2021-04-28 第204回国会 衆議院 外務委員会 第11号
これは、非常にバルカン半島、よくバルカン半島、バルカン半島と言いますけれども、恐らくこれは旧ユーゴスラビア、本当に昔、二千年以上でいうと、ローマ、東ローマ帝国、ビザンチン帝国、その後、オスマントルコ、ロシア、欧米、そして今、中国ですよ。結局、これだけの小国が半島で何千年もの間、人類が営んできたいろいろな歴史があるんですけれども。
これは、非常にバルカン半島、よくバルカン半島、バルカン半島と言いますけれども、恐らくこれは旧ユーゴスラビア、本当に昔、二千年以上でいうと、ローマ、東ローマ帝国、ビザンチン帝国、その後、オスマントルコ、ロシア、欧米、そして今、中国ですよ。結局、これだけの小国が半島で何千年もの間、人類が営んできたいろいろな歴史があるんですけれども。
さらに十五世紀にはビザンチン帝国がオスマントルコ帝国に滅ぼされて、西欧帝国主義の出発点となるのに対しまして、帝政ロシアの圧力をも体験している。我が国は、徳川幕府が倒れまして、新しく帝国主義になった。こういう、国の出発点が実は似ているわけでございます。
そういう点からいきまして、私は非常に、今度トルコの問題がいま起きましたけれども、トルコに対しての問題は、ビザンチン帝国をあれだけにぶち破ったトルコが、何がゆえにとにかくダーダネルス海峡から地中海に出、インド洋にまで陸地を求めていくところのトルコに対するロシアの進出、このことに対処できない混迷の中に、トルコが外交、防衛に対して一見識がなくて滅んでいく状態を耐えかねて、ケマル・パシャ・アタチュルクの少数軍部
いまのそりの問題たんかでも騒いでおりますが、古代の舟なり、石を運ぶのには皆あのそりの様式で、コンスタンチノープルを陥れビザンチン帝国を陥れたときのトルコの戦略というものは、山を舟で乗って、背面から入ったということで、やはり海洋族と騎馬民族と合体した一つの攻略作戦が成功したのが事実でありますが、日本だけの狭い領域における人類学やあるいは考古学の字句的な解釈だけでなく、日本も考古学が非常に発達しておって