1987-04-14 第108回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査会 第3号
当時、原子力委員会問題でアメリカ側は、アメリカだけが持っている核兵器の独占を考えたバルーク案というのを出してきたのです。それに対してソ連は核兵器廃棄を強く主張するのですけれども、一九四九年ですか、ソ連が原爆実験に成功して核兵器を持つわけです。これは、アメリカが独占しようとしているので余儀なく核兵器を持たざるを得なかったという面が一つあります。
当時、原子力委員会問題でアメリカ側は、アメリカだけが持っている核兵器の独占を考えたバルーク案というのを出してきたのです。それに対してソ連は核兵器廃棄を強く主張するのですけれども、一九四九年ですか、ソ連が原爆実験に成功して核兵器を持つわけです。これは、アメリカが独占しようとしているので余儀なく核兵器を持たざるを得なかったという面が一つあります。
しかしこの交渉は、バルーク案とグロムイコ案として対立をいたします。グロムイコ案は、いかなる事情においても原子兵器は使用しない、原子兵器の生産、貯蔵を禁止する、条約発効三カ月後に一切の原子兵器の貯蔵を廃棄するというものでした。
最初、原子力委員会中心に核兵器廃棄が問題になって、バルーク案とグロムイコ案が対立して、これがまとまらないので、次に軍縮委員会をつくってやっていく。
しかしこれは、経験に即して考えます限り、実際はそういうことはあり得ませんで、たとえば第二次大戦後のアメリカというものを考えてまいりますと、一時アメリカは動員を大幅に解除しておりますし、バルーク案を出して核の国際管理を主張しておりますし、あるいはヨーロッパその他に対して経済援助を提供したわけでありますが、その間ソ連の動員の解除のテンポというのは非常に遅いものでありましたし、それからバルーク案は拒否されましたし
米国は、一九四六年に、いわゆるバルーク案として知られております原子力国際管理案を提唱いたしておるのでありましたが、今回は米国の持つ原爆優勢保持を思い切つて人類の福祉と産業の発展とに振り向けんことを、国境を越えて、われわれ日本民族は切望してやまないものであります。(拍手) ここでさらに申し述べたいことは、米国ばかりでは、ございません。
昨年十二月、アイゼンハウアー大統領は、プール案によつてウラニウム元素の国際プールを提唱したのでありますが、バルーク案に示されたことく、アメリカが原子力について現在持つておる国際的に有利な立場を守り続ける意図を持つております限り、一切の原子力をまず放棄して、各国が平等の立場で討議すべしというあのソ連の主張にあつて、再び不成立となる公算がきわめて多いのであります。
これにつきましては初めにバルーク案と言いますか。あのバーナード・バルークの案が出まして先般昨年の暮に出ましたアイゼンハワーの新らしい案というものは多少後退している点があります。
大臣はバルーク案を結構だと言われたのですがそれは非常に問題なんです。バルーク案はたしか一九四六年です。このときはまだアメリカだけが原爆を独占してソヴィエトが原爆を持たないときなんです。
但し米ソの意見の対立がありますので実際上はこの委員会というものは行詰りの形で余り活動いたしておりませんけれども、第八回の国連総会でもこの軍縮委員会の下に小委員会を設けて原子力問題を取扱おうという話合をまあ決議になつたようでありますが、今後情勢の進展に応じましてそういうことを取扱うようになるかと思いまするが、今までのところは国連においてはいろいろバルーク案か何とか出ましたけれども、具体的に議論というものはちつとも