1964-06-10 第46回国会 衆議院 外務委員会 第30号
○大平国務大臣 パテト・ラオは、中立協定に基づく国際休戦監視委員会によるいわゆるパテト・ラオ地区の査察を認めておらないようでございまして、五月中旬にはジャール平原で大規模な軍事行動を展開いたしているようでございます。
○大平国務大臣 パテト・ラオは、中立協定に基づく国際休戦監視委員会によるいわゆるパテト・ラオ地区の査察を認めておらないようでございまして、五月中旬にはジャール平原で大規模な軍事行動を展開いたしているようでございます。
この報告によりまして、当時辻議員はラオス北部のシェンクヮン付近において行動しておられるものと推測されていたのでありますが、辻議員が、日本出発の当初から、すでにラオスにおいてパテト・ラオ地区に入ることを計画されていたにもかかわらず、この意図を、本院関係者はもちろんのこと、御家族にも秘しておられた本人の意思、あるいはわが国と国交のない地域に潜入されました本人の身辺に危険が及ぶ危惧等を考え合わせ、われわれとしても
第三番目の寺院から先の行方については、交戦地区のことでもありますし、確認されておりませんが、四月二十一日午前九時ごろパテト・ラオ地区へ入ったと思われるのでございます。
このほか、現地の公館におきましては、辻議員がパテト・ラオ地区に潜入された際に使われていた寺院沿いのルートをたどる調査を行ないまして、辻議員の行き先の確認に努めて参りました。
それからヴイエンチヤンに滞在中に、何とかしてパテト・ラオ地区のほうに入って行きたいというので、いろいろ画策なさったようでございまして、大体わかっておりますところでは、四月の十九日ごろに、間道を選んで、ラオス人の僧侶の二名が道案内になりまして、お寺からお寺へと、リレー式に僧侶の案内で入って行かれたという模様でございます。
○説明員(宇山厚君) 実はバンビエンというところで、さらにパテト・ラオ地区に辻議員が入りたいと言っていろいろ工作しておられたということがわかりましたのは三カ月あとのことなんです。先ほど申し上げましたように辻議員がヴイエンチヤンという首都から去られましたのは四月の二十一日ごろでございまして、それからもう大使館のほうではどこへ行かれたのか消息がわからなかった。
○説明員(宇山厚君) と申しますのは、北ベトナムのほうでも、ラオスのパテト・ラオ地区におきましても、どちらも治安が非常に乱れております。しばしば戦闘も行なわれるというほどに危険な状態でございます。