2021-05-12 第204回国会 衆議院 経済産業委員会 第12号
私本人は、株式会社ヒロハマという会社の会長をしておりまして、やっている仕事といいますと、いつもこれ、製品を持ち歩いているんですけれども、一斗缶とよく呼ばれている、正式には十八リットル缶というんですけれども、そこに、こうして押すと、ぱちんと開くキャップがついていると思うんです。
私本人は、株式会社ヒロハマという会社の会長をしておりまして、やっている仕事といいますと、いつもこれ、製品を持ち歩いているんですけれども、一斗缶とよく呼ばれている、正式には十八リットル缶というんですけれども、そこに、こうして押すと、ぱちんと開くキャップがついていると思うんです。
文化多様性の観点から、我々は中学のときにマイ・ネーム・イズ・ヒロユキ・モリヤマというふうに習いましたけれども、モリヤマ・ヒロユキと言わなきゃいけないんだよということだと思います。
第三十一回の会議において、諮問会議の民間議員、コマツ相談役の坂根さん、マサヒロさんとお読みするんですかね、事業主体である鹿島建設の社外取締役であったことを会議出席者に説明、私は議事から外れたいと思いますのでよろしくお願いしますと、審議、議決に参加しなかった。 一方で、利害関係があったとしてもずうずうしく参加する諮問会議の有識者がいることも事実です。
○福島みずほ君 吉川ヤスヒコさんと、ヤスヒロ、ヒコさんと四月二日に会っているわけですが、彼……(発言する者あり)吉川さん、会ったのは、四月二日に会ったのは吉川さんということでよろしいですか。
まずもちまして、十九世紀に黒船が日本に来航した折、そこから日本は大きく変わっていって、文明開化だとか、また脱亜入欧という言葉があるように、ヨーロッパに追いつけ追い越せという形に日本の歴史が大きく動いたときに、逆に、ヨーロッパにおいては、歌川広重のヒロシゲ・ブルーだということで、日本の浮世絵や日本の文化が見直され、まさしくゴッホやモネといった印象派、またアールヌーボーの美術家たちも、日本のことを、すごいな
次に、根室市内の水産加工業者、株式会社カネヒロにおいて業務等に関する説明、要望を聴取するとともに工場視察を行いました。同社は、サケ、サンマなどを加工販売し、今シーズンから根室市などと協力しながらベトナムへ冷凍サンマを輸出する予定になっています。
○参考人(広浜泰久君) 中小企業家同友会全国協議会幹事長、株式会社ヒロハマの広浜と申します。本日は、こういった場で発言を許していただきまして、ありがとうございます。 大きく三つ、三点にわたってお話ししたいと思います。まず、自己紹介を兼ねまして、我々中小企業家同友会の会員の、それから自社の現状をお話ししたいと思います。
それは業者も少ないということもございますし、いろんな差別化をずっと進めてきたので、うれしくはないけど、まあヒロハマさんと付き合ってなきゃしようがないからみたいなところで認めていただいたんですけれども、お客さんの缶メーカーさんはなかなかそうはいかなくて、その先のユーザーさんがみんな大会社ということもありますので、大体全体に対して六割、七割ぐらいしか価格転嫁できなかったと。
次に、中小企業家同友会全国協議会幹事長・株式会社ヒロハマ代表取締役会長広浜泰久参考人でございます。 慶應義塾大学経済学部教授金子勝参考人でございますが、交通事情によって若干遅れるということでございまして、御到着いただいて、後で意見をいただくことにしたいと、そう思います。 この際、参考人の方々に委員会を代表して一言ごあいさつ申し上げます。
太平洋の洋だったら、ヒロという読み方もある。だから、私の名前にしてそうなんですよ。 ですから、これ最終的にはやっぱり、しかも、私の家内のを見せましたけれども、二つあったでしょう。だから、最終的には基礎年金番号を基礎にしていいんですけれども、全部やっぱり数字を、国民の、あなたのこれは番号です、それカードにしてもいいし、そうすると、納税のときもそれができます、それから社会保険もそうです。
永田ヒロヤス君。
まず、同じマサヒロということで河合先生にお願いしたいと思いますが、先生は冒頭、EUのお話をされました。それで、例えばEUは、私、十年前と今と本当に格段の差があるなということをしみじみと感じておりますが、十年前には、果たしてそんな中央銀行なんかできるだろうか、こういう思いでもありました。それが、今や本当に見事にまとまって、そしてまた、昨年は二十五カ国という大変な大世帯にまで広がったわけであります。
そこから日本の心身障害者対策基本法を障害者基本法という改正に着目して、それから十一年たって、今回また、私どもは大改正と、こう思っているんですが、そういう中で当事者団体からは、障害者差別禁止法も併せてこの基本法の中に包含するか、あるいは実定法として別建てでやってほしいという、JDAですね、こういう声もあったんですけれども、アメリカの方は、言ってみればタカヒロ・クロイワという感覚の社会ですね。
それから皇漢堂製薬が一品目ございまして、総合感冒薬「クニヒロ」というものでございます。住友製薬が二品目ございまして、コンタック総合感冒薬キャプレット、コンタック総合感冒薬(カプセル)。それから全薬工業、一品目ございまして、新ジキニン顆粒。第一薬品工業が四品目ございまして、カイゲン感冒カプセルα、カイゲン感冒カプセル「プラス」、カイゲンゴールドカプセル、カゼゴールドエースという。
さまざまな、ヤコブ病が、ライオデュラを移植されたけれども、自分は発症するのではないかという不安に対してのケアですとか、また、現在入院加療の北海道のヒロ君や、何人かの方々が闘病中です、その方々を支えていく。そしてまた、このような薬害に対して自分たちが学んできたこと、経験してきたことを、そのサポートネットワークによっていろいろな方々に情報なりを伝えていこうということで、立ち上げました。
ビデオの最後の場面は、「天皇ヒロヒト有罪!」というふうに映し出されましたが、主催者側男性が立ち上がって、ビデオ中に少々やじをした自分たちの方を向いて勝ち誇ったように拍手をした。そしてまた、続いて別の女性が立ち上がって、自分たちの方を見て勝ち誇ったように拍手をした。私は、私はというのは川久保という私の友人、被告人ですが、思わず飲みかけのお茶の缶を投げつけてしまったということであります。
まず最初に、昨年の十二月二十六日、国会が閉会になりましてすぐ、雪の中、坂口大臣は、北海道の、あの当時十八歳のヒロ君のお見舞いに行ってくださいました。また、ことし明けて一月の十五日、ドイツに出発される大変お忙しい中、原告の皆様に会っていただきました。温かいねぎらいの言葉をちょうだいして、被害者の方々が坂口大臣に期待するところ非常に大きいものがございます。
○中川(智)委員 大臣は、東京地裁の所見の中で一九八七年六月ということが明確に書かれているが、そこのところを争っていては被害者全員の救済にもならないし、和解というみんなが望んでいるものにはならないだろう、ですから、そこのところで争うことはやめて、被害者全員を救いたいという思いで、八七年六月以前に手術をなさったそのヒロ君のお見舞いにも行かれました。
ですから、北海道の十八歳のヒロ君、そして東京の小畑さん、そして本日追加訴訟された方、この三人しか今原告の生存患者さんはいらっしゃらないわけであります。 そして、もうお一人、八十数名のヤコブ病の患者さんの多くは残念ながら亡くなってしまわれましたが、もう一人生存しておられますのが三重の田川貞雄さんでございます。田川さんは現在七十歳で、三重の国立療養所に入院中です。
第二、第三の山村桂子さんをつくらないためにも、きょう電話で話した山村桂子さんの御主人も、ヒロ君にもヒロ君の御家族にも同じ思いをさせたくないということをおっしゃっておられました。 少なくとも厚生労働省が認可したライオデュラで、何の罪もない方が亡くなっていっているのですから、生きている間に大臣が会いに行くのはせめてもの誠意というものではないでしょうか。年内にどうかお見舞いに行っていただきたい。
ヒロ君というのですけれども、生存被害者の一人であり、北海道に住んでおられます。一歳のときに脳腫瘍の手術を受けられました。手術は成功いたしましたが、手術後十四年たって発症されました。ことしは十八歳になられるというふうに思いますが、自分で呼吸ができなくなってしまわれているんです。
奥さんを、本当に北海道のヒロ君のお母さんもおっしゃっていたようですが、この子を殺して自分も死にたい、そういう思いに駆られるのを必死で抑えて看病している。先日も同じようなお話がされました。
フランスのル・モンド紙は、この昭和天皇に関する有罪判決について「ヒロヒトと日本の健忘症」という評論を掲載しました。 その中でアメリカ人ダウアーは、「ビルマや中国からの帰還兵たちにとって、天皇の免責がどれほど理解しがたいものであったかを示している。天皇の名で彼らは「贖罪的」共鳴をもって戦争を遂行したのだった。裕仁に罪がないのであれば、誰にあるのか。
三冊目ですけれども、「天皇ヒロヒトは、一人の人間として、八七歳で死んだが、生前軍服を着た「現人神」として果たした役割によって、これからも長いこと記憶されるであろう。」、それから、「昭和という時代は、侵略と軍事的冒険を行った日本のイメージが太平洋戦争中に影を落としたまま二度と再び拭い去られることのなかった時代であった。」、こういうふうに思っている。参考人の方もこの間それぞれおっしゃいました。