとともに、右受領に必要な所要の手配を行いました。寄贈米は近く日本に向って送られるはずであります。
私の仄聞するところでは、高岡委員長は外務省の方に何度も行かれまして、かたいお約束をされておるそうでございまして、それが先月の末に太田ビルマ大使からのの文書で返事が参りました。現地のこの辺は治安がいいとか、この辺は困難である、この辺は治安がよくても猛獣、毒蛇の困難があるとか、詳細な御返事が参っております。
○長谷川(四)委員 日程第四、第五は外務委員会のものですが、外務大臣がちょうどこの時間にビルマ大使との会見をしなければならぬので、政務次官でお許しを願いたいということですが……。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○政府委員(山内公猷君) 初めに太田委員辞任の経緯でございますが、太田委員がビルマ大使として行かれまして、二十九年十二月十六日に辞任されております。 次に太田さんの任期でございますが、初めに任命されましたのは、昭和二十四年六月十三日、それから二十九年十三月十六日まで任期が継続したということになっております。